撮影:竹井俊晴
ミライのために新しい仕組みやビジネスを立ち上げようと挑戦する「ミライノツクリテ」。トップバッターで登場した宝槻泰伸(38)は塾業界から日本の教育界を変えようとしている。その原点はどこにあったのか。
宝槻が教育界に飛び込んだ原点は、自身の子ども時代の体験に紐づいている。
教育事業に携わっていた「強烈な父」による家庭教育を全身に浴びて育った。
歴史・経済・ITなど幅広い教養を積んでいた父の教育スタイルは「型破り」。宝槻を筆頭に男3兄弟の子どもたちの好奇心に火をつけるため買い込んだマンガ、「NHKスペシャル」などの録画や映画のビデオが、家の中にはぎっしり。はじめは「本を1ページ読めば1円の小遣いをやる。漫画も可」という作戦につられ、読書習慣が身についた。
予告もなく突如、旅行やキャンプ、ときに引っ越しまで決めることも日常茶飯事。振り回されながらも、行く先々どこでも、持てる知識を生かして人生を謳歌する父の姿が刻まれた。
漫画もOK。父が開いてくれた探求の扉
インタビューは、東京・三鷹の探究学舎にて。1階のオフィスの本棚には、教材の資料となる多ジャンルの本が並ぶ。
撮影:竹井俊晴
特に歴史に精通していた父は、ロマンたっぷりに人間ドラマを語り、幼い宝槻を夢中にさせた。
「信長はどうして天下統一を目指したのか?」
「信玄がついに天下統一を果たせなかったのはなぜか?」
「謙信が実力はありながらも、天下統一を目指さなかった理由は?」
当時放送されていた大河ドラマ『武田信玄』を題材に家庭内講義はどんどん過熱していき、信玄に憧れを募らせた宝槻少年(小学校低学年)は、覚えたての彫刻刀で「風林火山」の字を彫った木工作品を、夏休みの自由工作として提出した。
父から与えられた歴史ゲーム『信長の野望』や漫画『お〜い!竜馬』などで、探究の扉を次々と開かされ、高学年になる頃には気づけば司馬遼太郎作品を貪るように読んでいた。知りたいことに夢中になって深く“潜る”ためなら、漫画やゲームを理由に学校を休んでも叱られることはなかった。
子ども時代の父親の教育方針について、宝槻は「発達段階に応じた吸収力・咀嚼力に合った教材を選ぶ。その順序やタイミングがオヤジは的確だった」と振り返る。ロボットに興味を持ち始めると、宝槻家ではロボットコンテストさながらの兄弟対抗製作が企画された。
大事なのは「ボーッと生きないこと」
撮影:竹井俊晴
ちなみに、現在、探究学舎に通う子どもたちの中にも通塾をきっかけに「学校の授業がつまらなくなったから、不登校気味になった」という例があった。しかし、そのこと自体は決して悪いことではないと宝槻は考える。
「子どもが自分でそれを選んでいるのなら、いいんじゃないですか。大事なのは、“ボーッと生きないこと”でしょう? 常に細かな意思決定をしながら、自分の人生を生きていく。その実感を、大人も子どもも持つことが大事だと僕は思います」
「もっと知りたい!」「やってみたい!」とワクワクする気持ちがどれだけ目の前の世界を輝かせ、毎日を夢中に生きる熱源になるのか。
“探究”のパワーを、宝槻は自身の成長過程で、たっぷりと味わい尽くしていた。
高校に上がる頃には、家庭がキャリア教育の場に。海洋写真家、楽団指揮者、禅寺の和尚、藍染め職人……。父が出会って“ナンパ”してきたさまざまな職業の人たちが入れ替わり立ち替わりやってきて、目の前で交わされる人生談義は、宝槻兄弟の世界を広げた。
窮屈に感じた進学校を中退
歴史や科学など、領域をまたいで探究心を刺激された子ども時代の経験が原点。
撮影:竹井俊晴
こうした刺激的な家庭教育の副作用とも言うべきか。宝槻は徐々に学校の授業が飽き足らなくなってしまった。
小中学校時代は、多少授業は退屈でも、友達や部活が登校のモチベーションに。しかし、入った高校は進学校で、1年次から窮屈に感じていた。1学期が終わる頃、思い切って父親に中退を相談したところ、「いいよ」とアッサリ快諾。
その後、父が開校した「プラトン学園」で、宝槻は生徒兼講師として勉学に励み、大検取得を経て、京都大学へと合格したのだ。
「名文をとにかく書き写す」「教科書の英文を暗記・暗唱する」といった一風変わった勉強法だったが、結果は功を奏し、二男、三男も後に続いた。“京大3兄弟誕生”は格好の宣伝文句となって、父の塾は繁盛した。
探究心の刺激がベースにある独自の教育。それが受験の王道にも通用したという事実 —— 。
これは大きな成功体験でもあり、同時に、その後の宝槻を迷わせる“足かせ”にもなっていった。
大学卒業後、「やはり自分が没頭できるのは、教育の道だ」と考え、起業の道を選択。学校教育ではなく民間ビジネスにこだわったのは、自身が学校外でのびのび育てられた実感があったからだ。
しかし、そこに待っていたのは厳しい現実。今や「教育界の革命児」と注目される宝槻だが、20代の約10年は苦しい模索の日々だった。(敬称略)
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴、デザイン・星野美緒)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。