撮影:竹井俊晴
ミライのために新しい仕組みやビジネスを立ち上げようと挑戦する「ミライノツクリテ」。そのトップバッターとして登場した宝槻泰伸(38)は、塾業界から日本の教育界を変えようとしている。だがその野望は、最初から軌道に乗ったわけではなかった。
高校中退を決めた時、その意思を尊重してくれた父親の姿勢に救われながらも、宝槻は世の中に対する失望と「どうにかしなければ」という焦燥を感じていた。
生きるためには知性が必要で、知性を身につける過程は、本来とても面白いはずだ。なのに、学ぶことがつまらないと嘆く人は多い。どうにかしたい。
父を手伝って塾講師として教える中で、「自分の働きかけ次第で、誰かをやる気にさせる喜び」を味わったことも大きかった。
立ちはだかった偉大な父の存在
教材の開発は完全オリジナル。週1回通塾する「ウィークリー探究」では、1つのテーマを2ヶ月かけてじっくり学ぶ。
撮影:竹井俊晴
しかし、偉大すぎる父の存在は、いつも目の前に立ちはだかる。尊敬はしていたが、「同じことはやりたくない」という強い思いがあった。
「オヤジは団塊の世代で、世の中は結局のところ学歴社会なのだという価値観の持ち主。教科学習にこだわらないリベラルアーツを重視しながらも、最終ゴールは『有名大学合格』に結びつける。僕はどうしてもそこに違和感があったから、そうじゃない方法を見つけたかった」
受験や成績にコミットしなければ、教育ビジネスは成り立たないのだと、繰り返し父から言われ、インプットされてきた神話。果たして本当にそうなのだろうかと、思いつくアイデアをどんどん試してみた。
しかし、連打すれど響かず。
最初に取り組んだ高校への出張授業事業は、2年で立ち行かなくなり閉鎖。図書館で始めた社会教育プロジェクトでは、弁護士や宝石商などさまざまな分野で働く人を呼んで、高校生から社会人まで一緒に学び合う場づくりを企画した。
「オヤジからは『無理無理、そんなのうまくいかないよ。それでいくら稼いでるの?』と言われて、『チクショー!』って地団駄踏んでいました(笑)」
1億円の資金調達をして始めたeラーニング教材開発も、成果が出る前に開発資金が底を尽き、頓挫。仲間も去っていった。
生活のために捨てた理想
撮影:竹井俊晴
すでに結婚し、生まれたばかりの長男を抱え、家族も養っていかなければならない。知人の紹介で職業訓練校のプログラム開発の仕事を得て、当面の稼ぎとした。そこに通う主婦たちは、自分の技能上達よりもわが子の教育について熱心に語っていた。
「やはり、子どもがいきいきと人生を切り開ける教育は、皆の願いだ。単発のイベントや出張授業ではなく、継続的に子どもたちの学びを支援する場をつくろう」と決意。経営の安定のために、月謝システムの導入も決めた。
こうして2011年、生まれ育った東京・三鷹の街に、「探究学舎」をオープン。ちょうど30歳になる頃だった。
しかし、当時の探究学舎は今のそれとはまったく異なる。
生徒獲得を優先し、「高校生の受験対策」を掲げてのスタートだったのだ。自身が父親から施されたような、探究心を刺激するアプローチで教科学習を指導。自分の経験をそのまま教えるのは、難しいことではなかった。
「あれだけ忌み嫌っていた受験塾をやるなんてね。ものすごく葛藤はありました。でも、生活のためにいったん理想を横に置いて、割り切るしかなかった」
頭上に覆いかぶさる厚い壁。ジャンプしてぶっ壊すスーパーマリオに、当時はまだなりきれていなかった。
受験にコミットしない学び舎へ
撮影:常盤亜由子
転機は、開塾から2年が経とうという頃に訪れる。
高校生の生徒を順調に増やし、中学生、そして小学生のコースも新設したことで、宝槻は初めて小学生に教える経験をする。
子どもの頃、夢中になった戦国武将の人間ドラマや宇宙の神秘。試験攻略のテクニックを教えるより、何十倍も面白かった。そして、子どもたちの目の色がみるみる変わっていく。
「すっげー!!」「それ、マジにあった話なの? 昔の人、やっべー!」
驚きと感動を素直に口にする子どもたちのエネルギーが一体となって、教室が熱を帯びる。
これだ……!
誰かのマネではない、自分にしかできない授業の原型をつかんだ瞬間だった。
以後、「国語」「算数」といった教科授業のコマを少しずつ減らしていき、テーマ別の探究授業の開発に本腰を入れるようになった。すでに受験対策を約束していた通塾生が卒業するまでを移行期間とし、2018年には完全に教科学習をゼロに。対象も小学生に限定し、“受験にコミットしない学び舎”へとリニューアルした。
モデルチェンジに伴う痛みを乗り越え
大きなモデルチェンジには痛みも伴った。
「講師も入れ替えないといけないし、僕の考えに賛同できずに辞めていくスタッフももちろんいました。何より売り上げの半分を占めていた高校生向けのプログラムを捨てることに、不安はありました。まさに“イノベーションのジレンマ”に苦しんだ時期でした」
受験対策をやめたことで去っていく塾生や、「塾なのに、まともなことを教えてくれない」と批判を向ける保護者もいた。
その一方で、熱烈に支持して残ってくれる、あるいは新規でファンになってくれる親子も現れた。
「家に帰ってくるなり、子どもが『お母さん! 日本海軍がどうやってバルチック艦隊を破ったか、知ってる?』って。あんなに目をキラキラさせて話す息子は初めてでした」
そんな言葉が何より励みになった。
その後、ドキュメンタリー番組『情熱大陸』で紹介されるなど、探究学舎の独自の教育は話題になっていった。通塾生でなくても参加できる出張イベント型の授業「探究ツアー」は、大阪、広島、福岡など各地で開催。11月初めに品川で開催すると、2000席のホールがほぼ満席となった。
(敬称略)
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴、デザイン・星野美緒)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。