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「28歳のとき本当につらくて孤独だった」でも「好き」を貫いたから今がある。タサン志麻

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タサン志麻

1979年山口県生まれ。大阪あべの・辻調理師学校卒業後、日本の老舗フレンチレストランなどで15年間勤務。2015年フリーランスの家政婦として独立。

撮影:鈴木愛子

ミライノツクリテたちには、連載の最後に「28歳の自分に今、声をかけるとしたら?」と聞いている。

タサン志麻(40)にも聞いてみた。

28歳は2軒目となるフレンチのビストロに勤め始めたころ。苦しかったです。それでも、その時の自分に声をかけるとしたら、「そのままでいいよ」と言いたい。

フランスの家庭料理が好きで好きでたまらなかった。当時は若かったこともあり、24時間、そのためだけに生きていました。30歳くらいまで、1日19時間は働いていたと思います。睡眠は4時間くらい。それでも倒れなかった。体だけは丈夫だったのでしょう。

当時の私は、すごくツンツンした人間でした。今は柔らかいイメージで見られることが多いのですが、調理師時代は自分に厳しく、他人にも厳しかった。同僚が遅刻でもすれば、口もきかない。一度説明したことをなかなか習得できない人の気持ちがわからない。フランス料理に対して、興味があるように見えなかった。

「ここに何しに来ているの?なぜ覚えないんだろう?私だったら家で復習して意地でもマスターするのに」と同僚のモチベーションに疑問を持っていました。そんな人にはジャガイモの皮むきすら任せられない。だったら、私がやる、何時にでも来るから他のスタッフは雇わなくていい、そのぶんは私が働くから、とシェフに進言しました。

私が厳しいせいで、入った人がどんどん辞めてしまう。今思えば、本当に怖い人だったと思います。

人にも自分にも厳しすぎた20代、ずっと孤独だった

タサン志麻

調理師学校時代、不器用な分、人の何倍も努力した。修業時代も休日はフランス語やフランス文化を学んだ。

提供:タサン志麻

そんなふうだったので、いつの間にか店はシェフと私の2人に。店が終わって帰宅して、シャワーを浴びて1時間で戻り、翌日の仕込みをする。また帰宅して少し仮眠をとる。10年くらいはそんな生活をしていました。

毎日クタクタだけど、1時間は勉強して寝ていました。昼休みも15分あれば、5分は本を読む。休日も朝はフランス映画。午後はフランス語学校。浅草に行ってフランス語を話している人を見つけたら、ついて行って話を聞いたり。夜は食べ歩きました。

とにかくフランスが大好きでした。当時、友達はいませんでした。友達と遊ぶくらいなら、フランスの勉強をしたいと本気で思っていましたから。

一度だけ喘息になりました。朝起きたら咳が止まらない。あまりに咳き込んで肋骨が折れたほどです。でも、仕事は休んでいないんです。

医師に「仕込みがいっぱいあるから行けそうにありません」と電話したら、「あなたねえ、死ぬかもしれないんですよ!自覚してください!」と叱られました。仕事場を1時間だけ抜けて点滴を打ちに行きました。シェフは、私の長所も短所も理解してくれていたと思います。「人をうまく使いなさい」とずっと言われていましたが、ついにそうはならなかった。

そうやってフランス料理を追求しながらも、敷居が高くて楽しめない部分を何とかしたかった。フランスから帰国して就職活動中も、1軒目のレストランの後に食品会社でバイトしたときも、ずっと、ずっと「これがやりたいこと?私の知っているフランス料理はそうじゃない!」と日々悶々としていました。

本当に苦しくて、孤独だった。でも、あの辛い時期があったからこそ、今があるとも思えるんです。28歳で妥協して自分のレストランを開いたりしていたら、ずっと悩みながらやっていた気がします。

好きなことをやるんだと決めたからこそ

タサン志麻

撮影:鈴木愛子

自分の思いを変えなかった。それが良かったのでしょう。

なぜ変えなかったのか。それはきっと私の凝り性な性格が影響していると思います。好きなものは好き。何かに興味を持つと、深く入り込む子どもでした。

高校時代、坂本龍馬にハマりました。バレンタインデーに手作りのチョコレートを送ろうと、坂本龍馬記念館に電話したら、「護国寺に眠っているからそこに送ればいいですよ」と。護国寺に送ったら、お寺から返事が来て。それを読んだ母親は真っ青でした。好きな男子にチョコを作っているとばかり思っていたら、幕末に亡くなった人宛ですから(笑)。

好きという想いの強さは、大人になっても変わりませんでした。中学からずっと大好きだったマイケル・ジャクソンが2009年に亡くなった時、私は30歳。ショックのあまり厨房で倒れてしまって。「救急車を呼ぶ!」と慌てるシェフを止め、恥ずかしいのでタクシーで病院に行くと、ショック性の胃けいれんでした。

「何かショックなことがありましたか?」と聞かれ、理由を話したら爆笑されましたね。でも、1年間夜は泣き続け、自分で仏壇を作って花を生け線香を上げていました。悲しすぎて当時はマイケルと同じ髪形にしていました。

そんなだから、本当に好きなフランスの家庭料理を作る夢を捨てられなかった。長かったです。レストランからは逃げたけど、好きなことをやるんだと決めたから、家政婦を始められたんだと思います。

(文・島沢優子、写真・鈴木愛子)

島沢優子:筑波大学卒業後、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』の人気連載「現代の肖像」やネットニュース等でスポーツ、教育関係を中心に執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』など著書多数。

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