シチズンのFTSチームのメンバー。写真右からリーダーの高階拓さん、営業担当の木暮紗也佳さん、製品管理を担当している近葉善さん。
「役に立つ」ではなく「意味のある」時計を。シチズンが次の10年を見据えた一手とは?
シチズンが販売する腕時計「 ATTESA(アテッサ)AT8040シリーズ 」は、これまでに10万本以上を売り上げた名作だ。これをベースにリリースした「FTS(ファイン・チューニング・サービス)」は、ユーザーが自分の好みで腕時計の外観をデザインできるというもの。 受注してから1点1点組み立てるため、職人の技術が必要な文字板や針といった細かいパーツもカスタマイズが可能。光発電エコ・ドライブやワールドタイム電波時計のように高度な品質チェックを要する機能も搭載した。
FTSが提供するデザインの 選択肢は4万通り。けれど「どう選んでも外れはない」という。なぜ今、カスタマイズ腕時計なのか。多様性溢れるプロジェクトチームのメンバーに開発ストーリーを聞いた。
ユーザーが「主体的に使いたいものを選ぶ」時代
FTSには3つのこだわりが。第一に信頼性のあるベースモデルを使用すること。第二にカスタマイズのどのパターンを選んでも決してハズレがないこと。第三に、4万通りの時計それぞれに世界観を持たせること。
子どもの頃に遊んだ玩具は、一緒に過ごすほどに自分の一部になり、思い入れの深い特別な「友達」になっていく。常に身近にあって、使い込まれるほどに特別な存在——。シチズンが開発したFTSが目指すのは、ユーザーにとって特別な存在たりうる腕時計だという。
「お客様にデザイナーとして商品づくりに参加していただき、より主体的に選ぶことで、『モノを買う』というより『コト』に近い体験によって、商品がより愛着のあるかけがえのない存在になるのではないかと」
FTSは、シチズン創業100周年にあたる2018年に発足した、グループ・デジタルイノベーションプロジェクトによって生み出された。なぜ今FTSだったのだろうか。プロジェクトのチームリーダーである高階拓さんは、まさに今だからこその選択だったと語る。
「100周年を機に、私たちはどういった価値をお客様に提供できているのかを問い直しました。既存の商品ラインナップで、果たしてお客様の価値になっているのか、徹底的に検証したのです」
あらゆるマーケットで多品種少量化が進んでいる現在だが、それは腕時計の世界も例外ではない。シチズンの腕時計は3000モデルほど。高階さんは言う。
「それを6000モデルに増やしたからといって、お客様のニーズに応えることにはならないと思うんです」
今、世の中ではどのような腕時計が求められているのだろうか。
「役に立つ」ではなく、「意味のある」腕時計
「経営の意志として 次世代のリーダー候補かつ、バイタリティのある人という基準で選んだら、こういう陣容になりました」と高階さん。
「実は、スマートフォンが一気に普及したころ、時計業界では腕時計市場が大きくシュリンクするのではないかという危機感がありました」
高階さんによれば、アナリストも含め多くの人が、正しい時間を提供できるスマートフォンが、時計の市場を奪っていくことになると考えていたという。
「ところが、過去10年間、国内の腕時計の市場規模は縮小していないのです」
その理由について高階さんは、これまで時計は「役に立つ」ものだと考えられてきたが、実際にはユーザーにとって腕時計の「時間を知る」という機能は必要条件であっても十分条件ではなかったのではないかと話す。
「考えてみれば、時計を買う人は正確な時間を知るためだけに10万円出すわけではない。何かの人生の節目や心理的な変化があったときに、『意味のある』ものとして買われてきたのです」
AIや人工生命といったものに光が当たる一方で、多くの人が豊かさとは何か、幸福とはなにかといったことについて考えずにはいられなくなっているこの時代。人と人との繋がりがより重要なものとなっているように、人とかけがえのないモノとの繋がりも、大きな価値となっていくのではないかと高階さんは言う。
「使えば使うほど磨きがかかっていく。ときには腕元で鼓舞し、持つことで強くなれるような。FTSによってそんな価値を提供できればと考えています」
多様なメンバーによる有機的なチームワーク
「自由闊達にものが言えるようなチーム作りを心掛けました。僕が偉そうにしないように」と言うリーダーの高階さんに、「その通りになってますよ(笑)」と近葉さん。
創業100周年のプロジェクトは、じつは、経営陣からの発案で立ち上がったものだった。「グループ・デジタルイノベーションプロジェクト」という名称で、与えられた課題は「次の10年に向けてなにをすべきか?」。「社長の大号令で始まったプロジェクトなのです」と高階さんは話す。
プロジェクトの立ち上がりは2018年4月。19年7月のリリースまでわずか1年3カ月と、すべてが非常にスピーディーに運んできたのは、経営陣のボードメンバーとダイレクトに繋がり、迅速な決断を下してくれたからこそだという。
加えて、プロジェクトには、製造や技術畑から営業、経理、広告宣伝などグループ企業も含めた会社全体から集められた多様なメンバーが、大きな推進力となった。
例えば、リーダーである高階さんはもともと、技術畑で時計外装の設計などに携わっていた。商品開発への3Dプリンタの導入や、シミュレーション解析の立ち上げ、さらには海外での生産管理なども経験してきた。木暮紗也佳さんは時計店以外の新規流通開拓を担う営業畑出身。近葉善さんはグループ企業の生産現場に近いところで、原価管理など経理の仕事を担当してきた。
「それぞれの現場の文化を知り、肌感覚を持った人材が横断的に集まったことで、プロジェクトをより効果的に、スピーディーに進めていくことができたのだと思います」(高階さん)
FTSは、ネット上でカスタマイズして購入すると、約2週間でユーザーの手元に届く。このしくみを作るにあたっての苦労を近葉さんは、こう語る。
「FTSは、在庫の管理、商品完成までの流れなど、生産現場がこれまで大量生産するために採用してきた方法論とは異なるやり方をとっています。実は、組み立てだけをとっても、FTSでは大量生産の何倍もの時間と手間がかかります。関連部門の方々の力を借り、理解を得ながら、いかに無理なく新しいやり方を実現していくかがポイントでした」
思いもよらなかった展開も見えてきた
FTSを担当したことで「販売店に導入するまでが正念場」という考え方から、視点が変わったと話す木暮さん。「お客様に直接向き合うことになり、よりお客様のための売り方を意識するようになりました」
木暮さんも、それまでの営業のやり方とは異なる状況に挑戦することになったと話す。
「FTSはインターネット上でカスタマイズ、注文できるという商品ですが、時計ビジネスはオンラインだけではまだ弱いところがあり、オフラインでの展開も必須です。FTSの場合、そこに実際の商品が並んでいるわけではありませんから、いかに面白い体験をしていただきながら、ブランド認知に結び付けていけるかが重要になっていきます」
今後は新たな店舗はもちろん、より効果的な形でポップアップショップを出店することによって、認知を広げていきたいという。実際、自社商品購入者へのアンケートでは、約半数がオフラインで商品を知ったと答えていたという。web以外での販売戦略が大きなウェイトを占めるゆえんだ。木暮さんは言う。
「私がこれまで携わっていた営業の仕事では、販売店に導入するまでが主でした。それがFTSに関わってお客様に直接向き合うことになり、よりお客様のための売り方を意識するようになりました」
FTSはリリース後のアンケートでも、ユーザーから高い評価を受けていることがわかっている。主な購入層は30歳以上の男性。「10万円台で本格腕時計がカスタマイズできるのなら高くはないと、複数本購入され、オン・オフで使い分けるという愛好家も存在するとか。
同時に、予想外のユーザーも現れている。もともとメンズ仕様のFTSが、女性ユーザーにも愛用されているというのだ。
「そもそもファッションの世界でボーダーレス化が進んでいることもありますが、大きな文字板が、仕事をしながらでも見やすくていいという意見も届いています」と高階さん。
実は木暮さんも、お気に入りのスーツとコーディネートしたカラーのFTSを愛用している。
「実際に使ってみると、ちょうどいいサイズ感でした。見やすいし、腕が細く見えるっていう利点もあって(笑)」
クリスマスには、それぞれにカスタマイズしたFTSをペアで身に着けたり、さらにはその時計をシェアしたりするモデルも提案していく計画だ。