小林宙さん。「宙(そら)」という名前は、ラテン語「solar」が由来。太陽を意味する。今年9月、初の著書『タネの未来』を出版した。
撮影:鈴木愛子
後関(ごせき)小松菜、白茎(しろくき)亀戸大根、伊豆赤花絹莢豌豆(いずあかはなきぬさやえんどう)—— 。
聞き慣れないこれらは、すべて“伝統野菜”の名前。日本国内の特定の地域の中だけで受け継がれてきたこれらのタネを未来に残そうと、日本中を旅する高校生がいる。
「好きなことはどんどん知りたくなる」
小学3年の時、“タネに親しむ少年”として、農をテーマにした雑誌『のらのら』に登場。
撮影:鈴木愛子
都内の国立大附属高校に通う小林宙(そら)さん(17)。物心ついた頃から、木の実やタネを拾い集めるのが好きだった。両親や祖父にねだってはホームセンターでタネや苗を買ってもらい、自宅の屋上で栽培を楽しむ少年だった。
父親が育った新潟や、祖父の故郷・岩手に帰省するたび、電話帳で地元の種苗店を探して訪ね、東京では手に入らないタネを見つけてはコレクションに夢中になった。中学生になると、日帰りで行ける場所なら1人で“タネ探しの旅”に出かけるようになった。今は泊まりがけで日本中どこでも向かう。
「好きなもののことなら、どんどん知りたくなるし、調べたくなる」
流通が限られているから知られていないだけで、日本各地にはその土地の農家が守り育ててきた個性豊かなタネがたくさんあることにワクワクした。幼い頃から食物アレルギーを抱えていた背景も、「今思えば、タネへの関心につながったかもしれない」。
歴史を調べると、気候変動や外交情勢によって食糧の供給不足が起きた史実にも触れた。生命維持のためにも、タネの多様性は守らないといけないのだと理解した。
一方で、法律の改正や地球環境の変化、農家の後継者不足で、“固定種”といわれる伝統野菜のタネが失われつつある現状も知った。
「一番怖いのは、これまで当たり前にあったものが知らないうちに消えていき、二度と取り戻せなくなってしまうこと。自分なりにできることはないかと、自然と考えるようになりました」
電車を乗り継いでようやく辿り着いた種苗店の軒先で、「ああ、そのタネなら3年前に作るのをやめちゃったんだよ」と言われ、肩を落としたこともあった。
中3で自室にオフィスを開業
自室をオフィスとして使う。入り口には「鶴頸種苗流通プロモーション」の屋号。壁にかかるのは、小学校から続けている書道の入選作品。
撮影:鈴木愛子
「タネを持つ人が多いほど、タネは絶滅の危機から守られる。でも、誰もが僕みたいに各地を回れるわけじゃない。ならば、僕が全国から買い集めた固定種のタネを、欲しい人に売れる仕組みをつくればいいんだ」
そう発想して、中学3年生の2月に開業届を提出。高校進学のための内部試験が終わって「1カ月くらい暇ができた」時期だった。
未成年が事業を始める時には、法定代理人の署名が必要になる。両親に向けて企画書をA4用紙3枚にまとめて提出し、承諾も得た。
実はタネを販売すること自体は、個人でもできる。だが、開業届を出すことで正式な“屋号”を名乗れるようになる。その屋号を商品につける証票(タネの説明や販売者の情報)に記載すれば、買う人に向けての信用度も高くなる。
屋号は「鶴頸種苗流通プロモーション」。「鶴頸」は造語で「かくけい」と読む。小林さんが野菜を育てる畑のある地域が「鶴の形に似ている」と言われる群馬県の「頸(首)」の位置にちょうど当たることが由来。ちょっと古風で読みづらいのも、気に入っているという。
タネを分けてもらう種苗店に連絡するときに「“鶴頸種苗流通プロモーション”の小林です」と話し始めるだけで、取り引きはスムーズに進む。“伝統野菜のタネを全国に流通させる”という目的を遂げるために、起業は必要だったのだ。
仕入れの手法は、飛び込み営業ならぬ“飛び込み買取”。地方の小さな種苗会社はホームページも持っていない場合が多い。電話帳で住所を調べて、突撃訪問して「このタネを分けてほしい」とお願いする。あえてノンアポで行くほうが、警戒されず、社長が会ってくれる確率が高いという。
小分けして売るときの条件を聞き、業界の作法も学びつつ、まとまった量のタネを買って帰る。
「おすすめの種苗店を紹介してもらって、その足でハシゴしたこともありました」
就職しても副業で「細く長く」
小林さんが販売するタネの一部。マンションのベランダでも育てやすい、小ぶりな野菜を中心に扱っている。「袋は“富山の薬売り”をイメージしてデザインしました」
撮影:鈴木愛子
小林さんは新たなタネの開発ではなく、すでにある伝統野菜のタネを“拡散させる”役割を担うことにこだわっている。
15歳で起業という事実に、周りの大人たちは驚くが、「年齢でやることが決まるわけじゃない」と、本人はいたって自然体。現在の主な収入源は、近隣の生花店や雑貨店など5〜8店舗でのタネの委託販売と、育てた野菜の販売。
今後は、藍や綿などのタネの取り扱いや、ネット上でのタネ交換会の企画も計画中。起業から2年経ち、まだ黒字には至っていないが、結果は焦らない。
「タネを専業にする気はなくて、細く長く続けていきたい。だから、就職する時には副業を認めてくれる職場を選びたいと思っています。大学はできれば東京を離れて、哲学や人文学を専攻したいですね。今年の夏休みは北海道に旅をして、アイヌの農耕文化について調べてきました」
根っからの研究気質は親譲り。両親共に20代は大学院生活を長く送り、特に父親は西洋法制史、宗教、ラテン文化、ギリシャ文化にも精通し、趣味の鉄道に関しても語り出すと止まらない。
両親は母方の祖父が創業した町工場で働いており、その上階が自宅。小林さんは両親と祖父、2人の妹と暮らしている。自室として使っている6畳の和室が“オフィス”だ。入り口近くに置かれているのは、タネを保管するための冷蔵庫。
「アイスも冷やせて、友達にもふるまえるから便利なんですよ」
手伝ってもらったお礼はジャガイモ
野菜や苗を運ぶ時に重宝している自転車。前カゴは、10年以上前に幼い自分が乗っていたもの。
撮影:鈴木愛子
気負いのない小林さんは、突出した才能を放つ“スーパー高校生”という印象とは少し違う。むしろ、周りの人たちを頼り、力を借りるのがとてもうまい。
例えば、商品のタネを入れる袋のラベルをエクセルで作って印刷したり、袋に貼り付けたりする作業は、主に剣道部の仲間が担当。「小遣い稼ぎに来てよ。メシもあるよ」と呼んで手伝ってもらうのがお決まりに。
「勉強もあるし、部活もあるし、自分だけでタネの仕事を回すのは無理なんです。だから、頑張れば自分ができることでも、誰かに頼める仕事はどんどんお願いしています。僕にとっては面倒な作業でも、友達にとっては普段やらないことで結構楽しんでもらえるので。
ホームページを作ってくれたのも、挿し絵を描いてくれたのも友達。気づいたら皆が手伝ってくれていますね。御礼もプラスアルファではずみますよ。うちの畑で採れたジャガイモ1キロとか。すると『おいしかったから今度は買わせて』とか言われて、また儲かるんです(笑)」
机にタネを並べながら、終始楽しそうに語る。目先の成功や名声のためではなく、「ただ純粋に、タネが好きで大事にしたいから」という思いでここまでやってきたことが伝わってくる。
ふと、小林さんの肩越しに、ずいぶん年季の入ったタンスがあるのが目についた。
「これ、祖母が満州から引き揚げて来た時に作ったものらしいです。納戸で埃をかぶっていたのを、僕が引っ張り出してきました。相当古いから、年に1度、引き出しにロウを塗らないと開かなくなっちゃうんですよ(笑)。面倒ですけど、せっかく昔から残っているものは、捨てたくないし、使わないのはもったいないと思うんですよね」
古きもの、継がれるものへの敬意と愛着。きっとそれが、タネの未来をつなごうとする17歳を突き動かしているのだろう。
(文・宮本恵理子、写真・鈴木愛子)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。