横浜市立大医学部卒業後、26歳でiPS細胞から「ミニ肝臓」を作る技術を発表。現在は米シンシナティ小児病院准教授と横浜市大、東京医科歯科大教授も務める。
撮影:鈴木愛子
「ミニ肝臓」の発見というブレークスルーをもたらした武部貴則(32)は、再生医療研究で日米を行き来する一方で、新しい領域から社会変革にも挑む。自らが打ち立てた「広告医学(AD-MED)」というコミュニケーション研究だ。「生活習慣病を抱える現代人が、楽しみながら生活習慣を改善したくなる仕組み作り」を試みている。
窮屈な医学から思考を解放する
横浜市立大学にある「コミュニケーション・デザイン・センター(YCU-CDC)」は、見た目にはアートの工房か、プロトタイプを次々と生み出す企業の開発部門の景色だ。センター長の武部自身がぶっちゃけてこう話す。
「ここは組織上は医学部の中に設置されているけれど、医学部には見えないとよく言われます。ここでやっていることは、明らかに従来の医学部のくくりとは違うから。他の医学部の人からしたら僕らのやってることって、わけわかんないっすよね、きっと(笑)」
壁の棚に並ぶのは、センター発の「珍品」ばかり。
メタボリック・シンドロームの基準値であるウエスト85cmを境にして色が変わる仕組みを 組み込んだ「アラートパンツ」。
武部さん提供
ウエストの太さを感知し、色の変化で肥満を警告する「アラートパンツ」。ウイルスを幾何学模様のようにデザインして感染予防につなげる「知らせるマスク」。IDタグが埋め込まれ、特定の場所に行くとメールが届く「歩きたくなる靴」……。
これらは、ヘルスケア分野に人々に行動の変容を促す広告やデザインの手法を取り入れる「コミュニケーション・デザイン」により生まれたプロダクトだ。
全面がホワイトボードになった壁に、武部はおもむろにペンを滑らせていく。描き上げた概念図の中心には、「肝臓病」「肝臓の課題」という2つのキーワード。そこから放射状に線を伸ばし、関連づける項目を書き足していく。
武部は図を指差しながら、「このセンターで僕らがやりたいのは、窮屈な医学のくくりから人々の思考を解放すること」と語り出した。
「食器」や「着る服」も医療の処方箋
「例えば肝臓に問題を抱えた人がいるとしましょう。医学のくくりだと、この肝臓病はこのタイプだからAという薬で治しましょうとか、遺伝子に異常があるから、将来はゲノム編集技術で解決できるかもしれないとか。病気の因数分解から、『じゃあ、テクノロジーをあてがいましょう』みたいな発想になりがちです。
でも、そもそも肝臓の問題は、それぞれのケースから抽出される課題の問題として捉えられるべきで、その処方箋は無限に考えられるはず。ナトリウム食を抑えるという課題だったら食器や運動促進や着る服など……」
市民向けの講演会で。病気か健康かの二択ではなく、「生きる」という広い文脈で病気とどう向き合うかを考える時代だという。
武部さん提供
武部は、「医療はもっと、医学部や医学書という枠組みから自由になっていい」とも言う。
「世の中には既に、こんないいモノあるじゃん」「こういう風に使い方やデザインを工夫すれば、人の意識は自然に変わって行動も変わるんだね」といった、課題を因数分解して解決法を創発していくアプローチが、武部の提唱する「広告医学」。従来の医学書にはない、「コミュニケーション・デザイン」による医療課題の処方箋なのだ。
だから、YCU-CDCの常勤職にはデザイナーも在籍する。アドバイザーとして、世界的に著名な医学研究者や、広告クリエイター、クリエイティブアートの専門学校教師、ベンチャーキャピタリストをはじめ、多彩な人材が名を連ねる。
スタートは“妄想”でいい
武部はこうした社会的活動を始めて10年になる。広告医学の概念自体は大学2年生の頃から考えていたのだが、最初は鳴かず飛ばず。「一時的にはパッと話題になるんだけど、全然広まらないし続かない」のが悩みだった。
学生主催でシンポジウムを開いても、いっときNHKや全国紙でニュースになって、それで終わりに。
「持続的に世の中へ実装するには、“仕組み化”していくことが必須だなと」
学部3年の時、一つの試みで成果が得られた。武部が市民への“医育”活動を横浜市に提案したところ、政策として通ったのだ。それが地元の小中学校に医学科や看護科の学生が出向く訪問授業のプロジェクトであり、今も継続している。こうした“仕組み化”の決定版として2018年、武部は「新しい医療を定義する拠点」と位置づけたYCU-CDCを、正式な組織として発足させた。
武部はスタートは“妄想”でいいと、少年のような笑顔を浮かべてこう話す。
「妄想からできる医療(笑)。僕も日々、いろいろ妄想しています。駆け出しの芸人さんとコラボして、全国の病院に笑いと元気を届けよう、とかね」
「ストリート」発の“医療プレイヤー”を
撮影:鈴木愛子
4年前には電通と組み、横浜シーサイドラインの駅の階段にトリックアートをデザインした「上りたくなる階段」を作った。狙いは運動不足解消のため、人々の動線をエスカレーターから階段に変えること。データ解析する実証実験も行い、日を追うごとに階段を利用する人が増えていることも証明できた。
「階段を1段上がるたびに、もっと先の絵を見たくなる。これも、クリエイティブな手法による処方箋の一つ」と武部は言う。
トリックアートを利用した階段。
武部さん提供
その後、大学病院の待合室をアートの空間にして和んでもらおうと、広い天井に曽谷朝絵の幻想的なアニメーション作品を投影するなど、数々の仕掛けを展開している。
最近では、製薬会社やゲーム会社の人とフォーラム会場で交わした何気ない会話がきっかけで、「医療×ゲーミフィケーション」というコラボ企画も生まれた。それから数カ月後の2019年8月には、横浜市大、東京芸術大学、アステラス製薬の産学連携によるバーチャルな枠組み「Health Mock Lab」を発足。
そんな猛烈なスピード感も、武部ならではだ。
「アイデアを着想したら、大事なのは社会に提起するということ。継続していくためには、パートナーとなる別のプレイヤーを見つけ、インスパイアし、巻き込んでいく」
教育事業にも着手する。
この7月からは「ストリート・メディカル・スクール」を開校。医療を「ストリート」にまで開く意味合いで名付けた。クリエイターと医療従事者を志す学生たちが集い、毎月東京で特別授業を行う。
「従来の医学部からズレた人たちをミックスさせる学校で、これも、“仕組み化”の一環」と武部。巣立った人材が各々の現場から“巻き込み”を実践し、新しい医療を創ることが一つのカルチャーになるところまで持っていこうと考えている。
「生活習慣病は、人類が歴史の中で積み上げてきた医療体系が通用しない病気とも言える。医療を新しい時代にフィットするものに更新していくのを手伝いたい。医療の創り手として、誰もがプレイヤーになれる時代が来るのだから」
(敬称略)
(文・古川雅子、写真・鈴木愛子)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。