撮影:鈴木愛子
再生医療研究の世界が今、揺れている。
日本ではiPS細胞を備蓄する「ストック事業」への予算を、国が打ち切るという動きもあった。結果的に予算は継続されたが、関係者からは困惑の声も漏れてくる。
連載シリーズ「ミライノツクリテ」5回目となる今回は、日米に拠点を置く再生医療研究のフロントランナー・武部貴則(32)に、独創性を育む人材育成や研究環境づくりへの問題意識について語ってもらった。
僕は24歳の時の決断で、「医者じゃない医者」になりました。白衣を着ない僕に今できることを最大限にやろうと、いろんなことに手を伸ばしています。
まず、「自分、もしくは自分の所属している組織にしかできないこと」を見定めることが大事だと思うんですね。前回お伝えした「広告医学」という医療の再構築の実践も、「境界領域を自由にまたげる僕」「医療研究に携わり、患者家族の経験もある僕」にしかできないことだという自負を持って取り組んでいます。
次に大事なのが、「未来」に見定めたゴールから逆算して「現在」すべきことを見つめる、「バックキャスティング」の思考法。「未来」と「現在」にギャップがあれば、壁を崩すことも厭わない勇気が必要です。
私費を投じて研究財団をつくる理由
今、僕は新たに、私費を投じて研究助成の一般財団法人を作ろうとしています。日本の研究のあり方そのものを変えたいからです。
僕は、日本の医療研究の「未来」を描く時、多様な人材が自由に泳ぎ回って、存分に独創性を発揮できる環境であって欲しいと願っています。でも残念ながら、「現在」はそうではありません。今こそ“踏み出し”が必要だと判断しました。
新しいことに踏み出す人たちの研究環境って、日本だと「ほぼない」というのが僕の実感です。これでは独創性のある人は育たない。日本では基礎研究費が年々削られ、この先どうなるのかと心配しています。僕自身も、「ミニ肝臓」の最初の発見以降は、基礎研究に関しては研究助成が潤沢なアメリカで行っているのが実情です。
僕が拠点のひとつにしているアメリカでは、ローカルの投資家たちと食事会で顔を合わせる機会はよくある。そこで会食しながらプレゼンを重ねるうちに、5億円ぐらいの単位でポーンと助成が決まることだってあります。
日本では、研究者が投資家や社会貢献したい裕福な人たちとつながる機会って、ほとんどないんです。研究者と社会を橋渡ししていくことで、日本の研究環境はだいぶ変わっていくのではないでしょうか。
日本は「研究が死んでいる」
ノーベル賞受賞の常連国でありながら、日本は科学分野の基礎研究費が細って いる。今後は国際的な研究者が輩出できなくなるのでは、と懸念されている。
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日本の研究助成って、国のプロジェクトがメインですよね。
国プロのあり方って、僕は方向性が違うなと違和感を覚えることが多々ある。何よりおかしいなと思う点は、国が「このテーマを研究しなさい」とフィールドを決めて、フィールドに合わせるような研究者の提案を求めるところ。自由な発想のテーマにお金を出そうという発想がない。
例えば、日本人が免疫抑制を阻害するがんの治療法を発見してノーベル賞を受賞すると、途端に「がんの免疫に関する研究を募集します」と方向性が示されます。それに合わせて、研究者も一斉に同一テーマに合わせた研究を考え、応募する。
それって、新しい創発をする研究のプロセスとしては、本来あるべき姿とは真逆の方向性なんですよ。なんで国の重鎮のような、年配者が立てた目標設定に僕ら若手が合わせてやんなきゃいけないんだ?という疑問もある。若い人やクリエイティブな世代というのが、チャンスをつかめる構造になっていないですね。何が言いたいかというと、日本は完全に「研究が死んでいる」んですよ。
同じ人物がイノベーションを起こす
イノベーションは予測困難でも、イノベーターは予測できる、という。
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イノベーションって、成功して初めて認定されるものだから、予測はできないんです。水物ですから。
でも、「イノベーター」は予測できる。過去に力のある仕事を為せた実績のある人は、繰り返しいい仕事をする確率は高い。
例えば、大学教授のポストにある人でも、国際的に評価の高い『ネイチャー』とかに論文を出したことがない人って、一生涯『ネイチャー』には論文を出さないんですよ。でも、何回か出した経験のある人は、繰り返し出し続ける。論文偏重の評価が良いとは全く思わないですが、『ネイチャー』『サイエンス』『セル』といった定評のある科学誌に論文が繰り返し出る人がイノベーションを起こせる可能性は、それなりに高いと考えます。少なくともひとつの判断基準にはなる。
僕は、「同一人物が繰り返しイノベーションを起こす可能性は高い」という仮説にお金をつけていけば、イノベーションの底上げにつなげられると考えます。一つの財団で使える費用は限られると思うので、ある程度領域は絞らないといけないとは思っていますが。
ものすごく極端なことを言えば、有能な研究者個人に資金をつける研究開発組織が増えてくれば、研究機関としての大学は要らなくなるかもしれない。そうしたら、大学は教育と研究という風に機能を分けてしまえばいい。
これからの研究は国頼みでなく
「好き」を突き詰めるのが武部流。学生時代から通う横浜のラーメン店「満洲軒」で頼むの は、いつも同じメニューだ。
撮影:鈴木愛子
大学の教授って仕事が山ほどある。今も教育できる人と研究できる人は、能力的に分かれているのが現状です。研究肌の人が中途半端に教育に携わったり、逆に教育肌の人が「研究がゼロだとまずいから」と研究の真似事をしてみたり。
そういう建前で無駄なお金を使うのは、効率が悪いと僕は思う。
日本の環境を変えるためには、国頼みではなく、研究者が直接社会とつながっていくルートを新たに築くべきだというのが僕の考え。その実現のために財団をつくって、まずは自前で資金調達をします。うまく運用して、いい人材に助成金を出し、その人に自由に研究させる。自由に新しい開発をさせる。まだ、理事を選んでいるフェーズでありますが、そんなプロジェクトを進めているところです。
これから研究のあり方というのは、むしろ複数の大学、複数の機関で協力して行うものに変わっていきます。「やりたいこと」に応じてチームやフレームをフレキシブルに組めるようなモジュール作りが、日本にも必要になってくると僕はみています。
今こそ、独創性を殺さない仕組みを私たち1人ひとりが考えていくべき時。多くの人に、「あるべき未来」から逆算する思考法をフルに使って欲しいと願っています。(敬称略、完)
(文・古川雅子、写真・鈴木愛子)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。