2020年4月、世界で注目されているフランス発のITエンジニア学校「42」が東京に開校する。
提供:DMM.com
DMM.comが2020年4月に開校するITエンジニア学校「42Tokyo」が話題を呼んでいる。2013年にフランスで発祥した「42」の東京校で、「誰でも平等に挑戦できる」という理念のもとに、学費無料でプログラミング教育を受けられる。
学費無料、ユニークな教育システムと“卒業生たち”(厳密には卒業という概念はない)が世界的な企業で活躍していることもあり、注目度を高めている。
2020年4月に東京でも開校
六本木にあるオフィスビルの一角で「42 Tokyo」は開校。既にフロアにはパソコンが並ぶ。
撮影:大塚淳史
日本に42を誘致することを決めたDMMの亀山敬司会長は、10月末に行われたマスコミ向けの説明でこう語っている。
「お金がなくても学歴がなくても、本来であればいろいろなチャンスがあるはず。(中略)42では無料で教育を受けられる。お金がなくても一流のプログラミング教育が受けられる。社会貢献的なことをやりたかった」
基本的に、学校の運営費はDMMとスポンサーが拠出してまかなうが、将来的にはフランス同様、卒業生などの寄付で回していく構想を亀山会長は明かしている。
事務局長は42の経験者
「42 Tokyo」について説明する事務局長の長谷川文二郎さん。
撮影:大塚淳史
現在、開校に向けて奔走しているのが、事務局長の長谷川文二郎さん。2月にフランスの42で入学試験「ピシン」を受けて入学が認められ、4月から数カ月間学んできた。
「42が素晴らしいのは、『課題解決型学習』であることや、学生同士で教え合ったり、答え合わせをしたりする『ピアラーニング』の仕組みです。
42にはカリキュラム、教師、参考書がありません。与えられた課題を解き、答え合わせをして、また難問に取り組むのです。4週間かけて行うピシンも同様の仕組みで、他の受験生と一緒に難しい課題を解きました。
私はプログラミング初学者だったので大変でした(笑)。でも、頑張れば解くことができる、絶妙な具合いの課題を出してくるので、解いていくと面白くなっていくんです」
42で学べる主な領域。ひとつ課題を解決するごとに、さらなる難問に進むことができる。
撮影:大塚淳史
長谷川さんの場合は、まずC言語の課題から始まり、ひとつの課題に1〜2週間ほどかけて取り組んだ。
その「答え合わせ」の仕組みが面白い。42のシステムがランダムに選んだ他の学生と直接対面し、一緒になって自分の書いたコードを答え合わせしていく。逆に、他の学生が答え合わせをするとき、自分が対面相手を担当することもある。これは42の根幹となるシステムで、プログラミング初学者だった長谷川さんは、その効能を次のように説く。
「やはり最初は怖かったです。初学者なので、自分の書いたコードをより完璧にしてから他の学生に見せたいという思いが強い。でもそれではいつまでも前に進めないので、ともかく答え合わせに向かうしかないのです。
また、自分よりレベルの高い課題を解いた学生の答え合わせの相手として、システムから担当を割り振られたときは、自分には何もわからないので教えられません。当初は抵抗感がありましたね。
結果としては、対面した相手から『君はまだ初学者でわからないのだろ?』とずばり指摘され、逆に、これはこう解くんだと丁寧に教わりました。自ら学ぶだけでなく、教えることによって“腑(ふ)に落ちる”のを体感しました」
ただ単にプログラミングを学んでいくだけでなく、ともに教え合い、答え合わせすることで、コミュニケーション能力も高められたという。
異色の経歴、長谷川さんが事務局長にたどり着くまで
42の教育システムはユニーク。学生同士で教え合う、学び合う。
撮影:大塚淳史
長谷川さんは数カ月学んだのちに、日本に戻って開校準備に携わり始めた。その事務局長となるまでの、文字通り「異色」の経歴を紹介しておきたい。
長谷川さんは神奈川県の高校を卒業し、大学へ入学したものの、「自分の希望するところではない」と1年もたたずに中退してしまった。
すし職人なら高収入で海外で働ける、と専門学校への入学を考えたが、入学費が高すぎて断念。個人のすし屋に弟子入りした。「カフェで面接であって、『坊主頭にしたら明日からオッケー』と言われて丸刈りにしました」(長谷川さん)。
ところが、仕事で悩むことがあり、最終的に体を壊してしまい半年で辞めた。
「拘束時間の少ないスローな仕事をしたいと思い、知り合いのつてで植木屋の手伝いを始めたんです。落ち葉集めをしたり、木を切ったり。仕事は午後5時に終わるので最高でした。ただ、植木屋は繁忙期が夏と冬しかなく、閑散期には収入がない。
当時の僕は人生あきらめモードになっていて、何かやったことがないことをやろうと思い、埼玉県にある『リバ邸大宮』というシェアハウスに住んでみました。家賃2万5千円と安く、白米も無料で食べられるし、Wi-Fiもある。草刈りでもすれば生活できるかと」
長谷川さんがまだ20歳前後の話だ。人生はそこからさらに思わぬ方向に転がっていく。
「『リバ邸大宮』の大家さんが持っている土地で、(タレントの)キングコング西野亮廣さんが(まちづくり)プロジェクトで開墾するみたいなのがあって。竹やぶだらけの現場をちょっと見に行ったら、皆さんノコギリを引くのが下手だったので、代わりに切ってあげました。
すごい人みたいにチヤホヤされてついうれしくなり、ひたすら竹をノコギリで引いていたら、だいぶ重宝されて(笑)。そのうち、西野さんのそばにいた1級建築士の方から声をかけられて、手伝うようになったんです」
アートチーム、DMMアカデミー、そして「42 Tokyo」へ
「42 Tokyo」のフロアからは東京タワーが見える。
撮影:大塚淳史
長谷川さんは1級建築士の仕事を手伝っていくうち、設営などの仕事を覚えていき、現場をまかせられるようになった。さらにその1級建築士のチームがメディアアートのハッカソンで最優秀賞を受賞し、茨城県で開催される芸術祭のアートプロジェクトをまかせられ、仕事が増え始めた。
その頃、長谷川さんにある問題意識が芽生えた。
「当時のアートチームには儲ける仕組みがなかった。チームを存続させるにはどうしたらいいのかと悩んでいたちょうどその頃、DMMアカデミーがローンチしたんです。
それまで職人っぽい仕事を続けて続けてきたけれど、ここでビジネスを学べば役立つかもしれないと思って。また、それまでは年上と接する機会が多く、同世代と知り合いたいという思いもあって、アカデミーに入りました」
DMMアカデミーは、2016年12月から2019年5月まで存続した、亀山会長によるビジネス私塾。アカデミー生になるとDMMの契約社員となり、給料をもらいながらビジネスを学ぶことができた。
かなり自由な学習環境で、亀山会長や他の学生たちと話し合ってやることを決めたり、DMMの仕事を手伝ったりという形で、実践的にビジネスを学べたという。
そこでの経験が長谷川さんに新たな意識を植え付けた。
途中からアカデミーの運営にも携わるようになっていき、システムの難点などを自分なりに考える機会が増えた。他国の教育機関を調べたり、アカデミー生らと話し合ったりしているうち、フランス発の話題の教育機関を知った。それが42だ。
「アカデミーでは、せっかく学んだことをシェアするにしても、スケールの中心が(運営に携わる)自分になってしまい、広がりがないことを問題に感じていました。
その点、42はスケールの中心にシステムがあるので、特定の人間にストレスがかかりすぎないようになっていて、素晴らしいと思ったんです」
1月から3回に分けて入学試験
「42 Tokyo」事務局長の長谷川さん。
撮影:大塚淳史
DMMアカデミーという実験に取り組んでいた亀山会長は、同じように革新的な教育システムと理念を持つ42に関心を持ち続けていた。日本に持ち込むこと決めたとき、かねてより42に熱い思いを持っていた長谷川さんに事務局長をまかせたわけだ。
11月からウェブ上で入学応募を受け付けており、オンラインテストに通過すれば、2020年1月から3月までの3回に分けて、長谷川さんも受けた入学試験「ピシン」を受けられる。受験生たちは4週間かけて課題を解いていく。
長谷川さんは、無数のパソコンが並ぶフロアを目にしながら、42 Tokyoの開校を待ちわびている。「ワクワクしてます、早く始まってほしいですね」。
長谷川さんの異色の経歴と熱い思いに触れたことも大きいのかもしれないが、42 Tokyoは日本の既存の教育システムに一石を投じる可能性を秘めているように感じられた。
(文、大塚淳史)