「赤鼻のトナカイ」は百貨店の販促グッズの塗り絵帳から生まれた

百貨店のコピーライターが、赤鼻のトナカイ「ルドルフ」を生み出した。

百貨店のコピーライターが、赤鼻のトナカイ「ルドルフ」を生み出した。

LMPC via Getty Images

  • 「赤鼻のトナカイ」のストーリーは、百貨店の販売促進から生まれた。
  • 今はなきシカゴの百貨店、モンゴメリー・ワードが1939年、ホリデー・ショッピング・シーズンの際、子どもたちに塗り絵の絵本を無料で配布することにした。
  • コピーライターのロバート・L・メイは、絵本に載せる詩を書くことを任された。
  • メイは、子どもの頃にいじめられた自身の経験を生かし、鼻のことで仲間外れにされる小さなトナカイのキャラクター、ルドルフを作った。
  • ルドルフは大人気となり、モンゴメリー・ワードはこの年、塗り絵帳240万部を無料で配布した。

サンタクロースの8頭のトナカイの名前は、ダッシャー(Dasher)、ダンサー(Dancer)、プランサー(Prancer)、ビクセン(Vixen)、コメット(Comet)、キューピッド(Cupid)、ドナー(Donner)、ブリッツェン(Blitzen)。では、最後に加わった最も有名なトナカイ「ルドルフ」が生まれたのは、かつて存在した大手百貨店のおかげだったということをご存じだろうか?

「赤鼻のトナカイ(Rudolph the Red-Nosed Reindeer)」の誕生は、1939年まで遡る。主役はロバート・L・メイ(Robert L. May)という名のコピーライター。メイはシカゴの百貨店で通販販売も手掛けるモンゴメリー・ワード(Montgomery Ward)で働いていた。

当時の百貨店は、ホリデー・ショッピング・シーズンの際、子どもたちに塗り絵の絵本を無料で配布するのが恒例だった。『Rudolph the Red-Nosed Reindeer: An American Hero(赤鼻のトナカイ:アメリカのヒーロー)』の著者、ロナルド・D・ランクフォード・ジュニア(Ronald D. Lankford, Jr.)によると、メイが担当したのは、その冊子に載せる詩を書くことだった。

この仕事に取り組んだのは、彼にとって特に悲惨な時期だった。妻のエブリン(Evelyn)が7月にがんで亡くなり、幼い娘を育てるために借金で首がまわらない状態。だがこうした困難を乗り越え、彼は子どもの頃にいじめられた自身の記憶を生かして、光る赤い鼻のトナカイの物語を、1823年に発表された古典的な詩『サンタクロースがきた(A Visit from St. Nicholas)』と似た韻律で書き上げた。

1939年、ルドルフの詩が載った冊子が買い物客に配られると人気になり、その年には240万部、1946年に再発行されたときはそれを上回る360万部が配布されたという。そして驚くべきことに、モンゴメリー・ワードの社長、シーウェル・アベリー(Sewell Avery)は1946年末、仕事に対する正当な報酬を受け取ることができるようにと、詩の権利をメイに譲渡した。

Stories Behind the Greatest Hits of Christmas(大ヒット・クリスマス・ソングの裏話)』の著者、エース・コリンズ(Ace Collins)によると、ルドルフの誕生から10年後、メイの義理の兄弟であるジョニー・マークス(Johnny Marks)が、詩に合わせて曲を書いた。1964年には、ランキン・バス・プロダクション(Rankin/Bass Productions)がこの話をもとにしたストップモーション映画を発表した。

モンゴメリー・ワードは2001年に閉店したが、赤鼻のトナカイは今なお、世界で最も有名なクリスマスのキャラクターだ。

[原文:Rudolph the Red-Nosed Reindeer has a festive retail origin story

(翻訳:Ito Yasuko、編集:Toshihiko Inoue)

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