中村哲医師の死は愛するアフガニスタンへの最後の訴え。経済水準はすでに10年前に逆戻り

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2003年8月、アジア地域で大きな社会貢献を果たした人に贈られる「マグサイサイ賞」を受賞した中村哲さん。フィリピン・マニラにて。

David Greedy/Getty Images

12月4日の14時過ぎ、打ち合わせの最中に編集長の浜田敬子からメッセージが飛んできて、中村哲さんが銃撃されたことを知った。

すでに国内海外問わず多くのメディアが報じているように、中村さんはアフガニスタンで40年近く医療や人道支援を続けてきた医師だ。

「命に別状ないことを祈るばかり」と編集長には返信したが、いま思えば完全な嘘だ。心の中では、助かるまいと感じていた。およそ2時間後、同僚編集者の山口佳美が「中村医師死亡」の報道を伝えてくれた。

「中村さんが死ぬ」と思ったのは直感や霊感ではない。帰国を挟んで2001年から足かけ2年をアフガニスタンやパキスタンで過ごした自分の経験と、ここ数年の同国の治安状況を頭の中で重ねたとき、銃撃事件を生きのびる老医師の姿がまったく想像できなかったからだ。

イスラム圏のテロ情報に詳しい軍事ジャーナリストの黒井文太郎さんに連絡を入れた。「アフガン政府と関係の深い外国人なら手当たり次第、くらいの感覚のヤツは向こうにいくらでもいる」と、身も蓋もない見解。しかし、まったくその通りだ。

そういう厳しい現実を最もよく知る日本人のひとりが中村さんであったし、私の勝手な推測だが、中村さんもこんな日が来るかもしれないことは覚悟していただろう。

危険と緊迫感に満ちたアフガニスタンの日常

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パキスタンからアフガニスタンに入る国境直前の街ペシャワール。アフガニスタンの主要民族のひとつパシュトゥン人も多く住む。

Shutterstock.com

私が初めて記者としてアフガニスタンに足を踏み入れたのは2001年。

同年9月に起き、1万人近い死傷者を出した同時多発テロ事件の報復として、アメリカを中心とする有志諸国連合はテロ首謀者のオサマ・ビン・ラディンをかくまったアフガニスタンのタリバン政権を攻撃。私が隣国パキスタンの首都イスラマバードに到着した11月半ば、タリバン政権は崩壊し、そのまま連合軍による駐留と治安維持が始まった。

先輩記者たちが向こうへの渡航を支援してくれたこともあるが、何より大きなきっかけになったのは、当時読んだインタビュー記事で中村哲さんが「日本メディアは欧米メディアに頼りすぎている」と語っていたからだ。

好奇心に満ちた、20代半ばの駆け出し記者だった自分の胸を、中村さんの言葉が撃ち抜いた。

そこから先に経験した異国での信じがたい日々を語るのは、本稿の目的ではない。ただ、あれから10数年が過ぎたいまでもフルカラーで昨日のことのように思い出せる、いくつかの光景をあげておきたい。

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アフガニスタンとパキスタンの国境に位置するカイバル峠。検問は一見厳しそうだが、賄賂が横行している。麻薬の密貿易の抜け穴としても長年問題視されてきた。

REUTERS/Ali Imam

パキスタンとアフガニスタンの国境に近い中核都市ペシャワール北部の山村で、タリバン兵に志願する若者たちと夜を徹して語り合ったときの、彼らの燃えるようなまなざし。

国境にそびえる要害カイバル峠の検問所で、喉もとに突きつけられたカラシニコフ銃の冷たい銃口、どんなに手で押さえつけても止まらなかった両足の激しい震え。

首都カブールの澄み切った真冬の空気のなかで歯みがきをしていると、突如低空飛行でやって来た米軍ヘリの鋭い回転翼音、その直後に放たれた閃光、立ち上がる爆煙。

流暢な英語を操り、日本人を尊敬していると言って近づいてきたひとりのアフガン人。のちに私が現地で乗っていた中古車を乗り逃げして消える彼から感じた、いまにも破裂しそうな憤怒の力。

明日にも逃げ出したくなるような危険と緊張感で満たされたあの国で、中村さんは数十年もの間、感染症の治療や、枯渇した井戸の再生、灌漑用水路の整備を続けた。

それは、現地の空気をそれなりに知る私に言わせれば、立派だとか頑張ったとかの世界ではなく、奇跡だ。

空爆前後の水準まで経済状況が悪化しつつある

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12月4日、中村さんが銃撃されたアフガニスタン東部ジャララバードの現場の様子。右奥の車が中村さんの乗っていた車両。

REUTERS/Parwiz

カブールとペシャワールのほぼ中間点に位置する、中村さんの活動拠点ジャララバードは、私が初めて訪れた2001年には(内戦や極度の干ばつによって)砂漠化が進行していた。いまやそこに水源と水路が整備され、100万本以上の木が植えられ、緑の農地が広がっている。

でも、命を賭した中村さんの取り組みも、本人が「私たちが関われるのは、広大なアフガニスタンのごくわずかな地域である」(ペシャワール会報74号)と書いているように、残念ながら同国の退廃をとどめる大きな力にはなり得ていない。

アメリカの超党派組織、外交問題評議会(CFR)が運営する紛争情報サイト「グローバル・コンフリクト・トラッカー」によると、アフガニスタンにはいまだに米軍が約1万2000人、北大西洋条約機構(NATO)軍が約1万7100人駐留を続けている。また、アメリカ1国だけで2001年以降、治安維持や人道・開発支援などに188億ドル(約2兆円)もの資金を投じている。

多国籍軍の駐留によって社会状況はいくらか安定し、海外に逃れていた避難民らも帰還した結果、2001年に2100万人だった人口は2018年時点で3700万人まで増えた。国内総生産(GDP)も2002年の40億ドル(約4300億円)から、2012年には5倍増の200億ドルまで向上した。

ところが、2013年以降はGDP成長率が急激な停滞を迎え、2018年には1%まで落ち込む。結果として、2018年のGDPは2012年と同水準にとどまり、1人あたりの国民総所得(GNI)は2012年の630ドル(約6万8000円)から2018年に550ドル(約6万円)へと悪化した(上記経済データの出典はいずれも世界銀行)。

問題は経済だけではない。国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)によれば、2019年は1〜3月だけで1700人超の市民がテロや戦闘の犠牲になっている。日本の外務省は、首都カブールを含むアフガニスタン全土に「レベル4」の退避勧告を出している(2019年12月5日時点)。

治安の悪化とそれが生み出す経済の停滞がこのまま続けば、あるいはいまより悪化すれば、アフガニスタン国民の生活環境は中村さんが取り組みを始める以前より厳しくなる可能性が高い。

アフガンの人々がいま考えていること

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冒頭の写真と同じ、「マグサイサイ賞」受賞時の中村哲さん。左から2番目。

David Greedy/Getty Images

アフガニスタンの人々は、中村さんの死をきっかけに何かを考え始めている。

同国の主要民族パシュトゥン人で、隣国パキスタンの政治家であるアフラジアブ・カタックは、中村さんの死を惜しむ国民の声を受けて、こうツイートしている。

「テロ組織やそれを支援する覇権主義者たちが、支援活動にあたる外国人をターゲットにすることで、アフガニスタンを孤立させようとしている。平和への議論を行うなどと言いながら、いつまでたってもアフガンの独立と発展は見えてこない。(中村さんのように)言葉だけでなく行動せよ」

次は、アフガニスタンの作家で政治活動家のシャフィーク・ハンダム。

「またアシュラフ・ガニ大統領の失策だ。高潔な客人にして英雄でもある中村先生を死なせた。危険は予見できなかったわけではない。ガニ大統領は我が国の価値ある資産を守れなかった。これはすべてのアフガン人にとっての悲劇だ。大統領には、中村先生の命に報いる行動が求められている」

同国で女性の教育と起業を支援する団体を運営し、緒方貞子さん(故人、元国際協力機構理事長)も授与された「マラライ勲章」のシャバナ・バシージ=ラシーフはこう嘆く。

「中村先生の冥福をお祈りします。胸が引き裂かれる思いです。先生が亡くなられたことを知ったナンガルハル(ジャララバードの位置する州)の人たちのことを考えると、どうしていいかわかりません。あなたを殺した人たちを止める能力がなかった私たちを本当に恥じています。いつになったら、私たちはきちんと生きていけるのか」

中村さんが息を引き取った日の夜、ナンガルハルの住民たちは街の広場に集まり、その死を悼んだ。下のツイートは、米ラジオ局ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の記者が撮影した現場の様子だ。

その場に居合わせたアフガンの若い友人が翌日、Facebookを通じてメッセージをくれた。

「中村哲さんを“日本人の支援関係者”だなんて誰も思ってない。そっち(日本)にいたら、家族との幸せに満ちた、安定的で裕福な人生を送れたはずなのに、それを捨ててアフガンに来るだなんて、よほど愛してなかったらできない。僕らの“大事な友人”をこんな形で死なせて、これから何も変わらなかったら、こんな国滅びたほうがいい」

青臭いようだが、中村さんの死がアフガニスタンの人々の背中を後押ししてくれることを、心から信じている。世界中から発信された、数え切れないほどの「#Nakamura 」ツイートを、トレンドで終わらせてはならない。

(文・川村力)

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