AWSの年次開発者会議「re:Invent 2019」の基調講演で、F1は「2021年のレギュレーションに合わせたコンセプトカー」の開発とAWSの関係を説明した。右の車が2021年を想定したF1カー。
撮影:西田宗千佳
「F1」こと FIA Formula One World Championship(F1世界選手権) 。実は2021年に向けて、大きな改革の真っ只中だ。
F1はクラウドサービスであるアマゾンウェブサービス(AWS)の年次開発者会議「re:Invent」の基調講演に2018年、2019年と連続して登壇している。2019年は、11月に発表された「2021年のレギュレーションに合わせたコンセプトカー」の開発にAWSがどう活用されたか解説された。
モータースポーツとクラウド、一見関係が薄いように思えるが、冒頭で述べた「改革」、デジタル・トランスフォーメーションを支えているのがAWSだ。
なぜF1の改革に、クラウドが使われているのだろうか?
F1チームのフェラーリやウィリアムズでエンジニアを務め、現在はF1のエキスパート・テクニカルコンサルタントであるロブ・スメドレー氏に聞いた。
Formula Oneのエキスパート・テクニカルコンサルタントであるロブ・スメドレー氏。基調講演登壇後、単独インタビューを行った。
撮影:西田宗千佳
2021年のF1では「バトル」が増加
F1を主催する国際自動車連盟 (FIA)は、10月31日に、2021年のF1のレギュレーションが承認されたと発表。その時同時に公開されたのが、前掲のF1カーだ。これは、2021年のレギュレーションに沿ったコンセプトデザインカーであり、F1側から提示された将来像といっていい。
2021年のF1カー。F1自身が新レギュレーションに合わせて開発した「一つの解釈」だ。
撮影:西田宗千佳
「レギュレーションにはさまざまな解釈があり、解釈はチームによって違います。我々が提示したのは一つの解釈、といっていいでしょう」
スメドレー氏はそう説明する。
「各チームは2021年向けのマシンを開発している最中であり、お披露目にはまだまだ時間がかかります。それよりも先に我々がコンセプトデザインを示したのは、確かに珍しいことです。本質的にはF1のマーケティングが目的です。
2021年にはF1に空前の変化が起きます。我々は、空力設計のために必要な情報をすべて持っていました。ですから、変化の大きさを、実際に車を見せることで、分かりやすく伝えたいと思ったわけです」
今回のレギュレーション変更は、F1を「もっとスポーツ的でスペクタクルなものにする」(スメドレー氏)。端的に言えば「追い抜きやすくなり、ドッグファイトが増える」ということだ。
現在のレギュレーションでは、「追い越しは難しく、接戦も難しい」とスメドレー氏は言う。
たった0.5秒の差でも、40%の「ダウンフォース」が失われる
2台のF1カーが近づくと、前の車からの乱流の影響で、後ろの車の「ダウンフォース」が失われる。ダウンフォースとは空気の力で車体を地面に押しつける力だ。これによって車は路面に対し効率的に力を加えることができ、(曲がりくねったコーナーなどを)より速く走れる。
レーシングカーはダウンフォースによって路面に押しつけられて効率的に加速するが、後方には乱れた空気の渦を生み出す。
撮影:西田宗千佳
コンピューターのシミュレーションによると、車の後方には乱れた空気の「ウェーキ(引き波)」が出来て、これが後ろの車のダウンフォースを大幅に減らす。現在のレギュレーションでは、前を走る車とのタイム差が1秒だと30%、0.5秒だと40%ものダウンフォースが失われているという。レースの大半は、最高速が出るストレートではなく、コーナーが締める。
コーナーで追い抜こうとしても、(ダウンフォース低下でグリップが減り)速度が出ないので、なかなか追い抜けない。
追い抜こうとして前の車の後方につけると、ダウンフォースは大幅に減少する。前の車とのタイム差が1秒だと30%、0.5秒だと40%と、前を走る車に近づくほどダウンフォースは減少する。
撮影:西田宗千佳
「そこで我々は車の形状を再設計することにしました。新たなレギュレーションを作成するために計算流体力学を使用し、ウェーキの影響を小さくしようとしたのです」(スメドレー氏)
ここで活躍したのが、AWSのハイパフォーマンス・コンピューティング環境だ。高速な演算能力を必要な時に必要な分使えるため、計算効率が劇的に向上する。
「充実した演算資源を利用できたので、2台の車が絡む流体力学のシミュレーションを、高い精度で行えたことは大きいです。しかも、演算時間は各チームが持つコンピュータで行うよりもずっと短くなりました。演算時間が短くなればそれだけ試行錯誤に時間を割くことができ、チームにとってはプラスです」(スメドレー氏)
AWSのハイパフォーマンス・コンピューティング・クラウドを使うことで、演算負荷の大きい流体力学の計算も行える。結果、コストのかかる風洞実験を減らす効果も。
撮影:西田宗千佳
結果的に、2021年のレギュレーションでは、ダウンフォースの減少を大幅に抑えることができた。減少量は、前を走る車とのタイム差が1秒の場合で5%、0.5秒の場合でも7%。追い抜こうとする車の速度は上がり、レース中のバトルが増える……と想定されている。
シミュレーションを活用して再設計した結果、ダウンフォースの減少は、前を走る車とのタイム差が1秒の場合は30%から5%、0.5秒だと40%から7%へと劇的に改善された。
撮影:西田宗千佳
今回のレギュレーション変更では、同時に各F1チームが使える年間予算の制限(1シーズン1億7500万ドル)も設けられる。F1側で計測し、シミュレーションしたデータは各チームにも提供されるため、チーム間のマシン格差は小さくなると想定されている。
120のセンサーから集まる、1秒あたり110万ポイントのデータ
前述したF1のレギュレーションを作るには、実際に車を作り、風洞実験を行なったデータはもちろん、コンピュータを使った「計算流体力学」のシミュレーションの計算結果も必要とされる。
「F1はパートナーとしてAWSを選んでいます。大量のデータを扱うためのデータアーキテクチャは複雑ですが、AWSならば対応可能です。車体設計プロジェクトにもAWS を使っています。AWSは世界でもっとも進んだクラウドインフラ事業者であり、パートナーとしての選択には満足しています」(スメドレー氏)
また、F1はレース中の車からも大量のデータを取得している。ちょうど一年前、2018年の「re:Invent 2018」の基調講演で示されたデータによれば、1台の車には120のセンサーが取り付けられており、1秒あたり110万ポイント分のテレメタリー・データが集まっている。
昨年の「re:Invent 2018」の基調講演で示されたデータより。現在のF1では、1台あたり120のセンサーがとりつけられ、大量のデータが収集されている。
撮影:西田宗千佳
そうしたデータはもちろんチームに還元されるが、レース中継時に視聴者にタイヤの摩耗量や追い抜きの可能性などの情報を示す「F1 insight」のためにも使われている。
撮影:西田宗千佳
F1の中継では、車やレース状況に関する情報「F1 insight」が表示されている。レース展開を読むために重要な情報が頻繁に提供され、レースをより楽しめる。
撮影:西田宗千佳
ただし、F1 insightなどのために取得されたデータは車体開発には使われていない。
「両者は完全に分けられている別のプロジェクト。データの流用などは行われていない」(メドレー氏)
という。
予測は「F1をもっと楽しくする」ために使う、データ処理を軸に「トランスフォーメーション」
F1 insightは、現在すでにテレビ中継などで使われており、ファンにはお馴染みだ。一方で、提供される情報は貴重ではあるものの、ファンからは「情報が正確でない」との声が上がることもある。特に、タイヤの摩耗量や追い抜きの可能性などについては「予測が外れやすい」とも言われる。
その点について、スメドレー氏はこう話す。
「タイヤの摩耗については、AWSと我々F1との間で使っている予測モデルに問題がありました。しかし、その修正は終えています。結果として、予測の92%が一致しました。追い抜き予測についても、少なくとも80%は合致していると認識しています」
そして、次のように続ける。
「ただ、予測モデルは『モデル』なので、100%一致させることは出来ません。このサービスは、視聴者のガイドとして使われることを狙ったものです。
エンジニアがピットの中で得ている情報をそのまま視聴者に提供することもできますが、そうしたいとは思いません。そもそも、エンジニアとファンでは、レースの見方が全く異なります」(スメドレー氏)
人は、うまく『編集された情報』を手にすることで、より多くの興奮を感じる。
過去50年、F1はファンに同じものを提供し続け、ファンも同じように消費してきた。すメドレー氏は、時間をかけてレース中にユーザーが見るものを完全に変えていきたいという。統計と洞察によって、ファンの頭の中にレースで何が起きているのか、“物語”を組み立てようとしているのだ。
F1は、レギュレーションの変更から自宅での観戦のやり方まで、大きく『トランスフォーメーション』し始めたところです」(スメドレー氏)
(文、撮影・西田宗千佳)