未開の砂漠から世界最大の上場企業誕生まで…… 写真で振り返る、サウジアラムコ86年の歴史

作業員

油田の掘削作業員たち。1937年または1938年に撮影された1枚。

Saudi Aramco

サウジアラビアの国営石油会社サウジアラムコは12月11日、サウジ証券取引所(タダウル)に新規上場した。

初値は公開価格を10%上回るストップ高となり、その時価総額は1兆8800億ドルとアップルを約7000億ドル上回る世界最大の上場企業となった。

サウジアラムコの歴史を振り返る。


第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に、世界の石油需要が急増した。内燃機関の発明がその主な原動力だった。

車

両大戦間は、フォードのモデルTといった自動車が人気を集め、石油への需要を高めた。

From the Collections of The Henry Ford. Gift of Ford Motor Company.

アラムコの前に、サウジアラビアの歴史を少し振り返っておこう。

イブン=サウード

Wikimedia Commons

サウジアラビアは初代国王のイブン=サウードがアラビアの4つの地域 —— ヒジャーズ、ネジド、東アラビア、南アラビア —— を1つの国としてまとめ上げ、1932年に誕生した。

イブン=サウードは石油の発見に力を注ぎ、国王になって1年も経たないうちにサウジアラビアはアメリカの石油会社スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(のちのシェブロン)と初めての石油利権協定を結んだ。

1933年11月、石油利権のマネジメント会社「カリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニー」が誕生。これが実質的なサウジアラムコの始まりだ。

署名

協定に署名するサウジアラビアの財務大臣とスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニアの代理人弁護士(1933年5月29日)。

Saudi Aramco

この時点で、石油は見つかっておらず、真面目な調査すら始まっていなかった。この国に石油があるかどうか、誰も確証を持っていなかった。

作業員

Saudi Aramco

変化が起きるのはその翌年、ダンマン・ドームとして知られるようになるエリアを地質学者が調査し始めてからだ。

予備調査のあと、地質学者らはサンフランシスコの本社への報告書で、掘削を開始するよう薦めた。

地図

Google Maps

出典:Aramco World

アメリカの地質学者、マックス・ステインク(Max Steineke)氏が初めて石油を発見したと言われている。

マックス・ステインク

Wikimedia Commons

1938年3月4日、大量の石油が見つかる。

プラント

Getty Images

この発見がサウジアラビアに世界的な産油国となる道を開いた。

最初の発見から約1年後、サウジアラビアの石油タンカー「D.G スコフィールド」が初めて海外へと向かった。タンカーは約10万バレルの石油を積んでいた —— これは現代のタンカーの積載能力の約5%だ。

タンカー

サウジアラビアの石油タンカー「D.G スコフィールド」(1939年5月1日)。

Saudi Aramco

次に大量の石油が見つかったのは1941年、アブカイクだ。このエリアは約5年前、ステインク氏とアメリカ人エンジニアのJ・W・フーバー(J.W. Hoover)氏とジェリー・ハリス(Jerry Harriss)氏が初期の調査活動のベースとして使っていた場所だ。

プラント

Getty Images

アラムコという名前が初めて登場したのは1944年。カリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニーが、社名をアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー、略してアラムコに変更した。

サウジアラムコ本社

1950年代、ダーランにあったアラムコの本社。

Getty Images

1940年代を通じて、アラムコは次第に原油生産量を増やし、1949年には1日あたり50万バレルのマイルストーンに達した。

パイプラインの検査

パイプラインを検査するスタッフ(1951年)。

Saudi Aramco

ちなみに、サウジアラビアの現在の生産量は1日あたり1000万バレル以上だ。

1951年にトランス・アラビアンパイプラインを開通させたことで、サウジアラビアの輸出能力は急速に上がった。全長1200キロメートル以上のこのパイプラインは、タンカーに石油を運ぶまでの時間と労力を大幅に軽減した。1983年に閉鎖されるまで、パイプラインは32年間使用された。

1日あたり50万バレルのマイルストーンに到達した5年後には、その1日あたりの生産量は100万バレルに達した。

1960年、OPEC(石油輸出国機構)設立。OPECは石油価格の決定に大きな影響を及ぼす、市場における最も重要な組織と見なされている。

OPECのロゴ

OPECのロゴを直す男性(オーストリア、2017年11月29日)。

Reuters/Heinz-Peter Bader

アラムコは当初、サウジアラビアの国営ではなかった。だが、1973年にその25%をサウジアラビア政府が買い取ったことで変わっていった。

プラント

Getty Images

サウジアラビアはその後、段階的にアラムコの資産を買い取って、1980年に国有化を完了した。

1988年には、アラムコはサウジアラビアン・オイル・カンパニー、略してサウジアラムコとなった。

その後、サウジアラムコは買収や新たな石油生産施設を作ることで、積極的に拡大。2009年までに、同社は1日あたり最大1200万バレルの原油を生産できるようになった。

ドラム缶

REUTERS/Beawiharta

サウジアラムコの急激な拡大は、サウジアラビア経済の成長と繁栄がほぼ石油収入にかかっていることを意味している。

原油価格のチャート

Trading Economics

その結果、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の指導の下、サウジアラビアは経済改革計画「ビジョン 2030」をスタートさせた。ビジョン 2030は、手付かずの鉱物資源の活用や世界貿易における地位向上、宗教観光による収入の増加といった手段を通じて、サウジアラビア経済を近代化、多様化しようとする計画だ。

ムハンマド・ビン・サルマン皇太子

サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子。

Reuters

サウジアラムコの上場も、ビジョン 2030の一部だ。

株価

Wikimedia Commons

IPOで調達した資金 —— サウジアラムコが時価総額2兆ドルでその5%を売れば、最大で1000億ドルになる —— は、サウジアラビアの公的投資基金(PIF)に注入されると見られている。

アラムコの国有化が始まる2年前の1971年に設立されたPIFは、実質的なソブリン・ウェルス・ファンドで、IPOで入った資金を国内投資と国外投資の両方に使う見込みだ。IPOのあと、アラムコの残り95%は政府のコントロールからPIFの手に移される予定だ。

サウジアラムコの上場は、約100年に及ぶサウジアラビアの石油産業の集大成であり、同社はアップルを大きく上回る世界最大の上場企業となった。

セレモニー

サウジアラムコのIPOを記念するセレモニー(2019年12月11日)。

Marwa Rashad/Reuters

[原文:From an unexplored desert to a near $2 trillion IPO: The 86-year history of Saudi Aramco in pictures

(翻訳、編集:山口佳美)

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