1981年生まれ。大学時代に途上国開発のテーマに出合う。2006年にマザーハウスを設立。バングラディシュなど6カ国でバッグやジュエリーなどを生産。日本や香港などで38の直営店を展開。
撮影:竹井俊晴
山口絵理子(38)の夢は尽きることがない。
創業期に掲げたビジョン、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」に照らし合わせて、これまで6カ国の生産拠点を開発してきた。
創業のきっかけとなったバングラデシュに始まって、以後10年の間に、ネパールではローシルクと呼ばれる原産素材でストールを、インドネシアでは伝統技術の線細工を用いたジュエリーを、スリランカではカラーストーンのジュエリーと、4カ国の生産開発を実現。
2018年には、インドの手紡ぎ・手織り布「カディ」を用いたシャツの生産をスタート。ガンジーが外圧から最後まで守り抜いたというインド綿の技術を生かしたシリーズだ。さらに2019年には、ミャンマーでルビージュエリーの生産と販売を開始した。
国にはそれぞれの事情や背景があるから、バングラでの成功例はまったく通用しない。例えば、1年の半分は農業をして生計を立てる生活文化ならば、そのサイクルにあった生産計画を立てる。
生産地の開発と同時進行で、途上国の“自力”を届ける先となる販売国も広げてきた。日本、香港、台湾、シンガポールと、アジアの先進地域で商品を売る直営店は38店に。
マザーハウスを欧米でも知ってもらいたい
そして今、山口はずっと挑みたかった大きな一歩を踏み出そうとしている。
「ヨーロッパ、アメリカのマーケットへの挑戦」だ。
ビジョンに含まれる「世界に通用するブランド」の「世界」は、どこまでを指すのか?現状で満足していいのか?
アジアでの一定の成功を喜びながらも、常に自分自身に投げかけていた問いだった。
この秋、パリに行った。欧州進出の一歩となる店舗の物件探しはうまくいかなかったが、「不思議とすがすがしい充実感がある」と語る。
山口さん提供
子どもの頃から続ける日記をめくれば、7年ほど前の日付に「いつかパリに行きたい」という文字が綴られていた。
ヨーロッパでは「途上国=アフリカ地域」というイメージが強く、アジアの途上国についてはあまり知られていないという。伝統的メゾンブランドが軒を連ねるパリで、どこまでアジアの自力を試せるか。
業界をよく知る人ほど、山口の挑戦をやんわりと否定した。「相手にされない」「やめたほうがいい」「きっと傷つく結果になる」と。
発信力を強めなければ意味がない
そんな助言を受け止めながらも、山口は着々と準備を進めている。2019年秋、1カ月の長期出張に踏み切り、現地での面接、物件探しに時間を費やした。
「大手衣料ブランドがしているように、利益を上げるだけなら、アジアで販売網を拡げるほうが有利で確実だと分かっています。でも、私たちのやるべきことはそれじゃない。なぜなら、発信力を強めなければ意味がないから。
“なぜやるの?”と問い続けたら、欧米の人たちにもマザーハウスを知ってもらうことがやはり重要だと思ったんです」
まず、勝負をかけたいのはインド綿の製品。ヨーロッパが主要な産地を持たないコットンで、アジアの自力を発信したい。メトロを乗り継ぎ、たくさんの人に会い、ヒアリングを続けてきた。
開放的な店舗イメージに見合う物件は、パリではほとんど見つからず、やっと見つかった物件は滞在期間の最後の最後でふいにされた。それでも「不思議とすがすがしい充実感があります」と、インスタグラムに投稿し、報告を見守るフォロワーを安心させた。
撮影:竹井俊晴
疾走する姿をリアルタイムで発信し続けているのも、山口の特徴だ。ジタバタしたり、怒りをまき散らしたり、号泣したり。山口は“みっともない姿”を隠さず見せてきた。
かつてドキュメンタリー番組で大きく取り上げられ、「すごい社会起業家」ともてはやされた時は、「本当の自分とのギャップ」に悩み、閉じこもった時期もあったという。しかし、自分を弱い存在と認めるならば、どうしてこんなに壮大な挑戦ができるのだろう。
「見てみたいんです」と山口は答えた。
「誰もやったことがないことをやってみせた時に、どんな反応が起きるのか。『できっこない』と思われてきた存在が、表に出てキラキラと輝く瞬間が大好き。世界がクルッとひっくり返る瞬間を、パリでも見てみたいんです」
晴れてパリの一等地に、マザーハウスの旗艦店がオープンしたとしたら—— 。その時には、アジアの職人たちを呼んで、パリ人の目の前で技術を披露するイベントをやってみたいのだという。
数年先の夢を教えてくれたその目は、まるで今日起業したばかりのような熱を帯びていた。
(敬称略)
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。