1981年生まれ。大学時代に途上国開発のテーマに出合う。2006年にマザーハウスを設立。バングラディシュなど6カ国でバッグやジュエリーなどを生産。日本や香港などで38の直営店を展開。
撮影:竹井俊晴
マザーハウスは、生産から販売まで一貫して行うSPA企業として歩んできた。
それは山口絵理子(38)にとって誇りであり、途上国ビジネスを持続させる上での強みと捉えている。
「バングラデシュは“ネクストチャイナ”と呼ばれます。人件費が上がる中国に代わる薄利量産の生産拠点として手を組む企業は数多あり、バングラもそれによって急成長を遂げてきたのは事実。
けれど、相手にとってバングラは“候補の一つ”でしかないんですよね。政情や天候に不安が生じるとすぐに手を引き、結果、大量の失業者が町に溢れ、ボイコットが絶えない。労働環境も一向によくならない。
私が2008年に現地法人をつくって自社工場を建てる決断をしたのは、そんな現実を変えたかったからです」
山口の夢は、強力なパートナーも引き寄せた。
ゴールドマン・サックス証券エコノミストから転じた副代表の山崎大祐(39)だ。山口とは竹中ゼミでの先輩後輩の関係で、創業前から山口にエールを送り続けてきた。マザーハウスに参画してからは販売戦略や組織づくりを担い、山口が創作に打ち込める環境を整える。
右脳と左脳、感性と理性。時に2人はぶつかり合いながらも、同じ夢を追い、遠くまでやってきた。
専門学校で習得した技術で経営と両立
創業当初はビルの一室で。3人の職人とのスタートだった。
山口さん提供
バングラディッシュでの生産は、はじめは3人の職人とビルの一室からのスタート。
徐々に45人、120人と増やし、現在の工場では250人が働く。スタッフには給食も定期的なメディカルチェックも提供する。雇用はスタッフの紹介がほとんどで、「つながり」を大切にする。商品デザインや型紙の試作も現地で。チーフデザイナーの山口が現地に行って、工場で一緒に手を動かしながら試作品を何度もつくり直して、毎シーズンのラインナップを揃える。
山口はバッグを縫う技術を習得するために、起業後に専門学校で修業した経験も持つ。だから職人を自ら育てることもできるし、同じ目線で議論ができるのだ。まさに、経営者兼職人として、ユニークなスタンスをとっている。
試作を繰り返しながら完成をめざすアジャイル型開発や、風通しのいいフラットな組織づくりなど、山口の実践には、最新の経営理論で語られるキーワードが垣間見える。しかしながら、本人は「ビジネス書はほとんど読まない」。生身の経験から獲得してきたサバイバル術なのだ。
彼らと共有しているゴールは「途上国発展」ではなく、あくまで「最高のモノづくり」。マザーハウスのバッグやジュエリーのモチーフが“自然”をテーマにしているのも、それが言語や文化を超えられるイメージだから。「いろいろ試して、ベストな方法を探ってきた」と、借り物ではないリーダーシップが、山口には染みついている。
スタッフから提案される“逆転現象”
「自分たちにできっこない、と思い込んでいる」相手を奮い立たせることには苦労したという。しかし、今ではスタッフが自主的に提案してくる。
山口さん提供
創業期からモノづくりを指揮し、鼓舞してきた山口のことを、工場で働く職人たちは「マダム」と呼び慕う。いかにも、山口が目指してきた家族的な温かさのある職場を象徴する呼び名だ。
ところが、最近、いい意味での“逆転現象”が起きてきたという。
「私が彼らから諭される場面が多くなってきたんです(笑)。ある工程のクオリティに満足できず、委託先の担当者にきつく言っていたら、工場長が『お互いに理解し合えるまで時間がかかるんだよ。僕らもそうだったじゃないか』となだめられて。たしかに彼の言うとおりだと思って、任せることにしました」
これも現地のスタッフが勝手につくって提案してきたの、と言って見せてくれたのは、新ブランド「e.(イードット)」の購入特典として配った動物型のミニブローチ。アイロン係のスタッフのアイディアだという。「いいものをつくりたい。お客さんを喜ばせたい」という気持ちが、内側からポコポコと生まれている。
自力で稼いで自力で地域に貢献する
だが、ここまでの関係性に到達するまでの道のりは決して平坦ではなかった。
一番の壁は何だったのか?そう問うと、山口はこう答えた。
「自分たちにできっこない、と思い込んでいる相手に、どう自信を持ってもらえるか。これまで働いた工場ではバイヤーに言われた通りにつくって納品して日銭を稼ぐという暮らしを続けてきたから、“自分たちでモノづくりをして利益を分け合う”という成功体験がないんです。工場の閉鎖や雇い止めに慣れ過ぎて、一つのことを長く継続する価値を信じ切れない。
自信を持てない相手をどう奮い立たせるか。この突破には、本当に粘り強い働きかけが必要だった」
将来の生活保障のための積立型共済を現地法人に導入した時には、「今使えるお金をどうして貯めないといけないのか」と猛反対が起きたこともあった。5年後、10年後を見越した備えの重要性を繰り返し説明した。
撮影:竹井俊晴
マインドチェンジを起こすために山口が意識的に心がけてきたのは“成果の見える化”だという。
商品が昨年に比べてどのくらい売れたのか。どんなお客さんが買ってくれているのか。時にはツアーを組んで消費者と直接対面する機会をつくり、目の前の仕事の先にある笑顔との距離を縮めた。
「特効薬はなくてジワジワと、身近で起きた変化の積み重ねがあって、彼ら自身が気づいたんだと思います。『自分たちの力でここまでできた。もっとできるかもしれない』って」
海の向こうのお客さんのために。来年も喜んでもらいたいから、今、技術を磨く。そんな姿勢が当たり前になっていった。
2年後に完成する新工場は2フロアで1000人が働ける。今の4倍となる敷地には、学校や病院も併設するプランが上がっている。
「最高に嬉しいのは、それがすべて彼らのアイディアだということ。『自分たちの子どもを通わせたい学校をつくろうよ』と盛り上がっています。加えて、予想外なことでしたが、『工費を自分たちの工場の利益から出したい』と言ってきたんです。
自力で稼いで、自力で地域に貢献していく。私が13年前に描いた未来、それ以上に素敵な姿を彼らは見せてくれています」
(敬称略)
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。