2011年3月12日、東日本大震災発生の翌日朝。津波に襲われた仙台市の海岸部。写真奥では港湾の石油関連施設で火事が続いている。
REUTERS/Jo Yong-Hak
2011年3月11日に両親や友人たちの住む故郷を津波が襲ったとき、東京にいた記者(川村)を一瞬で凍りつかせたニュースがある。
「仙台市若林区荒浜で200~300人の遺体が見つかった」
記者が通った県立高校からそう離れていない海岸。授業をさぼって釣り糸を垂れたり、部活動の仲間たちと将来を語り合ったりした美しい砂浜に、無惨な姿が積み上げられた光景を想像し、震えた。
海岸に多数の遺体、というこの報道は、数日間さまざまなメディアに掲載され続けたが、なんとデマだった。海岸近くでは確かに多くの死者が出たものの、記者が想像したような光景は実在しなかった。
北海道地震でデマ拡散を食い止めたスタートアップ
北海道・厚真町で行方不明者の捜索を行う自衛隊。甚大な被害が生じても、実態が不透明な状況では憶測が生まれやすい。
apan Self-Defense Forces/Handout via REUTERS
2018年9月に起きた北海道胆振東部地震(最大震度7)でも、偽の情報が被災した住民たちを苦しめた。
「自衛隊の要請で大規模に計画断水を行うため、6時間後(または午後から)水道が使えなくなる」
「停電(または電波塔の破損)のため、4時間後に携帯電話やLINEが使えなくなる」
いずれもLINEアプリを通じて地震直後に広まりかけたデマだったが、その大規模拡散を未然に食い止めたスタートアップ企業がある。防災・危機管理情報解析サービス「Spectee(スペクティ)」だ。
SNS投稿のリアルタイム解析や、道路や河川に設置されたカメラの画像解析、人工知能(AI)による音声技術などを駆使し、事件・事故・災害情報などを契約先の報道メディアや行政機関に届けている。
北海道地震では、情報の真偽確認(ファクトチェック)や整理を行う専門部隊を中心に、過去のデマ情報のデータベースからシステム的にデマかどうかを判断するのと並行して、公的データとの照らし合わせや行政・自治体への問い合わせ、投稿者へのヒアリングなどを行った。
結果として、大きな影響力を持つ首都圏のメディアに、デマが拡散する前に正しい情報を届けることに成功した。
スペクティの分析速報サービスは、テレビや新聞をはじめとしたほとんどの報道メディアに採用され、それ以外にも自治体の災害対策本部、官公庁、民間企業の危機管理部門など、多数の企業や組織で利用されている。
直近の2019年10月期決算では、売上高が前年比50%増、同10月には単月黒字を達成。2020年は売り上げ倍増と単年度黒字化を見込んでいるという。そして何より驚くべきは、2017年以降、3年連続でサービス解約ゼロという絶対的なリテンション(顧客維持)を続けていることだ。
2019年も、豪雨や台風により数多くの人が犠牲になった。年末にかけて増えている揺れも、近い将来の首都圏直下型地震への不安をあおる。正確な情報へのニーズは高まるばかりで、それゆえスペクティへの期待も同様だろう。
「世界のソニー」と資本業務提携
テレビ局やスタジアム、医療などでBtoBのソリューションサービスを手がけるソニービジネスソリューション。Specteeとは協業の実績を積み上げてきた。
出典:ソニービジネスソリューションHPより編集部キャプチャ
そんなスペクティが12月19日、ソニーとの資本業務提携を発表した。同社グループのソニービジネスソリューション(SBS)を引受先とする第三者割当増資を行う。増資後のSBSの持ち分は10%未満。ソニーからの出資を含め、スペクティは複数社から6.5億円を調達する。
スペクティとSBSはいずれもテレビ局(中継・スタジオシステムなど)へのサービス提供を主要事業のひとつとすることから、2018年に販売店契約を締結。SBSを窓口として、メディアのみならず大手鉄道・通信会社にスペクティのシステムを提供するなど、協業を進めてきた。
今回の資本業務提携により、まずは大きな需要の見込まれる防災・危機管理分野で、スペクティの画像解析AIや音声AIといったサービス・ソリューション提供を強化し、さらには海外展開の加速を考えているという。
それにしても、ソニーは11月にAI研究開発の専門組織「ソニーAI」を設立し、世界水準の人材を確保して体制拡充を急ぐことを発表したばかり。
ソニーコンピューターサイエンス研究所の社長で、ソニーAI日本拠点の代表に就任した北野宏明氏は、メディアにこう語っている(日経産業新聞2019年12月6日)。
「画像センサーの事業部門ではエッジで使えるAIを搭載した半導体などの実現の見通しができている。新組織では、AI全体のアーキテクチャー(構造)を研究する。画像を認識してから分類し、意思決定のタスクへとつなげていく。情報処理してロボティクスなどほかのものに広げていく」
それが、なぜこの段階で外部との提携を決めたのか。ここからは、科学・テクノロジー担当記者(三ツ村)が分析する。
エレクトロ二クス企業ソニーのAI開発の狙い
2019年度第2四半期のセグメント別業績。ゲーム&ネットワークサービス事業とイメージング&センシング・ソリューション(半導体)事業が、ソニーの収益を支える二本柱であることがわかる。
出典:ソニー2019年度第2四半期決算説明会資料
ソニーは、CMOSイメージセンサー領域で世界ナンバーワンのシェアを保ち続けており、近年ではスマホに搭載するセンサーの大型化や多眼化といった需要もあり、安定した業績を維持している。
ゲームなどのエンタメ事業が売り上げの柱として注目されがちだが、ソニーの収益のもう一つの柱はCMOSを中心とした半導体事業だ。
この分野におけるAI領域の取り組みを見ていくと、エレクトロニクス企業としてのソニーの狙いが見えてくる。
積層型のイメージセンサーにAIを搭載することで、イメージセンサー自体を高度化させていく狙いがある。
出典:ソニー2019年度経営方針説明会資料
イメージング事業と関係したAI領域では、画像認識技術の進化が著しい。
ソニー自身も、AIを用いた画質向上の取り組みや、顔認証技術の進展。さらにはイメージセンサー自体にAIの機能を搭載する「エッジAI」の研究開発。その先には、複数のセンシング技術で得たデータを集約して処理するプラットフォームをイメージングセンサー上に構築する構想もある。
特に現在開発に注力している車載用イメージセンサーとエッジAIの相乗効果は、今後到来するであろう自動運転社会において欠かせない。
ソニーの車載用イメージセンサーは、2018年にデンソーの自動ブレーキ用センサーとして採用された。
出典:ソニー2019年度経営方針説明会資料
瞬間的な判断が必要とされる自動運転において、クラウド上との情報のやりとりによってわずかにでも情報伝達に遅延が発生するリスクは避けたいところだ。
そのためには、イメージセンサー自体にさまざまな機能を持たせ、その場で状況判断を行えるエッジAIの開発は既定路線だといえる。
農業や医療、教育といったこれまでソニーの事業領域にはなかった分野においても、 安心・安全な社会が持続していくことを目指した新しい取り組みが始まっているという。
出典:Sony Stories YouTube Channel
自社でのこういった開発状況がある一方で、今回のスペクティとの協業のように、ソニーはAI領域における他社とのアライアンスにも積極的に乗り出している。
「ソニーが研究開発を行っているAI技術に、スペクティが進めている防災・災害対応の分野のものはありません。現在のAI技術は、 ソニーに限らず、自社ですべての分野を網羅して完結することは難しいのです。
そうした状況のもとで、スペクティの持つAI解析技術は防災・災害対応の分野では他社と比べてかなり進んでおり、ソニーが自社で技術開発を進めるより迅速に、しかも安価に市場投入できると考えています」(スペクティの村上建治郎CEO)
今回の協業は、そうした防災・災害対応に強みをもつスペクティのシステムを、企業などにソリューションとして販売強化していくことに重きが置かれている。
しかし、記者としてはその先の展開をどうしても考えてしまう。
ソニーのイメージセンサーは、あらゆる装置の「眼」の役割を担う。そこに搭載する“知能”の組み合わせ次第で、今後活躍できる範囲は無限に広がっていくはずだ。
記者の推測ではあるが、災害現場での画像解析に特化したAI技術をもつスペクティと協業するなら、例えば、ドローンのイメージセンサーにスペクティのAI技術を搭載することで、遠隔地から素早く正確な状況判断を行えるようになるかもしれない。
画像認識を必要とする分野は、災害現場以外にも自動運転や医療など幅広い。ソニーのスペクティとの協業は、今後のイメージングセンサーの可能性を探る端緒になる可能性を秘めているのではないか。
(文:川村力、三ツ村崇志)