12月12日、欧州中央銀行(ECB)政策理事会の初会合後に記者会見したラガルド新総裁。
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11月に就任したばかりの欧州中央銀行(ECB)ラガルド総裁について、いま何らかの評価をくだすのは尚早だろう。
ただ、少なくとも12月12日の初会合に際しての会見はさすがに理知的なもので、答えにくい質問を機知に富んだジョークとともにはぐらかし、ドラギ前総裁とはまた違った秀逸さを感じさせるものだった。市場参加者の多くは頼もしさを感じたのではないか。
金融政策に「気候変動」の論点を
ラガルド総裁は、その就任前後から金融政策にまつわる「次の一手」以外で注目を集めている。
ECBは目下、金融政策の17年ぶりの戦略見直しを1年かけて行おうとしているが、ラガルド総裁はその一環として、気候変動に関する論点を組み入れることに関心を示しているという。
実際、12日の会見でも戦略見直しに触れ、テクノロジーの進歩や経済格差の拡大といった論点に加え、気候変動も考慮したい意向を隠さなかった。
12月11日、ベルギー・ブリュッセルで記者会見した欧州委員会のフォンデアライエン新委員長。
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ちなみに、ラガルド体制と時を同じくして発足した新たな欧州委員会を率いるフォンデアライエン委員長も、欧州議会における演説で「The European Green Deal(欧州のグリーンディール)」の重要性をうたい上げた。
EUの新たなツートップが、環境重視のスタンスを大っぴらに語るようになっていることは、ヨーロッパの環境問題に対する意識が、他の国・地域より強いことを象徴していると言っていい。
何かにつけて理想に振れやすい欧州だけに、こうした動きが過剰なものに至らないか、やや不安を持って筆者はみている。「環境少女」とも形容されるグレタさんの騒動はその象徴的な動きとも思える。
環境問題に中央銀行ができることはあるのか?
12月11日、第25回気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)で演説した、16歳のグレタ・トゥーンベリさん。
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確かに環境問題は重要であり、無関心を決め込んでいいものではない。しかし、だからと言ってそれを中央銀行が考慮すべきかどうかはまったく別問題ではないだろうか。
率直に言って、環境問題を斟酌(しんしゃく)して金融政策を運営するのには無理がある。少なくとも、以下の2点からの考察は必須ではないか。
- 政策波及経路が想像できない
- 役割区分を取り違えている
気候変動が「重要か、重要ではないか」という議論ではない。「中央銀行がやる筋合いなのか」という視点を持って評価すべきということだ。
1の「政策波及経路が想像できない」という思いは、多くの市場参加者が抱くはずだ。
そもそも中央銀行にとって“庭先”であるはずの、物価や賃金ひいては景気の変動を制御することにすら苦戦しているのに、気候の変動にまで配慮しようという発想が腑に落ちない。
どういった手段や経路、さらにはどんな確度を想定して気候に影響を与えようというのか。もっと言えば、それをどうやって検証するのか。
気候変動は短くても数百年、長くて十万年といった時間軸でとらえるべき大きな話だ。ある手段を講じたとして、それによる変化を経済主体がはっきりと実感できるまでには数世代が入れ替わる可能性がある。
いま起きている変化がいつごろの経済活動に起因しているのか(あるいはしていないのか)を特定するのも難しいのに、どうやって適切な金融政策を割り当てるのか。
今月、来月の株価や為替に振り回される中央銀行が、悠久の時を超えて変化が表れる環境問題(の変数)まで考慮するというのは、いささか尊大ではないだろうか。
地球温暖化をECBの予測モデルに織り込むべきとまでラガルド総裁は述べているが、四半期ごとに改定され、1年前と方向性が大きく変わることも珍しくないスタッフ見通しに、環境問題という視点を入れ込んだら、ECBの「次の一手」は変わるのだろうか。
穿った(うがった)見方を承知で言えば、地球温暖化と人間の営む経済活動の活発化に因果関係が本当にあるのなら、金融引き締めで経済活動の停滞化を図るのが正解という考え方もあるだろう。もっと言えば、世界最速のペースで少子高齢化が進行中の日本は、温暖化の緩和に最も寄与している国とみることもできるかもしれない。
因果関係が曖昧で、テーマが壮大過ぎるゆえ、さまざまな暴論が出てくる余地があるように思える。
「責務の範囲内で」支援するのも問題アリ
各国の中央銀行は「責務の範囲内で支援を行うことはできる」と発言したECBのクーレ理事。
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2019年12月末でECB理事を退任するクーレ氏は、11月に「中央銀行が気候変動問題の克服で先頭に立つのは無理がある。これは政治の仕事であり、そうあるべき」と述べる一方、「各行に与えられた責務の範囲内で支援を行うことはできる」と表明していた。
筆者は基本的に「先頭に立つのは無理がある」の立場だが、あえて気候変動への取り組みを支持するならば、この「責務の範囲内で支援」をどの程度の量感で見積もるかがポイントになる。
例えば、量的緩和(QE)政策において、環境に配慮した事業が発行する債券(グリーンボンド)を多く購入しようという「グリーンQE」なるアイデアが、ECB当局者の間で飛び交っている。
グリーンボンド市場は規模が小さいだけに、中央銀行が介入すれば価格形成に小さくない歪みをもたらす懸念がある。しかも、市場の規模より大きな問題がある。
ドイツ連邦銀行のバイトマン総裁は10月、「インフレ率が低い間だけ気候変動対策を続けなければならない理由は、ほとんど理解されない」とグリーンQEを批判してみせた。筆者もその点が肝心と考える。
11月22日、フランクフルトで講演したバイトマン・ドイツ連邦銀行総裁。この翌週、ベルリンで講演し、量的緩和プログラムに環境目標を導入することに否定的な見解を発表した。
REUTERS/Ralph Orlowski
環境対策それ自体は重要なテーマだとしても、それを緩和政策を通じて支援することは「金融緩和が不要の局面に入れば支援しなくてもいい」という意味も孕(はら)んでしまう。
そうした要らぬ政治判断を迫られないために、中央銀行には政治からの独立性が与えられているのだ(もう独立性が求められない時代になった、という議論はあり得るが、本稿では脇に置きたい)。
それ以外にも、流動性を供給するため中央銀行が民間銀行から受け入れる担保について、グリーンボンドの掛け目(評価の比率)を優遇したりすることなども考えられる。その程度であれば、確かに「責務の範囲内で支援」できる持続可能な措置と言えるかもしれない。
だが、受け入れる担保資産がどのくらい環境に優しい(あるいは優しくない)かを定量的に評価できる尺度を用意しない限り、このアプローチも難しいだろう。
そもそも中央銀行がやるべきなのか?
気候変動対策の加速を求め、COP25会場で雄叫びをあげるスペインの若者たち。
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環境問題が重要であり、中央銀行として支援できることがあったとしても、「本当にやるべきなのか」という根本的な疑問も残る。それが、2の「役割区分を取り違えている」という論点だ。
前節で登場したクーレ理事も述べるように、基本的に環境問題で先頭に立つのは「政治の仕事」であり、中立性が要求される中央銀行の仕事ではない。ドイツ連銀のバイトマン総裁も「気候変動問題の対策を打ち出すのは選挙民によって選ばれた政府の仕事で、中央銀行が環境政策を推進する民主的な正当性はない」と明言している。
例えば、前節のような担保の取り扱いを環境基準で差別化するというアプローチひとつ取ってみても、中央銀行が環境に優しい(あるいは優しくない)との評価を行い、私企業の資金調達の優劣にまで踏み込むことは複雑な問題を孕む。
その評価が異論の余地のないほど単純なものならば、気にはならないだろう。しかし、判断に迷う微妙なケースも出てくるはずだ。
例えば、環境への影響に関し、企業Aが企業Bよりも優遇され、企業Bからクレームが出た場合、どうするのか。中央銀行は環境の専門家ではないので、第三者から意見を聞くことになろう。そうやって、物価安定に注力すべき、政策にかかわる運営主体が、枝分かれしながら増えていってしまうことは決して健全ではあるまい。
2020年の一大テーマ
6月に福岡で開かれた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議。2020年は中央銀行の気候変動問題への向き合い方が問われる年になりそうだ。
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世界的には「気候変動の重要性は認めつつも、中央銀行の相対する(すべき)問題ではない」というのが主流であるいま、ラガルド総裁が仮に環境問題を新たな金融政策戦略の一要素として取り込むのであれば、それは先進的な動きとは言える。
だが、「総論賛成、各論反対」の思いを抱く当局者が多数と思われるなかで敢行すれば、ふたたびECB政策理事会の亀裂を深める遠因になりかねない。
ラガルド総裁はまず、前ドラギ体制で生じた政策理事会内の亀裂を修復するため、持ち前の高い調整能力を発揮することに大きな期待が寄せられている。にもかかわらず、こうした新しい争点を持ち込んでしまう現状を見るにつけ、初動としてはやや不安を覚えてしまう。
例えば、ドイツは中央銀行が気候変動に関与することについて、はっきりと反対の立場を表明している。
亀裂の「修復」ではなく「拡大」をもたらすような一手にならないことを祈るばかりだ。
気候変動問題との向き合い方は、2020年以降の中央銀行業界における大きなテーマとして、中銀デジタル通貨(CBDC)問題と並んで目が離せそうにない。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。