1982年生まれ。一橋大学卒業後、青年海外協力隊員としてシリアで活動。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2011年クロスフィールズ設立。社会人を新興国に派遣する「留職」開始。
撮影:今村拓馬
最大のピンチは、創業3年目に訪れた。
「毎日、オフィスに行くのが苦しくて仕方なかった」と、小沼大地(37)は当時を振り返る。
団体設立からの1、2年は「小さないかだで急流を下っているようなもの」(小沼)で、職員全員が事業を軌道に乗せるために必死だった。しかし、3年目に入り少し余裕が出てくると、人間関係の不満や方向性への疑問が次々と出てくるようになった。
ある職員は「ここで働いていて意味があるのか、分からない」と訴えたが、小沼にはなすすべもなかった。誰よりも小沼自身が、職員との関係を築けなくなっていた。
「メディアでは『キラキラ社会起業家』としての僕が理想を語って、オフィスに戻るとみんながシラーッとしていた」
そんな状態が1年ほど続いた2015年6月、職員一同は毎年恒例の合宿で、三浦海岸を訪れた。ミーティングで小沼が「団体のいいところを言おう」と提案すると、メンバーが反論した。
「いいところを言っても意味ないと思います」
「その瞬間の恐怖といったら……」と、小沼は今もこの話になると、いたたまれないといった様子を見せる。
口々に責められた小沼は「もうどうしていいか、分からないよ」と泣き出してしまった。
「この時、自分は終わったと思いました」
「明るく前向き」の盲点、弱くて強いリーダーへ
創業記念パーティーの写真。「設立時のメンバーはほとんど残っておらず寂しい」と小沼は言う。松島も現在、英国に留学中だ。
撮影:今村拓馬
小沼は、当時を振り返って「すべては僕のリーダーシップのあり方が原因だった」と総括する。
子どもの頃から周囲に「前向きで明るい」と言われ続け、自分でもそう思ってきた。さらにマッキンゼー勤務の3年間で「課題解決マシーン」と化した彼は、部下に悩みを相談された時も、あくまで明るく前向きに「解決」しようとした。
「大丈夫!必ずうまくいくよ。なぜそういう事態になったのか、もう少し分解して考えてみようか。一つ一つの問題を解決するためには、何が必要かな。そのためには今、何をすべきだろう?よし、じゃあそれをやろう!」
このプロセスは一見効率的なようで、大事なことが抜けている。
小沼が描いたクロスフィールズの変化。ピンチを乗り越える前は「目標を載せた船を、職員全員で持ち上げていた」(左)が、今は「乗船する1人1人が輝くためのプラットフォーム」(右)だという。
撮影:今村拓馬
「そうだったんだ。大変だったね。よく相談してくれたね。君は大丈夫?」—— 悩みを受け止め、共感したという意思表示だ。
「メンバーは、僕がどんな悩みもポジティブに変換しようとするので、相談も不満も言い出しにくかったそうです。本当に大事なのは、人の気持ちを聞くことだった」
小沼の涙は、職員に「自分たちの訴えは、確かに伝わった」という安心をもたらした。その後もごたごたは続いたが、少しずつ職場の雰囲気は上向き始めたという。
創業5年目の2016年、組織のピンチを乗り越えたと小沼が感じた時、あるメンバーが言った。
「あそこで(小沼が)泣かなかったら、全員辞めていたね」
小沼は次のように語る。
「それまでは前を向いてぐんぐん進む、強いリーダーになろうとしていた。でも仲間のネガティブな感情も自分の弱さも認めることが、メンバーの安心感につながるのだと分かり、今は『弱くて強いリーダー』を目指しています」
戦場と化したシリア、再会した友の意外な言葉
2017年、7年ぶりに再会したシリアの親友と。彼は戦争の愚かさと、平和への願いを繰り返し語った。
小沼さん提供
一方、小沼の第二の故郷であるシリアでは、2011年から内戦が始まった。村人が「ここには何でもあるだろう」と自慢したあの村にも、戦火は広がった。身を隠すのに好都合だからか、村の周辺に広がるオリーブの森は、格好の戦闘場所になった。
小沼が最も親しく付き合っていた親友とその家族も、やむなく村を離れて国内で避難生活を送るようになった。小沼は気をもんだが、断片的な情報しか伝わってこなかった。
2014年、これまで頼みごとなどしたことのなかった彼から突然「生活が苦しい。助けてほしい」とメールが届く。必死さが伝わる文面に、ただならぬものを感じた小沼は半年に一度、送金を始めた。
一度、送金が遅れた時は「本当に恥ずかしいが、どうしてもお金が必要なんだ。半額でもいいから送ってほしい」という切迫したメールが何通も届き、送金が彼ら一家の命綱になっていることが伝わってきた。同時に小沼は、自分が彼の「支援者」になってしまい、かつての関係が壊れていくような感覚も味わったという。
しかしこの直後、レバノンで彼と再会すると、2人はかつてのように、友人として同じ地平に立っていた。一緒にいた3日間、共通の友人の話や家族の話、バカ話に興じた。友人からはお礼とともに、こんな言葉もあった。
「きっとお互いが死んでからも、子どもたちは僕らのことをずっと語り継ぐだろうね」
国を超え、支援・被支援という関係を超えたところで「つながる」とは —— 。お互いを、分かり合おうとすること。親しみ合うこと。思い続けること。
友人の言葉は、小沼がクロスフィールズを通して投げかけ続けてきた「問い」の、一つの答えなのかもしれない。
価値観の物差しを「逆さま」に持ち替える
撮影:今村拓馬
「10年後の世界を、あまりポジティブには考えられない」と、小沼は言う。
「格差を助長するという資本主義の負の側面は、強まる一方です。欧米も日本も、中間層を前提とした社会が崩れ、民主主義が正常に機能しなくなっている。世界的な歪みのしわ寄せを受けたのが、内戦で国をめちゃめちゃにされたシリアの人々です。流れに歯止めをかけるのは、簡単ではありません」
だが一方で、自分と親友のように、違う世界に住む人々が「つながる」ことで、事態を少しずつ変えていけるのではないか、という希望も抱いている。小沼は「すべての人々が、お互いを理解し合えるとは思いません。でも僕は異質な人同士が共感し、つながり合う可能性を、諦めたくない」と話した。
小沼自身が、貧しいシリアの人々を「日本人より幸せだ」と感じたように、違う世界を知ることは「自分の中にある価値観という物差しを逆さまに持ち替えたり、別の物差しを見つけたりする」(小沼)ことにもつながる。
「人々が新しい価値に気付くための、きっかけ作りが僕の役割だと思う。それによって世界を変えようとする人が増えていけば、資本主義も良い方向に動き出すかもしれません」
(文・有馬知子、写真・今村拓馬)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。