1982年生まれ。一橋大学卒業後、青年海外協力隊員としてシリアで活動。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2011年クロスフィールズ設立。社会人を新興国に派遣する「留職」開始。
撮影:今村拓馬
企業の社員を途上国に —— 。「留職」という仕組みを作り上げたNPO法人クロスフィールズ。設立した小沼大地さん(37)は、28歳の時を振り返ってこう話す。
僕にとって28歳は、マッキンゼーを辞めて、NPOの起業を決断した時期に当たります。
実はこの時、別の会社への転職話が決まりかかっていました。スタートアップ企業の副社長で、待遇も悪くありませんでした。いずれ自分で団体を立ち上げるにしても、一度会社でマネジメントを経験してからの方がいいかなとも思い、半分は話を受ける気になっていたんです。1カ月間、悩みに悩みました。
でもある人に「お前は起業の話をしている時の方が、いい顔をしている」と言われ、心を決めたんです。その日の夜、すでに転職話を伝えていた妻に、「やっぱり起業しようと思う」と打ち明けました。翌日の昼まで寝ないで激論を交わし、彼女が納得できる収支計画を作ることなどを条件に納得してもらいました。
起業してからも、なんの導入実績もない留職プログラムに関心を持ってくれる企業はなかなか現れず、100社訪問して全滅するなど苦労はありました。でももし今、28歳の自分に戻ったとしても、やはり起業を選択したと思います。全力で悩んだ上での決断ですから、今の自分がそれをとやかく言うのは、過去の自分に対しておこがましいようにすら感じます。
10年かけて作り上げた「逃げない自分」
撮影:今村拓馬
起業した時も、組織がおかしくなってみんなの前で泣いた時も、心底悩んだし苦しかった。でも、絶対に逃げることだけはしないと決めていました。僕にとって「逃げない」ことは、10年以上をかけて、自分自身の意思で作り上げてきた力だったからです。
中学は、神奈川県内の進学校に入学しました。公立の小学校でこそ優等生扱いされていましたが、中学の友人たちはとてつもなく勉強ができて、とてもかなわなかった。まず、この時に部活に逃げました。
しかし、逃げた先の軟式野球部でも、肝心な時にいつも心が折れてしまい、踏ん張り切れなかった。高校時代は3年夏の最後の大会で、キャプテンであることの重圧に耐えられず、「早く負けてしまいたい」と思ってしまいました。もちろん県大会優勝という目標も達成できず、苦い思いを長い間引きずっていました。
大学のラクロス部での活動、特に4年生で部員約100人の主将を務めた時に、やっとリーダーとしての責任を全うできたと思えました。自分で決めたことに、粘り強く取り組めるようになったのはそれからです。後年、協力隊やNPOで苦しかった時期も、「つらいことを逃げずにやり切った」という部活の経験を拠りどころにして乗り切れました。
理想持ちつつ計算高い「青黒さ」も大事
創業当時のオフィス。五反田には当時からベンチャーが集まっており、クロスフィールズも一時期、後に急成長する次世代型電動車いすメーカーWHILLなどとオフィスをシェアしていた。
小沼さん提供
若い人にはよく「迷ったらメインストリームではなく狭い道、人の行かない道を選ぶと、チャンスが開ける」とアドバイスしています。僕自身が「あまのじゃく」で、軟式野球、ラクロス、青年海外協力隊と、マイナーな分野に居場所を見つけてきたからです。
起業する際にNPOを選んだのも、ベンチャーの世界で企業価値を高めて「ユニコーン」になるより、自分はニッチなソーシャルセクターの方が価値を作り出せるという考えが、頭の隅にありました。おかげで、僕を面白がって、協力してくれる人にもたくさん出会えました。人と違う道を選んできたからこそ「最速の回り道」を、全力で進んでこられたのです。
僕は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで自分を維新の志士たちに重ね、ユーフラテス川のほとりで「僕の人生の使命は、社会貢献とビジネスをつなぎ、情熱を持って働く人であふれる世界を作ることだ」と考えてしまうような、青臭い人間です。ただ一方で、リスクを回避するための腹黒さも持ち合わせています。
協力隊を目指した時は、落ちた時に備えて留学と大学院受験を並行して進めていました。NPOの世界でも、理想を持ち続ける一方で、大企業と渡り合うためにプレスリリースの書き方、営業のタイミングに至るまで戦略的に考えてきました。目の前の難しい状況を突破するには、青臭さと腹黒さを合わせた「青黒さ」も必要なのです。
1人1人の取り組みが社会課題をなくす
ビジネスとNPOの垣根はどんどん低くなっています。インドで急成長しているベンチャーを見ると、社会課題を解決するために創業され、かつ巨額の利益を稼ぎ出しているケースが非常に多いことに驚かされます。こうした存在こそが今後、ソーシャルビジネスの主流になり、NPOと企業の線引きすら意味をなさなくなるのかもしれません。
それでも利益を生み出しづらい、より純粋な社会貢献の機能は、NPOに残るでしょう。収益的には厳しくなるかもしれませんが、今後もNPOの存在意義が失われることはないと考えています。社会がこうしたNPOを下支えする仕組みも、整える必要があるでしょう。
僕は2020年に東京五輪が終わった後、次の10年にもう1度、NPOブームが来るのではないかと予測しています。これから仕事に就く人にとっては、NPOをはじめとしたソーシャルセクターも悪くない選択肢なのではないでしょうか。
皆さんが入って来るまでに、この業界の労働環境を整え、キャリアアップの道筋を作ることも、僕がこれから担うべき仕事の一つだと思っています。
人と違う道を選ぶことを、恐れないでください。うまくいかないことがあっても、悩み抜いた末の決断なら、逃げずに進み続けてください。
天台宗の開祖である最澄には「一隅を照らす」という言葉があります。人々は周囲に積み上がった膨大な社会課題を全て自分で何とかしなければと考え、その大変さに圧倒されてしまいます。でも1人1人が自分の目の前にある問題に少しずつでも取り組めば、やがて社会全体が明るく照らされるという考え方です。
僕もクロスフィールズの活動を通じて、できる範囲で社会に光を届けようとしています。皆さんにもぜひ、それぞれの場所で社会の「一隅を照らす」存在になってもらえればと願っています。
(文・有馬知子、写真・今村拓馬)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。