パティ・マッコード氏は、元ネットフリックス最高人事責任者。サン・マイクロシステムズで人事のキャリアを始め、ネットフリックスには創業時から参画。現在は企業へのコンサルテーションのほか世界中で講演活動を行っている。
撮影:鈴木愛子
全世界で1億2500万人を超す会員を擁し、北米のピーク時インターネット通信量の約3分の1を占める超人気動画配信サービス——それがネットフリックス(Netflix)だ。
1997年にDVD郵送レンタル会社として始まったネットフリックスは、20年余りでレンタルビデオ最大手ブロックバスターを破綻に追い込み、『ハウス・オブ・カード』をはじめとするオリジナル作品でヒットを連発。今や映画業界にも脅威を与える存在にまで成長を遂げた。
その飛躍の原動力と言われているのが、同社のユニークな企業文化であり、人材マネジメント手法だ。
ライバルひしめく厳しい環境にありながら、ネットフリックスはなぜこれほどの快進撃を続けられるのか。世界中から優秀な人材を惹きつけ、最高の成果をあげてもらう秘訣とは。CEOリード・ヘイスティングス氏とともに創業時から同社の企業文化の基礎づくりをしてきたパティ・マッコード氏に聞いた。
「解雇基準」の公表が大反響
——ネットフリックスといえば、同社の人事方針をまとめた資料「カルチャーデック(※)」を公開したことが話題になりました。公開後、フェイスブックのシェリル・サンドバーグCOOから絶賛されるなど世界中で反響がありましたね。
マッコード:あれほどの反響があるとは予想していなかったので驚きました。「カルチャーデック」はもともと、ネットフリックスの入社希望者に「どんな会社か知ってほしい」という思いで公開したものです。多くの方の共感を得たのは、“正直に”書いている点だと思います。
「『カルチャーデック』はすごくイノベーティブですね」とか「斬新な取り組みですね」と褒めていただくことも多かったのですが、書かれている内容の大半は、既に多くの企業が取り組んでいることです。ただ、社員の解雇理由や評価基準を公にする企業は、ほとんどありませんでした。それを明文化したことが他社との最大の違いでしょうね。
※ネットフリックスの「カルチャーデック」
ネットフリックスの人事方針を説明したスライド資料。もともとは社内用で、画像も動画も含まない文字だけの127枚にのぼるスライドだが、2009年に一般公開されるとフェイスブックのシェリル・サンドバーグCOOが「シリコンバレーで書かれた中で最も重要な文書」と称賛するなど多くの注目を集めた。パティ・マッコード氏は、この資料作成に深く関与している。
DVDレンタルサービスとして始まったネットフリックスだが、2007年にはストリーミング配信サービスへと転身。この頃から破竹の勢いで成長を遂げ、今では売上157億ドル(2018年)を誇る。
Shutterstock
——「カルチャーデック」には「たとえ努力が『A評価』であっても成績が長らく『B評価』なら解雇手当を受け取ることになる」とあります。このような厳しい判断を下すのは、かなり勇気が要ることではないでしょうか。
マッコード:ええ、かなり勇気がいることです。時には勇気を持って解雇の決断を下すという仕事を、私は30年間続けてきました。そのなかで、人事担当として想定しておくべきケースが3つあります。
1つ目は、採用自体が間違っているケース。自分が気に入った人物を採用して、あとは将来活躍してくれることをひたすら祈るというパターンですね。どういった業務に就いてもらうか決まってもいないのに採用を決めてしまうと、ミスマッチが起こりやすいです。
2つ目は、特にエンジニアに多いと思うのですが、その人の能力が最大限活かせる業務が終了したというケースです。
例えば、あるシステムを構築するためにエンジニアを雇い入れ、1年後に無事に完成したとします。ここでよくあるのが、同じエンジニアに、今度はメンテナンス担当として残ってもらうというもの。「何かしらのポストを用意してでも残ってもらう方が、その人のためだ」と考えるわけです。
しかし、この判断は会社と社員双方にとって幸せではないと思います。そのエンジニアはモノづくりがしたくて組織に入ってきたのであって、必ずしもメンテナンスがやりたいわけではないでしょうし、企業側も、最適任者を配置できていないわけですから。
3つ目は、企業の戦略や方向性が変わった時や、新規事業や新サービスを立ち上げた時。ビジネスが急速に拡大するなか、「これまでの責任範囲をはるかに超える仕事をしてもらわなければいけない、しかも今すぐに!」というようなケースです。もちろん、その人材だっていずれはできるようになるかもしれない。けれど即戦力を必要としている組織としては、とうてい待ってはいられません。
これら3つのケースはいずれも、本人の「努力」とはまったく関係のないことです。でも、社員はこういったケースが自分の身に起こり得るという想定は常にしておいた方がいい。一方の企業側も、そういうシナリオがあり得ることを最初から開示しておくことで、社員に対して誠意を示すことができると思います。
企業と社員双方が、より良い選択をするために、お互い正直に未来を見据えた話し合いができる環境づくりが大切です。
「辞めた今でも大好きな会社」
ネットフリックスを創業から支えてきたマッコード氏。同社を去った今でも「my company」という感覚は抜けないという。
撮影:鈴木愛子
——あなたがネットフリックスを去った理由も解雇だったと聞きましたが。
マッコード:リード(・ヘイスティングス、ネットフリックスCEO)とは20年来、仕事で苦楽を共にしてきました。彼とはずっと約束していたんですよ。「企業成長の各フェーズにおいて最適な人材でなくなったと感じた時は、お互いに正直に言い合おう」と。
ネットフリックスの立ち上げフェーズにおいては、私は人事担当として最適人材だった。けれどオリジナルコンテンツをつくるようになったフェーズでは、私よりももっと適任者がいる。私が会社を去る決断をしたのは、リードとじっくり話し合った結果です。
——ネットフリックスのような成長企業を去ることに未練はなかったのですか。
マッコード:ネットフリックスを辞めたことについて、「悲しくはなかったですか?」などとよく聞かれます。これって人間関係と同じようなものですよね。先日もある記者に尋ねられたので、思わず「あなたは最後に恋人と別れた時の話をしたいですか」と聞き返してやりました(笑)。
ネットフリックスのことは今でも大好き。いまだに「私」ではなく「私たち」という主語で話してしまうくらい。It's my company(私の会社)という感覚です。おそらく一生変わらないでしょうね。ネットフリックスではたくさんの友人に恵まれましたし、リードとは今でもとても良い関係です。
採用で重視される問題解決能力
採用の際に重視すべきは“What ”よりも“Why”。ネットフリックスでは「我が社は何の問題を解決したいのか」を起点とした採用を徹底している。
撮影:鈴木愛子
——ネットフリックスはハイパフォーマーの宝庫としても有名です。人材を採用する際に最も重視するポイントを教えてください。
マッコード:「ハイパフォーマー」とは、一生懸命がんばってくれる人でも長時間働く人でもなく、成果が出せる人材のこと。課題を解決したくてうずうずしている人、解決能力が極めて高い人……そういう人のことをハイパフォーマーと呼びます。
ではネットフリックスの採用方針はというと、「どんな人を雇いたいか」ではなく「何の問題を解決するために採用するのか」という目的を第一に考えます。条件を満たす人材ではなく、問題解決能力がある人材かを最重要視するということです。
スポーツ同様、組織も全員が同じポジションでプレーされても困りますよね。円滑なチームワークを実現するためには、まったく違うタイプの人材が必要ですから、チームの弱点を補える人材を採用するのです。
——社員が常に高いパフォーマンスを維持できるよう、企業ができることがあれば教えてください。
マッコード:社員の高いパフォーマンスを維持するには、リフレッシュできるオフィス環境を整備することが大切だと思います。
これはネットフリックスで長いことハイパフォーマーたちの仕事ぶりを見ていて実感したことなのですが、会社にしてみれば、彼らが成果を上げてくれる限り、いつどこで仕事をしようが関係ありません。
職場は、計画を立案したり、コンセンサスをとったり、物事を決めたりするには適しているかもしれないけれど、ベストアイデアは往々にして、職場以外の場所で生まれるものです。ビーチでくつろいでいる時や、シャワーを浴びてリラックスしている時などにね。
だから私は今でもよく言うんですよ。ネットフリックスに1つ足りないものがあるとしたら、それはシャワールームだって(笑)。会社にシャワーがあれば、「問題が解決できない? じゃあシャワーへどうぞ!」と言えますからね。
「成果を出してくれる限り、どこで働くかは関係ない」とマッコード氏。
Shutterstock
——組織論ではよく「パレートの法則(組織全体の上位2割の人が利益の大部分をもたらすという考え)」が引き合いに出されます。ネットフリックスのようなハイパフォーマー集団にも、この法則は当てはまるのでしょうか。
マッコード:仮に2割の人材だけがハイパフォーマーで、残りの8割がそうではないとしたら、それはマネジメントに問題があるのだと思います。解決すべき問題が何なのかをリーダーがしっかりフォーカスできていないのでしょう。
人は、「普通」を目指せば普通の成果しか出ません。でも全員に「卓越」を求めることによって、社員1人ひとりの隠れた強みを引き出せるかもしれない。
人は自身の成長を実感し、「できるはず」と自信を持った時には必ず成果を出します。これは、人事担当として長年多くの人材を見てきた私の経験から、確信をもって言えることです。
風通しのよい企業ほど業績が高い
ネットフリックスの人事方針資料「カルチャーデック」が元になったマッコード氏の著書『NETFLIXの最強人事戦略』(光文社)。「ネットフリックスのやり方をすべて真似してほしくて書いたわけではありません。各章末の『まとめ』をまず読んで、興味を持ったところから読むのがおすすめ」とマッコード氏。
撮影:鈴木愛子
——あなたの著書の中で、「風通しのよい企業は、そうでない企業に比べて、10年間の株主総利益率が2.7倍高い」という調査結果が紹介されています。企業の業績と透明度が相関することは数値的に証明されているにもかかわらず、本当の意味でオープンな組織というのは日本においても少ないのが現状です。
マッコード:企業の透明性が高いほど、より良い決断を下せると思います。組織の目指すゴールや内部事情、同僚の仕事内容について互いに理解していると、社員は指示を待たずに主体的に動くことができます。その結果、仕事がスピーディーに進むのです。
文脈はスピードと効率性をもたらしますから、企業の透明性と成長スピードには強い相関関係があると思います。
そしてもうひとつ。先ほどネットフリックスの採用方針についてお話ししましたが、仮にハイパフォーマーを採用したとしても、「なぜ(何の問題を解決するために採用するのか)」という目的の部分がしっかり共有・理解されていないと最善の成果を出すことはできません。
伝統的な日本の大企業は、「何(どんな人を雇いたいか)」にこだわりすぎて、「なぜ」という観点を見落としがちなように感じます。これもすべて企業の透明性の問題に関わってくることです。
「どんな人を雇いたいか」よりも「何の問題を解決するために採用するのか」にもっとフォーカスすべき。
Shutterstock
——ネットフリックスは、業績と透明性が相関することを初期の頃から理解していたのですか。
マッコード:ええ。ただネットフリックスの場合は「全員で問題解決に当たらなければいけなかった。そのため結果的に組織の透明性が高くなった」というのが実際のところですね。
ヒエラルキー構造は「上の人の方が下の人よりも物事を知っている」という前提のもとに成り立っています。しかし、ネットフリックスのようにゼロからスタートする場合は、何が正解かなんて誰も知りませんし、誰が正解を持っていても不思議ではありません。
誰もが組織に貢献し得る状況と、誰もが課題の解決にあたった結果が、透明性の高いネットフリックスの環境を生んだのだと思います。
「仕事で成果を出したから昇進」はおかしい
「成果をあげる能力」と「マネジメント能力」は本来、まったくの別物であるはずだ。
撮影:鈴木愛子
——「昇進」についても伺います。優れた成果を上げた人を昇進させてマネジメント職につけるという企業は少なくありませんが、これについてはどう思われますか。
マッコード:「ハイパフォーマー」と「マネジメントの適性がある人材」はまったくの別物です。たとえエンジニアが素晴らしいシステムを構築したとしても、それが理由で昇進するというのはおかしな話です。
私がネットフリックスで経験したエピソードをひとつご紹介しましょう。
あるチームを率いるエンジニアに、「僕は40歳までにディレクターになりたいんです。昇進するには何が必要ですか」という相談を持ちかけられたことがありました。
私の答えはこうです。「あなたにディレクターの役割は求めていないの。ディレクターに比べれば、今のポストは役割も権限も小さいかもしれない。でも、あなたにはあくまでも今のチームを率いることに専念して欲しい。どうしても40歳までにディレクターになりたいのなら、他社に移ったほうがいいと思う」
その半年後、注力していたプロジェクト自体がなくなったことで、彼は解雇になりました。彼の処遇に関しては人事の同僚からもさまざまな意見がありましたが、昇進するのは企業のニーズとその人材が持っている適性がマッチした時だけであるべきというのが私の考えです。会社に対して貢献をしたのなら、昇進ではなく報奨という形で見返りを出すべきでしょう。
マネジメント人材を採用する際には、その目的にフォーカスすることが大切です。例えば、プロジェクトの進行管理が得意な人を雇う場合もあれば、部下の能力を引き出し、最大のパフォーマンスを発揮させるコーチングの役割を期待して雇う場合もあります。また、働きやすい環境づくりのためのコミュニケーターとして雇う場合もあるでしょうね。
あなたの組織で今日からできること
たとえトップが変革の大号令をかけなくても、現場から始められることはある。
撮影:今村拓馬
——最後に、日本企業へアドバイスをお願いします。
マッコード:日本企業では、「トップが変革を主導しないかぎり我が社は変わらない」と社員たちが考える傾向にあると聞いています。たしかに企業文化を大きく変えることは難しいかもしれません。
しかし、チーム内の改革であれば、明日からでも自分自身ができることです。例えば、「無駄だと思いながらも、やらされている仕事はあるだろうか」とメンバーに問いかけてみるだけでもいいのです。
もし「ある」という返答なら、「その仕事を思い切って止めてみませんか」と提案してみる。こうして業務の無駄をそぎ落とすのも十分に「変化」と言えます。これだけでも、自由な時間が増えて社員のパフォーマンスの向上につながるでしょう。
また、企業だけでなく、個人の意識も変えていかなければなりません。自由が欲しいと主張する一方で、責任は負いたくないという人が多いですよね。社員1人ひとりが、「『自由』と『責任』は一対である」という意識を持つことが大切ではないでしょうか。
私はよく、コンサルティングをする企業に対してこう尋ねるんです。「へえ、楽しそうですね。ところで御社がそれをやったとして、顧客にどう役立つのですか」と。
楽しいと思えることをやるのは素晴らしい。でも忘れてならないのは、それが顧客に何をもたらすのかということ。チームのためでも自社のためでも、ましてや上司のためでもなく、私たちは顧客のためにこそ働いているのです。このようにたった1つ意識を変えるだけで、あなたの会社も大きく変わると思います。
撮影:鈴木愛子
(構成・松元順子、撮影・鈴木愛子、聞き手/編集・常盤亜由子)