【独占】ZOZO前澤友作・ライブドア堀江貴文・LINE出澤剛のすごさとは?田端信太郎が語る“ITベンチャー20年史”

2019年は、日本のITベンチャー業界にとって紛れもなく節目となる年だった。ヤフーによるZOZOの買収、さらにそのヤフーがLINEと経営統合 —— これらのニュースは、20年来繰り広げられた「インターネットという新大陸をめぐる争い」の終えんを印象付けた。

これらすべての企業に、直接的・間接的にかかわってきた人間がいる。元LINE上級執行役員で、ZOZOの執行役員コミュニケーションデザイン室長も歴任した田端信太郎だ。ITベンチャーの興亡をつねに最前線で見つめてきた彼は「2020年以降」の日本のIT業界に何を期待するのか?

2時間にわたりたっぷりと語ってもらった。

田端信太郎

撮影:今村拓馬

プロフィール:1975年生まれ。1999年に新卒でNTTデータに入社。2001年にリクルートに転職し、フリーマガジン『R25』を立ち上げる。2005年にライブドア執行役員メディア事業部長に就任。経営再生をリードする傍ら、複数の新規メディアを立ち上げる。その後、『GQ』『VOGUE』などを発行するコンデナスト・ジャパンを経て、2018年2月までLINEで上級執行役員を務め、同年3月からスタートトゥデイ(現ZOZO)のコミュニケーションデザイン室長に就任。2019年5月よりZOZOコミュニケーション室長。2019年12月末で退職。12月、著書『これからの会社員の教科書』を上梓。

堀江さんと前澤さんは似ていて、違う

「ネット事業のブームは10年サイクルでめぐってくる」 —— これが僕の持論です。20年前も、今と同じようにコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)が流行してたり、リクルートがネット銀行やフィンテックと呼ばれるビジネスを手がけようとしたりね。ビジネスも人間がやるものだからだいたい波って変わらない、リメイク版の名作恋愛ドラマみたいなモノですよ(笑)。

ネットブームの10年サイクルでいうと、あの堀江貴文さんというキャラクターの揺り戻しで出てきたのが、前澤友作さんですよね。プライベートジェットだ、女子アナと合コンだという「ヒルズ族」の価値観が、ライブドア事件の後にダサいといわれるようになった。それから10年が過ぎ、明るくあっけらかんと「オレのお金を好きに使って何か悪い?」という前澤さんが出てきた。

もちろん全然似ていないところもありますよ。堀江さんは、ものすごい理詰めで合理的、「それもうかるの?」と。前澤さんも頭は当然いいんだけど、もっと直感的に決断するし「それってかっこ悪くない?」とか「誰かが悲しまない?」と、人の気持ちをすごく気にする人です。

経営者としてどちらが良い・悪いではないんです。どちらにも「自分には見えない何かが見えているんだろうな」と思わせる魔力がある。理解不能だからこそ、実際に仕事を現場で見て、理解したい。そんな強烈な「創業社長」に、ぼくは魅了されてきました。

ネットバブルに翻弄された20代

マーク・アンドリーセン

ウェブブラウザの開発によって巨額の富を得たマーク・アンドリーセンは、1990年代の「ドットコム・バブル」を象徴する存在となった。

Reuters

ぼくは1995年にインターネットと出合いました。

通っていた慶應義塾大学の日吉校舎の語学教室棟のロビーで流れていたCNNが、ネットスケープのIPO(新規株式上場)を報じていたんです。ぼくと同い年くらいのふつうの兄ちゃんといった見た目のマーク・アンドリーセン(当時23歳)が「一夜にして億万長者になった気持ちはどうですか?」とインタビューで聞かれていた。ものすごい衝撃でしたね。

「これはすごいことが起こっている!」と、すぐに秋葉原に行ってネットにつなぐモデムとMacを買いました。そこからは1日中ネットサーフィンをしたり、見よう見まねでホームページを作ったり。

そのうちに、デジタルハリウッドが秋葉原の近くの神田淡路町にできた。その学校の講師助手のバイトを始めて、総合商社の商社マンなどに「ここ、タグが閉じられてないですよ」なんていってHTMLを教えたりしていました。その流れで、ウェブサイトを作る業務委託の仕事なんかもやっていて、大学生にしてはいいお金になっていたんです。

でも、見た目ばかりを気にして、フラッシュを使いまくるような当時の「ウェブ・デザイン」業界に少し食傷気味になってしまい、ITビジネスを本丸でやりたいとNTTデータに新卒で入るんですが、ここは2年足らずでやめてしまいます。

孫正義氏

1990年代のインターネットバブルを牽引したソフトバンク。

Eriko Sugita/Reuters

2001年の年明けにリクルートに転職するんですが、入社する直前にネットバブルが弾けました。ナスダック市場が大暴落、ソフトバンクも光通信も株が大暴落して、やりたかったインターネットベンチャーの投資事業もできなくなりました。

オマエら、ネットをもてはやす連中は詐欺師だ、オレたちが靴底をすり減らして営業して取ってきたお金を、億円単位で燃やしやがって!

紙の既存事業に近い別部署の人からはそう言われて、悔しかったですね。今なら、当時の自分は地に足が付いていないことばかり言っていたなと思えるんですが、当時はそれもわからなかった。

半ば逆ギレ気味に、じゃあ、紙ならいいのかよ!?と紙のポータルサイトを作るという構想でフリーマガジンの「R25」を新規事業として立ち上げました(笑)。ここでは地道な人と人とのつながりからどうビジネスを生むかを学びましたね。

平成最大のIT事件「ライブドア・ショック」

堀江貴文氏

ライブドアによるニッポン放送の敵対的買収騒動は、2000年代のIT業界を代表する出来事となった。

写真:Koichi Kamoshida/Getty Images

2005年、30歳の時にニュース事業の責任者としてライブドアに入社します。当時のライブドアは肉食獣だらけのカオスなジャングルみたいな感じ。ボーナス査定のたびに血気盛んな部下が「こんな額じゃ満足いきません!」と乗り込んでくる。

「まあまあ、人生長いんだから目先の数字ばかりにこだわらずに。見てくれている人はちゃんといるよ」とぼくが諭したら「そんなこと言っても、来年のボーナスの時に田端さんがいるかどうかわからないじゃないですか!」と反論される、そんな社風でした(笑)。

入社して9カ月後、ライブドア事件が発生します。

2006年1月16日、六本木ヒルズ38Fのライブドア本社に東京地検特捜部の強制捜査がありました。全てのテレビ局がヘリを飛ばして中継をして、外はものすごく騒がしいのに、中はまるで台風の目みたいに静か。あの妙な高揚感をよく覚えています。

例えるなら東大安田講堂事件で機動隊と戦っていた若者の気分かもしれない。勝っても負けてもいいから、あのニュースの現場、大いくさの現場にいたぞ!と後で言えるような会社にいたい、そのほうが面白い! —— そう感じた原体験かもしれません。

安田講堂事件:1969年1月、東京大学の安田講堂に、火炎ビンなどで武装した学生らが立てこもり、封鎖解除をしようとする機動隊と衝突した。ベトナム戦争を契機に広まった反戦・反体制ムードを背景に、全国の大学で多発した学園闘争を象徴する事件。

しかし株価は大暴落し、その暴落したライブドア株を買い占めて、企業を解体して資産を切り売りしようとする外資系の“ハゲタカファンド”が群がりました。ライブドアは上場廃止になり、ポータルサイトの広告主もどんどん抜けました。

当然ですが、収支をあわせて黒字化するために、人もサービスもリストラしまくりました。ライブドアニュースの記者たちも30人ぐらいリストラして。今でも、みんなを集めて部門単位でレイオフを発表する会議、そして退職同意書を取り付ける面談のことを思い出すと苦しくなるんですが、その辺から怖いものがなくなりましたよね。

苦楽をともにしたのが、当時(2007年から)のライブドア社長で、現LINE社長の出澤剛さんでした。ファンドからの要求は、1年で単月黒字・2年で通期黒字。その目標を達成して、そこからが次のスポンサー探し。そこでライブドアを買ったのが当時のNHN Japan(NAVERなどを有する韓国最大のネット企業の日本支社)だったというわけです。

出澤剛氏

ライブドア社長・LINE社長を歴任した出澤剛氏。

撮影:林佑樹

出澤さんは元々ライブドアのモバイル事業部、ぼくはPCのポータル事業部だったので、それまでは同じ社内なのに客先で営業マンが予算を奪い合うという、肉食獣同士のような感じだったんですが(笑)、事件後にはそんなことも言っていられないので統合しました。

出澤さんはあの状態のライブドアを再建まで持っていき、さらにはLINEの社長になり、LINEを上場させた。さらにライブドア時代、背中も見えないライバルだったヤフーと「対等の精神」での経営統合への合意まで実現させた。

創業社長ではないけれど、前澤さんや堀江さんとは違うタイプの、粘り強く実直なサラリーマン社長の鑑のような人。しばしば乱暴な発言から、ネットで炎上したり、クライアントを怒らせたりする厄介者のぼくを自由にやらせてくれた懐の広い人で、本当に感謝し、尊敬しています。

「家出息子が恥を忍んで、戻りたいと……」

田端信太郎

撮影:今村拓馬

その後の2010年、『VOGUE』や『GQ』を発行する外資系出版社のコンデナストに転職、リーマンショック後で苦況にあえいでいた雑誌のデジタル化を進めます。

コンデナストにいる間にも、出澤さんやライブドア時代の仲間とのつながりはあったんです。

そもそも(ライブドアを買った)NHN Japanにはもともと広告営業部隊がいなかった。ライブドアにいた広告営業のメンバーが、初期のLINEの広告営業部隊の母体になりました。

だいたい年に1〜2度、飲みの席の話で「戻って来たら?」「いやいや、そういうわけには(笑)」という話を冗談のように交わして。でも、2012年の年明けの新年会でそんな話をしていたら「やっぱり本気で戻りたい!戻るべきだな!」と強く感じてしまって、飲み会の翌朝にメッセージを送りましたね。

家出息子が恥を忍んでお願いですが、戻らせていただきたいと……」そういうと出澤さんからすぐに「おお!では、どう進めようか」と返事が。その後にLINE社内で「田端さんが戻って来たいといってるんだけど、どう思う?」という打診がいくつかあったそうですが(笑)。ちょっと腐れ縁の戦友みたいな関係かもしれないですね。

出戻り的に戻ったLINEには結局6年いて、僕の会社員としてキャリア在籍期間としては一番、長くなりました。

ヤフー・LINE

2019年、ヤフーとLINEは電撃的に経営統合を発表した。

撮影:小林優多郎

そして、ぼくがZOZOに転職した1年半後、かつてのライブドアの強敵だったヤフーとLINEの経営統合が発表されるわけですが、最初の感想は「マジか!?」と。

でも、両方の中の人を知っているからこそ、経営統合の可能性は十分ありえるなと思っていました。ヤフーとLINEを子会社として迎え入れようとしていた構想があったのだと考えると、2019年4月に(持ち株会社としての)Zホールディングスを作ると発表した理由も、大いに納得ができます。

今振り返ると、M&Aの交渉はヤフーがZOZOを買収する話と同時並行で進んでいたということで、ヤフー側は、本当に大変だったと思いますよ。

田端信太郎、ZOZOやめるってよ

国内ではLINEとヤフーの経営統合によって、グローバルではGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)とBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)の隆盛で、1990年代から続いてきたインターネットという新大陸の陣取り合戦は、ほぼ試合終了したと思います。

けれど、道路網が完成して初めて郊外型ショッピングモールやロードサイドの小売り事業が成り立つように、あるいは、日本全国に電力網が完成し、カラーテレビが普及していることを前提に、テレビCMのビジネスが伸びるように、ここからほぼ全人類がスマホを持っていることを前提とした新しいビジネスのフロンティアが生まれてくるはずです。

ZOZO

2019年9月、ヤフーはZOZOの買収を発表した。

撮影:西山里緒

2019年12月末で、ぼくはZOZOをやめました。自分のキャリアの中で初めて「サラリーマン」ではなくなります。ZOZOの後はいくつかの企業の顧問やアドバイザーをしながら、オンラインサロンの「田端大学」の運営を軸に、“個人”のビジネスを組み立てて行こうと思います。

もちろん、面白い会社があったら、また1社にコミットすることも考えないではないですけど。おそらく、前澤さんとZOZOほど自由にやらせてくれる会社はそうそうないんじゃないかなあ……(笑)。

次のLINEやライブドアはどこから生まれるか —— キーワードは「個人」だとぼくは思っています。今、会社の寿命はどんどん短くなり、逆に人の寿命は長くなっている。つまり会社より人の方が力のある時代です。そもそも会社は実体のないもの、概念でしかないから、会社として人気を集めるのもより“人間らしい”会社でしょう。

お金という意味での資本そのものはもはやコモディティですし、GAFAが提供するクラウドサービスを使えば、初期投資もほとんどいらない(笑)。そんな大局感なので、VC(ベンチャー・キャピタル)という事業モデルも陳腐化しているなと、個人的には思っています。

ぼくのロールモデルは夏野剛さん

夏野剛氏

メールのやりとりやiモードサイトの閲覧が可能だったNTTドコモの「iモード」と、当時NTTドコモの執行役員だった夏野剛氏。2006年4月撮影。

Junko Kimura/Getty Images

あまりメディアでは言ってこなかったんですけど、僕のロールモデルは(元NTTドコモ執行役員で現ドワンゴ社長の)夏野剛さんなんです

NTTデータにいた20代の時、横目にまぶしかったのは、広末涼子さんがCMをしていたiモードでした。ぼくはテレビ向けの双方向サービスの事業企画をしていたのですが、東芝やソニー、パナソニックといったテレビ製造メーカーが「インターネットを消費者に触らせるなんてとんでもない!」と凝り固まっていた時代に、iモードはオープンなウェブへの接続機能を最初から搭載していました。

しかも、安心して使えるドコモ公式メニューと、ゲートウェイを経由としてのインターネットと、オープンさとクローズさをうまく使い分ける設計思想も見事だな、と思っていました。

夏野さんはそれを主導したわけですが、会社という仕組みをアンプのように使って自分を売り込みながら、社会にも大きなインパクトをもたらす。雇われている身だからこそ、やりたいことをやらせてもらう。これがサラリーマンとしてのぼくの理想のあり方です。

広告やマーケティングのあり方も、どんどん変わってきています。今どきは、本当に魅力ある製品や凄いインパクトのあるサービスを作れば、広告費なんかほぼゼロでいくらでも認知を広められる。社長がTwitterでつぶやいてもYouTubeでライブ配信してもいい。

撤退してしまいましたが、アマゾンのDashボタンは革命的でしたね。近いうちに、冷蔵庫の中がデータ化されて、直接に生産工場とつながる。冷蔵庫の中身が減っていると、自動で飲み物や食べ物が発注され、補充される。そんな未来が見えました。

アマゾンダッシュ

ボタンを押すだけでその商品が届くアマゾンの「Dashボタン」。

撮影:伊藤有

ぼくがサントリーやキリンビバレッジのデジタルマーケティングの責任者だったら、ビールのD2C定期購入とバンドル(組み合わせて販売すること)させた1円冷蔵庫を配るアイデアを立てますね。ウイスキーやタバコのように、ブランド・ロイヤリティが鍵になる嗜好品は、銘柄ごとのオンラインサロンがあってもいいはずです。

GAFAやBATなど、世界の上位企業が決済やプラットフォームを握る競争に関しては、ほとんど決着はつきました。だからこそ、それを前提としてどうビジネスを組み立てるか。デジタルマーケティングも今までの常識では通用しないようなことがこれから次々と起こると思いますよ。

福沢諭吉が、幕末から明治維新の時期を振り返って「一身にして二生を経る」と説いたように、これから始まるキャリアの後半戦がとても楽しみです。「個人の時代」に向けて踊りまくる覚悟を決めています。

この年末年始は、北海道で家族とスノボをしていますが、人生のハーフタイムかな。

編集部より:初出時、「ZOZOによるヤフーの買収」としておりましたが正しくは「ヤフーによるZOZOの買収」です。お詫びして訂正致します。 2020年1月3日 10:00

(取材・構成、西山里緒)

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