「ある女子校でテストの点数に最も大きく影響している要因を調べてみると、勉強時間でも勉強法の違いでもなく『感情コントロール』のうまさでした」
そう話すのは、人工知能(AI)を使った適性検査サービス「GROW」を提供するIGSの福原正大さん。
GROWは、教育現場における非認知能力のデータ化や教育効果の検証にも用いられているサービスだ。非認知能力とは、積極性や責任感、周囲への気配り、やり抜く力といったような内申書に書かれるような要素のこと。
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近年、企業においてワークライフバランスが重視されるようになったのは、家庭環境や日常生活の充実度が仕事のパフォーマンスを大きく左右することが分かってきたからだ。同じように、偏差値至上主義の現代教育で、学力に影響を与える要素は、勉強時間や学習方法だけとは限らない。
データで見えてくる学力以外の評価軸
偏差値至上主義の教育では、テスト結果が分かりやすい評価軸となっている。教育現場で新たな評価軸を見出すことは、偏差値市場教育の限界に直面した現代において最重要課題の一つともいえる。
takasuu
非認知能力や個人の行動特性のデータ化を進めることは、新しい評価軸を生み出すことにつながるはずだ、と福原さんは主張する。
「なぜ偏差値ばかりが注目されてしまうのか。それは、世の中が学歴以外の評価軸を見たことがないからでしょう。東京大学を頂点とするきれいな学歴ピラミッドしか評価する基準がありません。確かに学歴はある一つの能力を示していますが、大学と企業の間では、その1つのデータだけでマッチングが行われているのが現状です」(福原さん)
福原氏は、学校にはもっと芳醇なデータが存在するはずだと指摘する。
「そういったデータを集めていけば、個人の人となりが明確になっていくはずです」(福原さん)
このデータは、大学や企業のダイバーシティを作るための判断基準にもなる。実際に企業の採用活動にGROWを取り入れることで、これまで見落とされていた人材の採用が可能となり、ダイバーシティが向上した例がいくつもあるという。
人となりが分かるデータが蓄積されていけば、生徒にとって最適な「メンター」となる教師を選ぶことができるようにるかもしれない。
Yuichiro Chino
さらに福原さんは、教育現場では教師のデータを集めることが非常に重要だと指摘する。
「個人の人となりや特性が分かれば、相性が良い教師と生徒を組み合わせた最適な教室のメンバーを作れると思います」(福原さん)
生徒に多様性があるように、教師にも多様性がある。多様な生徒、教師のデータが集まれば、その中で互いにマッチする組み合わせが必ず見つかるはずだ。将来的には「この先生の授業を受けたいから」という理由で進路を選択したり、自分を伸ばしてくれるタイプの先生がいる学校を選んだりすることも、実現できるだろう。
データ駆使しベテランの経験値を若手へ還元
戸田市では、データを活用した教育政策の立案を目指している。
撮影:三ツ村崇志
データを活用した教育改革に積極的に取り組んでいる自治体がある。
「『私の経験からすると』という、教員の主観のみにもとづいた指導から抜けだしたいという考えがありました」
そう話すのは埼玉県戸田市、教育委員会教育政策室の山本典明さん。
戸田市は教育長の戸ヶ﨑勤氏に先導される形で、「気合い」「経験」「勘」のみにもとづいたある種“古典的”とも言える教育から、「根拠にもとづいた政策立案(EBPM:エビデンスベースポリシーメイキング)」に即した現代的な教育へとシフトしようとしている。
そこで白羽の矢が立ったのが、データ活用だった。
文部科学省の学校教員統計調査(2016年)によると、近年の教育現場ではキャリアを積んだ高齢の教師と、若手教師の二極化が進んでいる。その結果、教師間での知識や経験の継承が進みにくくなっており、教育現場の重要な課題になっている。
山本さんによると、戸田市もこの例に漏れず、ベテランと若手の二極化が進んでいるという。
小学校教員の年齢構成の変化。平成16年と平成28年で比べると、明らかに中間層が減少している。
出典:文部科学省、平成28年度学校教員統計調査学校教員統計調査より引用
経験はもちろん、教育現場での「カン」を磨くにはそれなりに時間が必要だ。仮に経験やカンのみにもとづいたベテラン教師の指導法を若手教師に伝えようとしても、その指導法の効果は検証されたものではなく、納得感を感じにくい。
山本さんは、戸田市が教育改革の一環としてデータを用いた取り組みを進めてきた背景を次のように語る。
「指導において『気合い』『経験』『カン』が重要だと言われても、若手の教師には伝わりません。ベテラン教師の良い面を可視化して伝えてこそ、全体としての授業の質の向上が図れる。そこで、良い授業とは何なのかをデータで可視化していこうという流れになりました」
学力以外のデータ化が教育改革を担う
戸田市では、小学4年生から中学3年生の児童・生徒に対して実施している埼玉県学力学習状況調査の結果データを利用し、分析を進めている。
例えば、学年が上がってテストの難易度が変わっても学力の伸びを推定できる手法を用いて解析(IRT〔項目応答理論〕を用いている)。この結果をもとに、子どもの学力を伸ばしている先生をピックアップ。指導方法などをヒヤリングし、共通した要素を抽出して市の教員全体にフィードバックしている。
山本さんは、
「一例ですが、結果を見ると児童・生徒の学力を伸ばしている先生の多くは、授業の最初に『今日はこういうことを理解します』と、授業の目標や見通しを提示し、学習意欲を高める導入を行っていました」
と話す。
協調性や責任感、やりぬく力など、テストだけでは見えない能力のデータ化が進められている(写真はイメージ)。
Primary school /Shutterstock.com
また、受験で必要とされる教科の点数だけではなく、読解力や非認知能力について、リーディングスキルテストやアンケートを使ってデータ化する試みも進めている。
戸田市では、学校の教育活動における非認知能力(特にやりぬく力)の育成に注力している。近年、読解力と学力の間に相関があることがわかってきた。同じように、非認知能力と学力との関係を推定しようとの試みだ。ここに、前述したIGSのGROWのサービスが活用されている。
戸田市での非認知能力のデータ化は実証研究が始まったばかりで、細かい分析はまだ行われていない。今後、学力と非認知能力の関係、さらに非認知能力の向上に効果のある教育方法の模索や、子どもの特性ごとに適した指導方法の確立など、データをもとに検証されることが期待されている。
「先生の間でもデータ分析、客観的な指標で指導方法を考えるといった思考が身に付きつつあります。戸田市の取り組みで一番重視しているのは、いかに現場に還元できるか、つまり子どもや先生にフィードバックできるかどうかです。
データを集めたり、分析したりする部分は、何かしら学校現場に負担をお願いすることになります。だからこそ、先生にフィードバック(インセンティブ)がないと、現場のモチベーションも下がってしまう。データを何のために使うのか考えて、データの主体である生徒や先生のためになることの優先度を高くしています」(山本さん)
データの裏には必ず主体となる人がいる
撮影:今村拓馬
個人のデータを企業や学校、自治体が持つことには、一定のリスクも伴う。
2019年に発覚したリクルートキャリアによる「内定辞退率」の販売問題のように、データの主体である「個人」の利益に反する形でデータが使われる場合だ。
教育現場におけるデータ化は、子どもの学力差や教師の能力の差を可視化する。そのため、取り扱い方を間違えると、かえって学力至上主義を助長しかねない。前述したIGSの福原さんは、データの利用について次のように語る。
「車も信号機や交通法規がなければ非常に危険な道具になってしまうように、新しいテクノロジーの登場は、それと共に適切なルールを定めることで人類を進歩させてきました。同じように、データやAIの活用にも適切なルールの設定が急務でしょう」
ビックデータとAIを使えば、因果関係が見いだせないようなデータからでも何らかの結果を語ることはできる。そのデータを盲目的に利用すれば、悪用することも簡単だ。
しかし、その裏には、必ずデータの主体となる人がいることを忘れてはいけない。
「データの利用に対しては賛成ですが、倫理的に正しいことに使わなければなりません。そこのルーツは教育にあると思っています。データは個人のものであり個人でしか管理してはいけません」(福原さん)
(文・三ツ村崇志)