オーストラリアでは2019年7月から森林火災が始まり、年末からは南東部で猛威をふるっている。まだ数カ月続くとみられている。
REUTERS/Tracey Nearmy
- オーストラリアで続く史上最悪の森林火災。自分がその被害を被ることになるとは思わなかった。
- 自宅はメルボルン。年末年始は友人4人とサウスコーストの浜辺でバカンスを楽しむことにした。
- 突然起きた森林火事は私たちのいた海岸部を襲い、さらに予想もしない方向へと広がっていった。緊急避難した浜辺の町ナルーマは電気・通信ともダウン。防災用品も全然足りていなかった。
- 大晦日は、地元住民や観光客と避難シェルターの中で過ごした。そのすべての記録を明らかにしたい。
旅行前、私たちは何度も計画を練り直した。数週間前に起きた森林火災が、泊まる予定だったエアビーやキャンプサイトにまで広がる可能性が出てきたので、やむなく予約も変更した。
計画づくりには慎重を期した。とくに、友人たちは慎重すぎるくらいに。警報や注意報は徹底的に調べ上げ、いつでも森林火事の情報を受け取れるよう、あらゆる関連アプリをダウンロードした。できるだけ危険度を下げようと、旅行期間そのものも削った。若く、賢く、旅慣れした、現地の土地勘もある女性5人だった。
旅は、私たち5人の自宅があるビクトリア州メルボルンを出発点に、隣りのニューサウスウェールズ州の海岸部(サウスコースト)を東にたどるルート。近年は国立公園としての整備が進み、観光客にも人気のエリアだ。
私たちが計画した、メルボルンからエデンを経て浜辺の町ナルーマに至る旅のルート。
Google Map
2019年12月27日にメルボルンを出たとき、森林火災は900キロほど北東に離れたシドニーとその周辺で猛威をふるっていた。もちろん、そのエリアには近づこうとも思わなかった。
最初の数日は完璧に晴れ、空は澄みわたり、美しい浜辺にはそよ風が吹いていた。そのときの私たちは、毎年そのエリアを訪れる国内外からの旅行者1210万人のうちの1組にすぎなかった。
しかし、旅の最後の数日間はいわば破滅へと続く悪夢だった。怒り狂ったように赤く燃える空から熱い灰が降り注ぎ、口の中で味を感じられるくらいに濃縮された煙が立ち込めた。
旅の最初の目的地はニューサウスウェールズ州のエデン。
美しきエデンの海。
Rosie Perper/Business Insider
上は12月27日に撮影した写真。青い空、澄み切った空気。危険の兆しはどこにもなかった。事前にダウンロードした災害情報アプリは、森林火災は遠くの話で、旅の計画には何の影響もないことを教えてくれていた。
しかし、森林火災はときどき予想外の動きを見せる。天候次第で延焼するルートは急に変わることもある。
「火災積乱雲」により森林火災が深刻化する仕組み。
Bureau of Meteorology, Victoria
2019年10月に始まった今季の森林火災は、史上最悪の被害をもたらしている。一部のエリアでは温度上昇と乾燥が続き、最高気温は史上記録を更新し、火災を深刻化させている。あまりに巨大な火災が積乱雲をつくり出し、それが雷を誘発することでさらなる火災が起きている。
エデンのすぐ北にある浜辺の町ナルーマに車で向かい、そこで3日間キャンプを張った。12月30日、現地時間で17時ごろ、不吉な警告がキャンプサイト周辺に現れはじめた。
キャンプサイトのシャワールームに貼り出された注意書き。
Rosie Perper/Business Insider
ナルーマのキャンプサイトに着いて、上の(火災の危険性を知らせる)張り紙を読んだのは20時ごろ。すでに暗くなりかけていたので、翌日朝一番で避難するのが安全だろうという話に。
朝5時にアラームをセットし、起きたらすぐにメルボルンまで戻ることに決まり、不安を感じながらも眠りについた。でも、翌日からの避難計画には自信をもっていた。
朝5時、外にはもう煙が立ち込めていた。
私たちは誰よりも先に起きた。それでも手遅れだった。
Rosie Perper/Business Insider
当時火災が起きていたのは80キロ北のベガバレーあたりだったのに、風向きのせいで、火の手はあっという間に私たちがキャンプしていたナルーマの北側すぐのところにまで延びてきた。
急いでキャンプ用具を片づけて車に飛び乗り、できるだけ南へ移動しようとアクセルを踏んだ。予報はこれから状況が悪化することを告げていた。
5分ほど走ったところで男性に止められた。南下するルートはすでに通行止めになっていて、これ以上進めないという。
Rosie Perper/Business Insider
すぐに来た道を引き返した。現地時間の6時30分ごろにはナルーマから出るルートはすべて封鎖された。空はだんだん暗くなり、少しだけ見えていた太陽もすっかり覆い尽くされた。
ナルーマの町に引き返すと、対向車線の渋滞が見えてきた。そして私たちのすぐ後ろにも車の列が。
Rosie Perper/Business Insider
観光客が集まるエリアに入ると、避難所を探したほうがいいと言われた。市街や近隣の農村からたくさんの人たちが海岸沿いに逃げてきていた。
ナルーマのスポーツ・レジャーセンターに開設された避難所に入れてもらえた。
避難所の内部。
Maddy Ashbolt/Business Insider
運営していたのはオーストラリア赤十字(ARC)。朝からたくさんの人が詰めかけていた。数百人の小さな子どもたち、それに飼い犬も50匹以上避難していた。
90歳は越えていると思われる車椅子のおばあちゃんと出会った。介護をしてくれている息子さんと一緒に、近所の町から逃げてきたという。犬は何匹か連れてきたけれど、農場の家畜は残してくるしかなかったそうだ。
あとで知ったことだが、彼女らの町は焼け野原になってしまった。家財を守ろうと残った2人が死亡したという。
避難所に登録を済ませたあと、町に1つだけしかないスーパーで食料などを買い出し。
Rosie Perper/Business Insider
スーパーに到着したのは朝7時30分。
パンや牛乳のような必需品はほとんど売り切れ。
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スーパーと同じく、ナルーマに1つしかない薬局でも、ガスマスクや懐中電灯、薬品などの非常用品は数時間で売り切れた。
外に出ると、煙が頭上近くまで降りてくるところだった。
Rosie Perper/Business Insider
日光は完全に遮られた。
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もはや何時なのかわからない状態。電気もスマホも使えず、(向こうに炎の輝きは見えても)空は暗い。文字どおりブラックアウト。
空の色はグレーから……
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くすんだオレンジ色へと変わり……
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やけに心落ち着かなくなる紫色へ……
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ついには、血のような真っ赤な空に。炎がじわりじわりと押し寄せてくる。
Maddy Ashbolt/Business Insider
午後にはレジャーセンターがいっぱいになり、通りをはさんで向かい側にあるビーチクラブに第2避難所が開設された。
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私たちはテーブルを囲んでカードゲームをして過ごした。避難所のなかは真っ暗でほとんど何も見えなかったけれど。
友人のマッディと車の中へ。ラジオで火災の最新情報を拾ってみることに。
Maddy Ashbolt/Business Insider
キャンプで使ったふきんをマスク代わりに。あんまりかわいくないけど、外の空気を直接吸い込むと、肺に熱い針が刺さったような痛みを感じるので、仕方ない。
不安が襲ってきた。閉じ込められたような気がした。
突然温度が下がり、雨が降り出した。
Maddy Ashbolt/Business Insider
しかし、雨はすぐに灰に変わり、車体や人肌は煤(すす)で覆われた。熱い煙と冷たい風が交互にやってきて、震えを感じた。
空気が悪くなったので、避難してきた人たちはみんな屋内に。通りは薄気味悪い静けさに包まれた。
Rosie Perper/Business Insider
地元の人たちから、「ナルーマ」という町の名前は、先住民アボリジニの「青く澄んだ海」を意味する言葉に由来すると聞いた。
Maddy Ashbolt/Business Insider
でも、この日の海は濁り、燃えさかる炎の赤を映しだしていた。
未来は全然見えてこないのに、みんな明るく過ごしていたことにジーンときた。
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上の写真は、テントを張って音楽を鳴らしていた人たち。ビールでもどう?と誘われたけど、心の中で感謝しつつ、丁重にお断りした。
外に出てはしゃぐ子どもたち。無邪気な笑い声が不吉な静けさを切り裂く。
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誰かがミラーボールを木に吊り下げた。狂乱の1日を過ごすうち、大晦日だったことをすっかり忘れていた。
Rosie Perper/Business Insider
灰色の空を背景にギラギラとした光を放つミラーボール。もはや現実世界のこととは思えなかった。
避難所からすぐのところにDJブースが設置されていた。わけがわからなくなった。
地元の消防団(Rural Fire Service)が用意したDJブース。
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ブースを設置したのは、地元の人たちがボランティアベースでやっている消防団だった。DJを買って出た団員は、Facebookにこんなことを書いていた。
「避難所を運営している人たちに言って、みんなを元気にするパーティーをやらないか、って持ちかけたんだ。そしたら『協力するよ、ぜひ盛り上がるところを見てみたいね』だって。感動したね」
「家族や小さな子どもたちが集まってきて、楽しんだら少し気が楽になったみたいだった。みんながつながって、素晴らしかったよ」
私たちはモーテルの部屋の床に寝転がって一晩を過ごした。
Rosie Perper/Business Insider
いつでも逃げられるように必要な荷物をまとめてから横になった。夜が終わらないような気がして、数時間寝られたかどうか。
翌日の気候条件次第ではナルーマを出られる可能性もあったが、期待はまったく裏切られた。数日は身動きが取れないだろうという話がどこからか聞こえてきた。
2020年1月1日、朝9時30分。州政府当局は住民向けのブリーフィングを行い、町の外へ続く通行止め1カ所を解除したことを明らかに。
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西のクーマに至る約200キロの道路は安全に通行可能で、クーマからさらに首都キャンベラに向かえば、空港もあるし、シドニーやメルボルンに向かうハイウェイもあるという。
しかし、不安な要素は残っていた。ナルーマやその周辺のガソリンスタンドは(停電で油槽からの電動ポンプが使えないために)すべて休業だそうで、クーマまでたどり着くには燃料満タンでナルーマを出ないと、森林火災の延焼ルートにつかまる可能性があった。
それでも、ナルーマを脱出したいという衝動のほうが勝った。数百人が車に荷を積んで、町をあとにしていった。
車にガソリンが半分しか入っていなかった私たちは、不安を抱えつつも、町を脱出する車の列に続いた。
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空はピンク色で、遠くのほうで炎が揺らめくのが見えた。
私たちは本当に幸運だった。ナルーマの南85キロほどにあるタスラの町で、偶然にも小さな給油所を見つけ、そこで燃料を満タンにして旅を続けることができたのだ。笑顔で送り出してくれたオーナーさんは、私たちの命を救ったことなど気づいてもいないようだった。
クーマまでのハイウェイは数キロ先の火災で煙にすっぽり包まれていた。
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山道(スノーウィーマウンテンズ・ハイウェー)の視界は100メートルもなかった。火災はさらに危険な広がりを見せると予測されていたため、行く先が通行止めになる可能性もあった。
ナルーマからクーマまで4時間で到着。
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クーマのマクドナルドには少なくとも100人のお客さんがいた。私たちも軽く食べて、すぐにキャンベラに向かった。状況が悪くなる前に、とにかくたどり着きたかったのだ。
キャンベラ到着はちょうど16時……疲れ果てた。
Rosie Perper/Business Insider
森林火災の煙は風に運ばれて首都キャンベラにも届いていた。空気は熱かった。オーストラリア放送協会(ABC)によると、1月1日のキャンベラでは、大気汚染の程度を示す空気質指数(AQI)が「危険」レベルの23倍にも達したという。
最短で乗れる便でメルボルンへ。搭乗ゲートで涙があふれ出た。
Rosie Perper/Business Insider
それまで体験した事実の重さに押しつぶされそうだった。サウスコーストから避難できないでいる人、逃げても行く先のない人たちのことを考えると、胸が張り裂けそうだった。
飛行機の上からも立ちのぼる煙が見えた。
Rosie Perper/Business Insider
メルボルンに着いたのは現地時間で1月1日の21時ごろ。人生で最も長い2日間だったと思う。4人の友人たちからは家に着いたとほどなく連絡があった。メルボルンの平和は奇跡のように感じられた。
しかし、オーストラリアではいまだに異常な状態が続いている。そして、これが普通の状態になっては困る。
オーストラリアでは夏に(気温の高い年は春も)森林火災が起きるのは珍しいことではない。ただ、気候変動の影響により火災の起きる時期が年々前倒しになり、激甚化が進んでいると指摘する科学者もいる。
私の2020年はこうして予想もしない形で幕を開けた。
Rosie Perper/Business Insider
多くの人たちが、現在進行系の災害で愛する人や帰るべき家を失うなか、私はただただ幸運だったと言うしかない。
火災の恐怖が迫るなかで動けずにいる数千人の人々を支え続けるオーストラリア赤十字の存在を心から誇りに思う。物理的に避難所を提供することはもちろんだけれども、精神的なサポートはそれと同じくらい重要だ。
そして、自分を含む避難所の人たちに元気をくれたニューサウスウェールズ州の消防団には、何と感謝の気持ちを伝えたらいいかわからない。もちろん、毎日悪夢のような状況と勇敢に戦っている他の団員たちにも。
あらためて、私は幸運にも森林火災を逃れて、健康で安全な生活を取り戻すことができた。そこにあるのは感謝だけだ。
この記事を読んでくれた方々へ。もしできることなら、レスキューサービスや火災の犠牲者、その家族の皆さんに、寄付などの支援をお願いします。
(翻訳・編集:川村力)