撮影:今村拓馬
「最近、このあたりからおっちゃんたちが、一掃されたんですよね」
人気のない広い公共施設のエントランスをぐるりと一周し、隅々まで目をこらした。駐輪場の端や建物の裏側などで暖をとっているおっちゃんがいないか、確認するのである。「おっちゃん」とはホームレスの人のことだ。
焼き鳥屋、居酒屋、百均ショップにたこ焼き屋。庶民的な店が軒を連ねる、大阪の中心部から歩いて20分の商店街。
週末の夜、安く飲ませる店の軒先はくつろぐ人たちで賑わうこの商店街から、脇に抜けた公共施設の前でのことだ。
現在、路上で暮らす人の数は全国に4555人(2019年1月、厚生労働省調査)。
病気、人間関係のトラブル、家族の介護などで仕事を失うことは珍しくない。現金収入が途絶え、家賃が払えなくなり、住む家を追われ、路上に居場所を求める —— 。それは誰にでも簡単に驚くほどあっけなく起こり得る。
そしてこの人は、路上生活に陥った人が再び生活を立て直すまでを、5つのステップによって支える活動を行っている。川口加奈、29歳。
就職せずにホームレス支援の道を
川口がホームレス支援に関わって15年になる。
撮影:今村拓馬
川口がホームレス支援を始めたのは14歳のときだ。
中学から私立ミッションスクールに通うような恵まれた家庭に育った女の子が、大学卒業後も就職せず、ホームレスの人たちと関わり続けている。
19歳、大学2年で任意団体「Homedoor(ホームドア)」をつくった。大阪駅やその周辺など、北区に暮らす路上生活者を支援する。
現在は認定NPO法人となり、事務局スタッフが6人、当事者スタッフが20人、相談ボランティアは15人、ボランティア登録者は1158人にのぼる。ビジョンは「ホームレス状態を生み出さない日本の社会構造をつくる」だ。
川口はいつものように、弁当を持って夜回りを始めようとしている。
本格的な冬を迎えようとする、夜9時。
「よかったら遊びに来てください」
撮影:今村拓馬
川口はボランティアとともに早足で大きな公園に向かった。東京ドームがすっぽり収まる広い敷地にはジャングルジムや長い滑り台などの大型遊具、卓球場、充実した施設に、芝生、噴水まで備える。
商店街の喧騒とは裏腹に静かな公園内をひんやりとした夜露が覆う。
ずんずんと歩いて行く川口の前方に、荷台にこんもりと荷物を積み上げた自転車が見えた。自転車の脇のベンチで中年の男性が仰向けになって文庫本を読んでいる。
「お弁当、渡しましょう」
川口がささやき、ボランティアがバッグの中から弁当とスナックを小分けに入れた袋をそっと取り出した。
「こんばんは」
ゆったりとした関西弁で川口が声をかけ、男性が身を起こした。がっちりとした肩は、50代に差しかかった頃だろうか。
「何の本、読んではるんですか?」
穏やかな川口の口調につられるように、
「東野圭吾は全部読んだよ」
と返した男性の言葉には南国の訛りがあった。
ひとしきり言葉を交わし、「Homedoor」の案内を書いたニューズレターを手渡した。
「体に気ぃつけてくださいね。よかったら、うちにも遊びに来てください。推理小説とかいっぱいあるし」
「ありがとう。寄らせてもらいます」
弁当は知ってもらうための手段
撮影:今村拓馬
公園の内外のどこに誰の棲み家があるのか、川口の頭の中には顔と名前と場所が一致する地図ができあがっている。
歩道橋のたもとや商店街の端に寝床を敷いて暮らす人たちは、川口を見ると笑顔になった。
「今日のおかず、何?」
と、ヤマさん。路上生活歴は10年を超える。
「ヤマさん、爪伸びとるなあ。お風呂、入りにきてくれたらええなあ。爪切りもあるし」
噛み合わないかけ合いが、どこかあたたかい。
「もうすぐ、カレーが食べられる忘年会なんで、よかったら来てくださいね」
安否確認をしながらこうして弁当を配り、声をかけ、別れ際にはHomedoorに来てみないか、と誘いの言葉は忘れない。
出発して1時間半、夜10時半を回る頃、20個の弁当はすっかりはけた。これからの厳しい寒さをどのようにしのぐのか。2時間の夜回り「ホムパト」は路上生活者の立場を具体的に想像させる体験だった。
弁当はおっちゃんたちにHomedoorを知ってもらう手段だ。
食事、寝る場所、仕事、人との関わり。Homedoorにはホームレスが生活を再建するために必要な手段がさまざまな形で用意されている。この仕組みを川口は8年かけて整えた。ホームレス支援の団体がさまざまあるなか、トータルな仕組みはホームドア独自のものだ。
だが、Homedoorとつながって生活を変えるかどうかは、本人の意思に委ねられている。
それぞれに事情ある人たち
キビキビと弁当づくりの場を仕切る弦さん。
撮影:今村拓馬
玉子焼き、煮物、魚の切り身の唐揚げ。テーブルいっぱいに並べられたおかずとバットに広げられた白飯を、10人ちょっとのボランティアが流れ作業で詰めていく。米は寄付、食材はフードバンクからの提供だ。ごはんにシャケのふりかけをかけて、焼き海苔を被せると完成する。
ホムパトに出かける1時間ほど前、Homedoorの事務所にはこんな風景があった。
おかず作りに腕をふるった弦さん(仮名)は、60代の後半、元料理人だ。
関東のある町で生まれ、中学卒業後に都内で料理の修業をした。結婚して名古屋に移り住んだが、愛妻を亡くし50歳目前でひとり大阪へ流れた。興した事業がうまくいかず、数年前から川に近い路上に生活の場が移った。
「ホムパト」中の川口に出会ったのは2年前。弦さんは、後日Homedoorの事務所を訪ねた。そこで路上生活から抜け出るための「相談」をするようになり、Homedoorに「居場所」を得て、また、食事のサポートを受けた。ほどなく、自転車整理やビラ配りの仕事を紹介され「働く」ことが可能になった。住民票登録や保証人のサポートを受けて、現在住むアパートの契約にこぎつけた。
ホムパトのある日、弦さんはアパートから45分かけて電車を乗り継いで事務所へやってくる。Homedoorに集まる人たちと冗談を言い合い、料理に腕をふるって感謝されるひとときは、弦さんにとって大切な時間だ。
川口のそばでホームレスの人たちを眺めていると、それぞれのホームレスがひとりの人として立ち上がってくる。「ホームレス」という単語ではくくることのできないそれぞれの事情や生い立ちの物語があることが、ぐっと身近に思えてくる。
14歳の彼女とホームレス問題を結びつけたものは何なのか。なぜ、彼女はホームレスの人たちと関わり続けているのか。次回はその原点となった大阪・釜ヶ崎から始める。
(敬称略、明日に続く)
(文・三宅玲子、写真・今村拓馬、デザイン・星野美緒)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ『BillionBeats』運営。近著『真夜中の陽だまりールポ・夜間保育園』で社会に求められる「子育ての防波堤」を取材。