撮影:今村拓馬
「俺のベンツ」「俺のフェラーリ」
おっちゃんたちは愛車をこんなふうに呼んで、熱心に手入れをする。愛車は自転車だ。
川口加奈(29)がおっちゃんと自転車の深い関わりを知ったのは、大阪市立大学経済学部2年の夏、仲間2人とともに任意団体・Homedoor(ホームドア)をつくってほどなくのことである。
“相棒”に精通するおっちゃんたち
メンバーは釜ヶ崎でホームレスの人たちの生活調査に取り組むことにした。喫茶店に頼み込んで、朝の時間帯にモーニング喫茶の営業を始めた。朝食のために訪れるおっちゃんたちへの対面聞き取りをして、実態と課題を調査するというものだ。
川口はホームレスの人から自転車との密な関わりを教えられた。
「おっちゃんたちは空き缶を集めて1キロあたりいくらで売って暮らしを立てていました。大量の空き缶を運ぶのに自転車は欠かせません。修理や手入れのコツなど、自転車に精通した人がものすごく多いんです。おっちゃんたちにとって自転車は相棒でした」
おっちゃんたちの自転車修理の技術を生かさない手はないと、シェアサイクル事業の実現を目指して行動に移した。
手分けして、シェアサイクルのステーションとして場所を提供してくれる企業を求めて営業に回った。手当たり次第に飛び込みで営業をかけた。
「うちの会社の前にホームレスが立つの、イヤやねん」「見た目の格好は大丈夫なん?」
など、200社を超える会社に断られた。
就活の季節、そしてひとりになった
スマートなロゴはアメリカ村の街並みに溶け込んでいる。
撮影:今村拓馬
シェアサイクル事業「ハブチャリ」が期間限定の実験にこぎつけたのは、調査から1年後の2011年7月。梅田、中崎町、本町、谷町に合計4カ所のステーションを設置し、20台近い自転車を用意。運営は10人ほどの学生ボランティアで行った。
Homedoorの活動はここで岐路を迎えることになる。
実は、Homedoorを主導したのは川口ではない。高校時代から川口と同様にボランティア活動をしていた他大学の男子学生がソーシャルビジネスに関心を持ち、一緒にやろうと川口に声をかけたのが始まりだった。
「ソーシャルなテーマで起業するにあたって、14歳からホームレスに関わっているというストーリー性のある私のことを、一緒に組むのにうってつけだと考えたみたいなんです。
正直言うと、私はホームレスの問題に関心は持ち続けていましたけれども、一度就職して知見を広めた上で、30歳ぐらいでまたホームレス問題に関われたら、くらいに考えていました」
ところが肝心の男子学生は途中から来なくなり、Homedoorは川口と女子学生の2人になった。1年かけて2人で実験までこぎつけたが、1週間の実験が終わると、大学3年の秋、就活本番である。
女子学生はここを潮時にHomedoorから離れ就活へと進み、Homedoorは川口ひとりとなった。
ひとりになっても、川口はやめなかった。
川口はなぜ、続ける決断をしたのか。
「ハブチャリの実験を新聞で大きく取り上げてもらって話題になったんです。それを見て、まだ何も形になっていないのに、ここでやめたら実験した意味がないと思いました」
「ホムパト」のボランティア参加者には、事前に事務局長の松本浩美が活動の目的や心構えをレクチャーする。
撮影:今村拓馬
援軍は思わぬところから現れた。大阪女学院中高のYWCA部で1学年後輩、関西学院大学に進学していた松本浩美が、一緒にやりたいと手を挙げたのだ。
その年の10月、NPO法人格を取得。
廃業が決まっているホテルから場所の提供を受け、レンタサイクル事業として実験を再開。今度はホームレス経験のあるおっちゃん4人が参加した。
翌2012年4月、ハブチャリは事業化した。難波、梅田、谷町、動物園前の4カ所にステーションを設置し、1カ所あたり5台、合計20台の自転車で運営する。合計6人のおっちゃんたちが参加した。
2017年には認定NPO法人となり、後輩の松本は事務局長として現在まで運営実務を取り仕切っている。
取材当日、Homedoorの建物内を案内してくれたのも松本だった。20代という年相応のファッションに身を包む川口も松本も、ホームレス支援というイメージは程遠い。だが、2人ともあっけないくらいに違和感なく、おっちゃんたちとフラットに関わっている。
生活立て直す多様な支援メニュー
ホームレスの人を再出発までワンストップで支援する仕組みはまだ全国でも珍しい。
撮影:今村拓馬
ホームレスの人たちが生活を立て直す支援のメニューを5つのステップで整えた。
まず1つめの「届ける」。Homedoorという存在をホームレスのおっちゃんたちに少しでも多く知ってもらうために行っている夜回りと昼回り(ホムパト)。
相談に来た人が「選択肢を広げる」ことが2つめのステップだ。専門の相談員やHomedoorが用意した講座を受け、テストに合格した相談ボランティアが相談に乗り、それぞれに異なる事情を受け止める。必要な人には緊急宿泊先として提供するシェルターの用意がある。また、病院や行政との連携をサポートする。
3つめが「“暮らし”を支える」。Homedoorはちょっとした話をしたり相談をしたりする「居場所」として機能し、健康サポートや食事の提供を行う。
4つめは「“働く”を支える」。シェアサイクル事業「ハブチャリ」に加えて、駐輪場管理、飲食店のビラ配りなど、Homedoorが企業から受託した事業により就労機会を提供する。おっちゃんたちは少しずつ「働く」ことに慣れることができる。そこから徐々に一般企業への就労へとつないでいく支援をする。
こうして4つのステップを通して生活の立て直しが進んだ人の最後の関門は、「自分で住まいを借りる」ことだ。
Homedoorでは、主旨を理解する複数の不動産会社の協力を得て、身分証のない人でも入居できる物件探しを手伝う。さらに、就労が定着しているか、また、一人暮らしにより孤独な状況になっていないか、再出発後の生活をさりげなくサポートする。
面倒なことから逃げず、実務に強い
江口さんは、仕事の内容や自身の背景を手短かに、ユーモアを交えて話してくれた。
撮影:今村拓馬
「自転車、いいですか?」「さ、この自転車をどうぞ。お気をつけて」
江口さん(仮名)はテキパキとお客さんに自転車を貸し出している。
週末の午後、大阪一のファッションの街アメリカ村は若者でごった返す。江口さんが店を守るハブチャリアメリカ村店は、観光客や周辺企業の社員の利用が多い。外国人客も珍しくない。
50代前半の江口さんは、この仕事に就く前は別の支援団体が路上生活者に提供する仕事をしていたが、収入は自立には程遠かった。偶然江口さんを見かけた川口が「Homedoorに来てみませんか?」と声をかけ、事務所にやってきたのが数年前。現在では路上生活を卒業し、アパート暮らしをするまでになった。もう数十万円近く貯金ができたという。
「税金払って、家賃払って。家を借りると支払いが増えて大変ですよ」
とぼやいてみせるが、江口さんはうれしそうだ。
「Homedoorの支援はきめ細やか。お風呂とか寝る場所とか、そんなところまで気にかけてくれるのは、さすが若い女性は目をつけるところが違うね、と思いますよ。救済実務に強い人たちです。あと、彼女たちは面倒なことから逃げません」
Homedoorの2018年度の経常収益は5690万円と、前年比で約15%伸びた。ハブチャリの事業収益は4割近く増え、1000万円に。全体の2割近くを占めるまでになった。
ハブチャリ事業は2018年からドコモ・バイクシェア社と協業を開始し、現在では193のステーションにつながる。ハブチャリ事業等で働いているおっちゃんは約20人、おっちゃんの時給は大阪府の最低賃金964円を維持している。
前述の江口さんの場合、週3〜4日、1日あたり4時間ハブチャリで働き、ハブチャリからの収入は6、7万円ほど。その前後にビル清掃の仕事を組み合わせて稼いでいる。
一方、川口は新しい課題に向き合っていた。若年層の「見えない」ホームレスがじわじわと増えていた。
(敬称略)
(文・三宅玲子、写真・今村拓馬)
三宅玲子(Reiko Miyake):熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ『BillionBeats』運営。近著『真夜中の陽だまりールポ・夜間保育園』で社会に求められる「子育ての防波堤」を取材。