米中貿易交渉は第1段階合意に達し、中国はアメリカから「為替操作国認定の解除」という“ご褒美”を受けとった。さて、この後は……(写真は2019年6月のG20大阪サミット時の撮影)。
REUTERS/Kevin Lamarque
米財務省が1月13日に発表した「為替政策報告書」が金融市場で話題を呼んでいる。2019年8月に決定された、中国に対する為替操作国認定が解除されたことがその理由だ。
まず、事情に詳しくない読者のために、「為替操作国認定」や「監視リスト」といった仕組みについて若干説明が必要かもしれない。
米財務省は半期に1度(基本的には4月と10月)に為替政策報告書を公表する。読んで字のごとく、貿易相手国の為替政策を分析し、評価した上でアメリカ(および相手国)の採るべき為替政策のあり方を記した報告書だ。
同報告書は2016年4月以降、貿易収支・経常収支・為替介入と3つある評価軸のうち、2つで基準に抵触すれば「監視リスト」入り(つまり操作国認定にリーチがかかる)、3つ抵触すれば操作国認定というルールを設定している。
認定された場合は、関税・非関税上の制裁措置が検討されることになっていて、中国は2019年8月に操作国認定されて相場をにぎわしたものの、このたび晴れて解除に至ったという話である。
ちなみに、操作国認定にリーチがかかる監視リストの対象国は10カ国に達している。うち1カ国は、操作国認定を解除されて監視リスト対象国へ移行した中国だ(図表1)。
「監視リスト」をめぐる3条件の現状(色付きの国は2020年1月時点の監視リスト対象国)
出典:各種資料から筆者作成
2016年4月、オバマ前政権が監視リストを導入した当時、監視対象国は現在の半分の5カ国(中国、日本、韓国、台湾、ドイツ)しかなかった。それが4年弱で倍になった事実は、(基準に抵触する大きな)対米貿易黒字を抱える国が増えたことを意味すると考えていい。
例えば、2016年4月の為替政策報告書では、基準値となる200億ドル以上の対米貿易黒字を抱えていたのは7カ国(中国、ドイツ、日本、メキシコ、韓国、イタリア、インド)しかなかったが、最新の報告書では12カ国に増えている。
この数字をみると、ドル高局面の継続がこうした不公平な状況を生み出しているという、米財務省の主張は完全に間違いとは言いがたい。
為替操作国認定の解除は“中国へのご褒美”
1月15日、包括的な貿易協定の第1段階について合意し、署名式に臨んだトランプ大統領と中国の劉鶴副首相。
REUTERS/Kevin Lamarque
中国の為替操作国認定解除に話を戻そう。
この動きが米中貿易交渉の第1段階合意の署名に合わせたものであることは間違いない。その意味では、客観的な基準に沿って運用されてきたはずの為替政策報告書が、今回は非常に政治的な運用をされた感が強い。
第1段階合意では、中国の通貨政策について透明性を強化する「為替条項」が盛り込まれることになっているので、操作国認定の解除はその“ご褒美”といったところか。
それは為替政策報告書の冒頭にある「エグゼクティブ・サマリ」に記された以下の文章からも明らかだろう。
「過去2~3カ月間における集中的な貿易・為替交渉の結果、いくつかの重要な分野において、中国の経済や貿易体制に対する構造的な改革やその他変化を求める第1段階合意に達することができた。
この合意において、中国は競争的な通貨切り下げを控え、競争目的で為替レートをターゲットにしないことについて、法的拘束力のある合意(enforceable commitments)を行った。また、中国は為替レートや対外収支に関する情報を発表することについても合意した。
こうした文脈の下、中国はもはや現時点では(at this time)、為替操作国に認定されないと米財務省は決定した」
端的に言えば、「米中貿易交渉において意図的な元安誘導はしない」と中国側が誓ったので、操作国認定を解除したというメッセージだ。
為替介入の実績公表への圧力
なお、別の段落にはより詳細な記述があって、「中国は恒常的な通貨安を避けるため必要な措置を取る必要がある」と念押しされている。
「必要な措置」とは何か。それにも言及がある。例えば、為替介入の実績を公表するよう圧力がかけられている。
通常、ある国が為替介入を実施した場合、その実績は定期的に公表されるものだ。ところが、中国はこれまで非公表を貫いてきた。
為替政策報告書はこの点について、元売り・ドル買い介入に関して「中国人民銀行(PBoC)による直接的な介入は控えられているものの、国有銀行を通じた間接的な介入はあった」という認識を示しつつ、中国が介入実績を公表しないために、その規模を米財務省が推計する羽目になっている、と不満げに述べている。
もっとも、こうした実績公表の問題は第1段階合意を経てクリアされると見込まれており、近い将来に中国は公表に踏み切るものと思われる。ただ、人民元相場についてはまだ小さくない改革の余地が残されているのも確かであり、そのあり方をめぐっては今後もひと悶着ありそうだ。
ドル売り介入の催促なのか?
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今回発表された為替政策報告書では、トランプ政権のドル高を嫌気する胸中が透けて見えた。
エグゼクティブ・サマリでは、前述の中国に関する記述以外に、「近年ではほとんどの主要な貿易相手国で、自国通貨売り介入の規模や頻度は落ちている。だが、これは歴史的なドル高が進むなかでそうなっていることだ」という皮肉を込めた一文も目を引いた。
これは要するに、ドル高の地合い(=相場の状態)だからこそ、他国は自国通貨売り・ドル買い介入をやらずに済んでいるのであって、他国が介入を積極的に自制しているわけではないという本音の表れだろう。
こうした皮肉に続けて、報告書には「かかる状況下、自国通貨安(≒ドル高)の場合でも、自国通貨高(≒ドル安)の場合と同様に、為替介入を対称的に運用するかどうかを米財務省は監視する」という一文が綴られている。
これは非常に気になる記述だ。というのも、この一文を字面通り理解すると、「ドル安・自国通貨高局面でドル買い・自国通貨売り介入をするならば、ドル高・自国通貨安局面でも同じようにドル売り・自国通貨買い介入をせよ」と催促しているようにも思える。
昨夏以降、米財務省によるドル売り介入の有無が話題になってきたことを思えば、見逃せない論点だ。実際、2019年8月末の時点で、ムニューシン米財務長官はドル売り介入について「現時点で検討していない」と語りつつ、「将来は状況が変わる可能性がある」と含みを持たせていた経緯がある。
上の一文は、要するに「アメリカが手を動かさず、ドル高で得をしている諸外国が手を動かすべき」というロジックだ。その意味では、いかにもトランプ政権らしい主張ではないだろうか。
アメリカのドル高懸念が当面の注目材料
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為替政策報告書を発表するタイミングが、(今回1月だったように)本来の4月・10月から完全に外れてしまっていることや、報告書発表とは関係ないタイミング(2019年8月)で中国の為替操作国認定が下されたことなどを見るにつけ、もはや報告書はかつてのような形式に縛られた定例報告ではなく、トランプ政権の「政争の具」と化してしまっている。
今後を見通しても、非常に扱いづらい材料になってしまった感がある。
そうしたなか、あえて今回の報告書から何か含意を引き出すとすれば、11月の大統領選挙を前に、トランプ政権の通貨政策がドル高相場に相当敏感になっていることがうかがえた、ということだろうか。
ドル売り介入を催促するかのような記述は今後も継続されるのか、気になるところだ。昨夏に耳目を集めたドル売り介入に対する懸念は、その主体が米財務省になるのか、それ以外の海外金融当局になるのかの違いはあるが、いずれにしても大きな注目を集めるトピックであり、今後も目が離せない。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔:慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。