アクセンチュアによると、日本でのフィンテック投資額は2018年、前年比5倍以上の5億4200万ドルに、投資案件数は3倍に成長した。
出典:アクセンチュア「グローバルのフィンテック投資活動」(2019年6月11日発表)
2019年10月、創業5年目のある金融ベンチャーが42億円超という巨額の資金調達を行ったことを明らかにした。
と言っても、日ごろから経済・金融メディアに目を配っている人にとって、数億円、数十億円の出資案件はもはや日常茶飯事で、さほど驚くようなニュースではなかったかもしれない。
直近の数字によると、世界のフィンテック投資額は553億ドル(約6兆円)。うち日本は5億4200万ドル(約600億円)で、63件の投資が行われている(いずれも2018年、アクセンチュア調べ)。
ところが、これだけの資金が投じられてもなお、日本の金融分野へのテクノロジー導入は「足踏み状態」が続いているという。KPMGジャパンフィンテック・イノベーション部部長の東海林正賢氏は、その理由をレポートでこう説明している。
「いまのところ、既存の金融機関の経営が脅かされるところまでは至っていない。なぜなら、多くのフィンテック企業は法人向けではなく個人向けのサービスに特化しており、総合的な金融サービスではなく資金調達や運用、決済などの限られた領域でのみサービスを提供しているからだ」(部分略)
7000億円を投じても変わらない国民の認識
政府は2019年度当初4200億円、さらに追加で3000億円のポイント還元関連予算を計上。「ちょっと便利」以上のキャッシュレスの価値は伝わっているだろうか。
出典:Screenshot of 'cashless.go.jp'
日本でいま誰もが注目しているフィンテックと言えば、キャッシュレス決済だ。
政府は消費税率引き上げに伴う消費の下支えと、キャッシュレス決済の普及・定着を狙い、ポイント還元制度を導入し、2019年度と20年度の2年間で合計4200億円の関連予算を計上。さらに2019年末には、キャッシュレス決済の利用が予想より増えたとして、約3000億円の上積みを決めた(日本経済新聞、2019年11月29日)。
しかし、ある地銀関係者は言う。
「日本は偽札が少ないし、外を歩いていて財布を盗られる心配もあまりない。要するに、現金に信用があるから、(ポイント還元には飛びつくとしても)どうしたってキャッシュレスはそんなに広がらない」
少子高齢化による深刻な人手不足に瀕し、どの企業も経理事務や集金など現金にかかる労力や時間を極力減らす必要に迫られている。キャッシュレス決済はそうした状況を打開する決定打になり得る。にもかかわらず、7000億円もの国費が投じられようとしている今日もなお、世間の本気度はこの程度のものだ。
キャッシュレスは命にかかわる問題
2019年12月、27歳の女性が暴行を受けて殺害されたことに対し、街頭で怒りの声をあげたインドの女性たち。身体と財産の防衛は身近にある深刻な問題だ。
REUTERS/Vinod Babu
「既存の金融機関の経営が脅かされる」かどうか。フィンテックのもつ可能性は、そんな業界内の小さな競争のためのものなのか —— それは違う。
2019年秋に42億円超を調達した冒頭の金融スタートアップ、五常・アンド・カンパニー(以下、五常)がフィンテックを求める理由は明確だ。
低・中所得者層向けに少額融資などの金融サービスを提供する同社の顧客は、99%以上が女性。例えば、凄惨なレイプ事件が相次ぐインドの治安から類推できるように、開発途上国では女性が現金を持ち歩くリスクはきわめて高い。キャッシュレス化は命にかかわる問題でもある。
また、同社は低所得者層の経済的自立や生活水準の向上をはかることを目標にかかげ、より低い金利での融資を検討している。そのためには(金利でまかなう)人件費やその他の管理費をできるだけ抑えたい。
その際にハードルとなるのが、大きな労力を占める札勘定や、審査・契約にかかる書類作成などの事務作業だ。開発途上国で仕事をしたことのある人なら、ボロボロの札束を数えたり、不明瞭な制度環境のもとで書類をつくったり、その大変さはよくわかるのではないか。
しかしそれも、キャッシュレス決済の導入によって現金のやり取りを減らしたり、人工知能とビッグデータを使って審査や最適な融資条件を決める「スコア・レンディング」によって簡略化するなど、フィンテックを使って効率化できれば、従業員1人あたりが担当する仕事量を最大化できる。そうすれば、金利も下げられる。
自分の能力を「証明する手立て」のない人のために
五常・アンド・カンパニーの慎泰俊・代表取締役(2019年2月撮影)。
撮影:的野弘路
スコア・レンディングについては日本でも、みずほ銀行とソフトバンクの「J.Score(ジェイスコア)」や、LINEとみずほ銀行、オリエントコーポレーションの「LINE Score(ラインスコア)」がすでにサービスを始めているが、大きなうねりにはなっていない。
と言うのも、日本社会は比較的同質性が高いために信用が機能しやすく、同時に履歴などの情報もしっかり整備されていて、新たなスコアリングに頼る必要性が薄いからだ。
しかし、開発途上国では違う。五常の共同創業者で代表取締役の慎泰俊氏は、自ら現地に赴いて借り手らと対話を重ねてきた経験をもとに、こう語る。
「途上国では、学歴がある人は多くないし、トラックレコード(過去の投資実績)もほとんどない。自分には能力があると証明する手立てがないから、返せるのに貸してもらえない、きちんと約束を守れるのに取り引きしてもらえない。いわば情報の非対称によって割りを食っている人たちがたくさんいる。
スコアリングのようなツールによって生み出される信用を背景に、こうした人たちが事業資金を得て収入を増やすことができれば、生活を改善する余地はまだまだある」
五常が事業を展開する国々は、約13億人のインドを筆頭に多くの人口を抱える。取れるデータ件数が多いから、スコアリングの核心となるアルゴリズムの精度向上も期待できる。信頼度の増したスコアを、金融サービス以外に活かして事業化する可能性も考えられる。
そうなれば、欧米ではグーグルやアマゾンが、中国ではアリババやテンセントが、それぞれ検索やSNS、eコマースの黎明期からデータを積み上げて巨大な市場を制したように、発展途上国で札勘定の段階から築き上げたデータをもとに、五常が新たな成長市場を席巻する時代が来るのかもしれない。
JICAから託された10億円の重み
2019年8月、シリーズCラウンドのセカンドクローズ発表時の集合写真。前列中央に慎泰俊氏、左隣りにJICAの山田順一理事の姿も。
提供:五常・アンド・カンパニー
2014年の創業から5年。五常の顧客はインド、カンボジア、スリランカ、ミャンマーを中心に、すでに40万人を超えた。
2020年末には、日本の中小企業経営を支えてきた政策金融公庫の国民生活事業(小規模事業者・創業企業・教育資金)融資先数(2018年度末で88万1622件)を上回り、「向こう1、2年で100万件を突破する」(慎氏)勢いだ。
2019年10月に完了させた資金調達ラウンドでは、開発途上国支援や国際協力を包括的に担う独立行政法人、国際協力機構(JICA)が10億円を出資。勢いを加速する追い風になった。
「途上国で事業を展開するファンドや金融機関にとって、ソブリン(=政府系の)シェアホルダーの資金を入れることには、国民の税金を預かる重みも含めて大きな意味がある。
それに、草の根の支援を積み重ねてきた成果だと思うが、途上国におけるJICAのレピュテーション(評判)は日本人が考えているよりずっと高い。その支援を受けることで、現地での信頼も格段に高まる」(慎氏)
JICAがこの過去に類例のない金融ベンチャーへの出資を決めるまで、およそ2年半かかった。政府系組織としての正当な評価手続きを経て「投資効果がある」との判断に達するまでに、それだけの時間が必要だった。
マイクロファイナンスの普及に寄与してきたグラミン銀行と、その創始者のムハマド・ユヌス総裁がノーベル平和賞を受けたのが2006年。マイクロファイナンスをやっていることが、何となく慈善的な意味合いをもった時代はとっくに終わっている。JICAが検討に検討を重ねたこの10億円の判断は間違いなく、重い。
「2030年までに50カ国1億人以上」に金融サービスを
五常オフィスに貼られていた世界地図。2030年までに50カ国1億人以上に金融サービスを届ける(2019年2月撮影)。
撮影:的野弘路
五常はすでに単年度で連結黒字を達成しているが、「廉価で高品質な金融サービスを2030年までに50カ国1億人以上に届ける」という創業当初からの理念にしたがって、収益や調達した資金の多くを融資の元手や人材獲得にまわしている。もちろん株主の理解を得て、だ。
足もとでは展開済みのインドやカンボジアなどで融資規模を拡大し、並行してインドネシアやパキスタンなどアジアの拠点国を増やす。2023年には、特に経済発展の遅れた「後発開発途上国」が集中するアフリカへと進出する。
すでに触れたように、より低い金利での融資を実現するために必要なテクノロジーを導入するため、最高財務責任者(CFO)や最高情報責任者(CIO)をまかせる飛び抜けて優秀な人材の採用も、グローバルで進めている。
青山学院大学金融技術研究所の大垣尚司教授は以前、Business Insider Japanの取材にこう語った。
「フィンテックは、経済社会に不可欠なファイナンス(金融)のためにテクノロジーを活用することを意味する。いまそうした取り組みはどれくらいあるだろう。ほとんどは、言ってみれば(語順をひっくり返した)テックフィン。テクノロジーありきで、その使い途としてたまたまファイナンスがあるだけだ」
世界中の人々に安価でクオリティの高い金融アクセスを届けるために、テクノロジーを柱とした事業変革フェーズへと移行した五常。本当の意味で「世界を変える」フィンテック企業が、いまようやく日本から生まれようとしている。
(文・川村力)
【ご案内】五常・アンド・カンパニーの慎泰俊CEOが登壇します。
『BEYOND MILLENNIALS 2020』開催概要
日時:2020年1月30日〜1月31日(2days)
会場:渋谷ストリーム 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目21番3号
企画:Business Insider Japan編集部、株式会社メディアジーン
公式サイト:『BEYOND MILLENNIALS 2020』公式サイト
入場料:
【通常】2-dayチケット ¥10000
【学生限定/通常】2-day共通チケット ¥5000