1973年、新潟県生まれ。大阪大学大学院修了後、アスキーを経て、ダイヤモンド社に。手掛けた書籍『もしドラ』が大ヒット。 2011年ピースオブケイク設立。2014年、あらゆる表現者を応援するプラットフォーム「note」をリリース。
撮影:竹井俊晴
ピースオブケイク代表取締役CEOの加藤貞顕(47)は、幼い頃から本をよく読む子どもだった。喘息を患い、自然と家の中にこもる時間が多かったからだ。
高校まで育ったのは新潟。学校にはあまりなじめなかった。「大人が一方的に決めたルールに従うのが嫌だった」と自身のnoteに綴っている。
学校帰りには近所の書店に毎日のように立ち寄って、好きな本を選んでは持ち帰った。ツケ払いにする約束を両親が店主に取り付けておいてくれたので、読書は気ままに没頭できる楽しみになった。
小説、科学、伝記、あらゆるジャンルの本を読んだが、特にコンピュータについて書かれた本に夢中になった。
お年玉を貯めて初めて8ビットのパソコンを買ったのは、小学4年生の時。もちろん、同級生で話が合う友達は一人もいない。
インターネットが解放した「オタクの孤独」
孤独を感じていた時期もある加藤は、人と人をつなげる場づくりに夢中になっている。
撮影:竹井俊晴
「僕は孤独なオタクだった」という加藤だが、唯一“仲間の存在”を確かめられた時間があった。
パソコンのホビーユーザー向け専門誌『マイコンBASICマガジン』(発行は電波新聞社、2003年に休刊)、略して“ベーマガ”をめくっている時だ。
そこには、同じ熱量でパソコン愛を語る仲間の交流があった。ホリエモンを始めとする、後にネット系の起業家となる人物たちも、この交流の中にいた。
“好きなことでつながる喜び”を知った加藤は、パソコン通信にものめり込んでいった。
大学生になると、学内の情報センターに通い、インターネットを使うためのアカウントを申請。当時はWindowsが普及する前で、スマホの原型すらない時代。学部生で情報センターに出入りしているのは、加藤くらいしかいなかった。しかも、文系の経済学科の所属である。
大学側に交渉して特別に使用を許可されたマシンは、玄人向けのサン・マイクロシステムズのUNIXワークステーション。UNIXに魅せられた加藤は、自宅でもUNIXを使いたくなり、当時世に出たばかりの「Linux」に目をつけた。
当時のLinuxはまだまだ不完全で、自分のPCで動かすだけでもプログラミングの知識が必要になるが、加藤は自力でインターネットの扉をこじ開ける。その瞬間、世界が変わった。
「感動しました、ものすごく。何が嬉しいって、ネットの向こう側にあるさまざまな情報、さまざまな人々と瞬時につながれる。最初にアクセスしたのはNASAのサイトでしたが、こういうニッチな興味分野でも的確な情報を得られるんです。
オープンソース・ソフトウェアの開発にも魅せられました。世界中の人々とオープンに知を積み重ねていくことができるって、最高だなと。インターネットの、オープンでインタラクティブな世界の到来が、オタクを孤独から解放したんです」
『もしドラ』大ヒットと電子化で感じた限界
経営学者・ドラッカーの一大ブームを巻き起こした1冊の本。加藤はカリスマ編集者として知られるようになる。
ダイヤモンド社提供
“好き”を共有し、仲間をつくる。アイデアを交換して、社会を一歩先へと進める。
この時に体感した「インターネットがもたらす恵み」と、今の加藤がnoteで実現しようとしている世界は同じ延長線上にあり、地続きなのだ。
卒業後は、パソコン雑誌を中心に発行していた出版社、アスキー(当時)に入社。雑誌編集を経て、『英語耳』など興味の向く分野の書籍も手がけるようになり、数十万部のヒット作を次々に生み出した。
しかし、なんといっても「書籍編集者・加藤貞顕」の名を世に知らしめた代表作といえば、ダイヤモンド社に移った後に手がけた『もしドラ』こと『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著)だろう。
2009年末の発行から3年で250万部超の大ヒットとなり、ドラッカーブームを巻き起こした本書は、加藤が1本のブログ記事から発掘したコンテンツだ。
同時に、“出版コンテンツの電子化”にも本格的に挑んだ。
「Kindle」がまだ日本に上陸していない2010年に、iPadの発売に合わせて電子書籍リーダーを自社開発。『もしドラ』を電子化して定価の半額の800円で販売したところ、電子書籍だけで15万ダウンロードのヒットに。「Apple StoreとAmazonの両方で総合1位」という結果は大成功に思える。
しかし、加藤はこの時すでに“限界”を感じていたという。
「発売してすぐ、電子書籍だけで1億円単位の売り上げになったんです。評価もいただいたんですが、僕は『たったこれだけか』と失望したんです。
当時のiPhoneの国内普及数が200万台くらいで、そのうち数%の人が買ってくれたとしても頭打ちは目に見えている。そして、市場の限界だけじゃなく、表現の限界のほうがさらに切実でした。
紙の書籍という“型”に合わせてつくられたコンテンツを、無理やりデジタルコンテンツに置き換えるのには無理があると、気づいてしまった」
撮影:竹井俊晴
出版社では本気でデジタルに挑めない
1冊の本としての体裁を整えるためのページ数の確保や、ページをめくる動作に合わせたレイアウト。いくつもの条件に制約されたコンテンツをただ流すだけでは、広大なウェブという海の中で泡となって消える。
「インターネットの良さは、オープンであることとインタラクティブであることなのに、電子書籍の形ではそのどちらも生かすことができない。ウェブの強みを生かした、新しいデジタルコンテンツのビジネスモデルをつくるしかないと思いました」
出版社のメインの売り物は紙の本。当時はデジタルコンテンツに本気で挑める環境とは言えず、難しい調整を常に強いられる壁にもぶつかった。
「アクセルとブレーキを同時に踏むことはできない。やるなら外に出るしかないな、と思って会社を辞めました」
38歳での決断。実はAppleが同時期に募集していた「iBooks」のマネジャー職に手を挙げることも考えたが、「自分で絵を描いて、自分で動ける立場で仕事がしたい」と当面はフリーランスで働くことを選択。活版印刷で「編集者 加藤貞顕」と印字した名刺をつくってみると、仕事はすぐに舞い込んだ。
大手代理店経由で、数回のプレゼンと編集長業務で高額の報酬。しかし、「おいしい仕事」に飛びつく気にはなれなかった。
『宇宙兄弟』からとった社名に込めた思い
撮影:竹井俊晴
加藤自身、自分が本当にやるべきことは、とっくに分かっていた。
かつて自身を孤独から救ってくれたインターネットの世界には、“プロが本気でつくるコンテンツ”がどこにもない。それはネットで稼げるビジネスモデルがないからだ。
長年コンピュータに触れてきた経験から、今のnoteにつながる構想はすでにあった。スティーブ・ジョブズがタッチパネルと通信を掛け合わせてiPhoneをつくったように、テクノロジーを組み合わせれば、ビジョンは現実になる。
しかし、それをやるには途方もなく面倒な苦労を背負わなければならない。
実現するには、クリエイティブとテクノロジーの両方を理解する人物が必要だ。自分がやらなかったとしても、いつか誰かがやるだろう。でも、このまま待っているだけでは、始まりそうにない。ならば、やっぱり —— 。
「自分がやるしかない」
決意して、設立した会社の名前は「ピースオブケイク(piece of cake)」。痩せ我慢して笑って言うような「そんなの楽勝さ」という意味の英表現で、好きな漫画『宇宙兄弟』に登場するセリフから取ったという。
誰もやったことのない挑戦を覚悟した自分へ。精一杯の強がりとエールを刻んだ。
(文・宮本恵理子、撮影・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。