1973年、新潟県生まれ。大阪大学大学院修了後、アスキーを経て、ダイヤモンド社に。手掛けた書籍『もしドラ』が大ヒット。 2011年ピースオブケイク設立。2014年、あらゆる表現者を応援するプラットフォーム「note」をリリース。
撮影:竹井俊晴
今でこそ、人が集まるプラットフォームの作り手として注目されるピースオブケイク代表取締役CEOの加藤貞顕(47)だが、創業当初の世間の反応は冷たかった。
「『加藤さん、会社辞めて何始めるの?』と聞かれて構想を話してみても、まったく理解してもらえませんでしたね。ネット上でコンテンツを売れる仕組みを開発して、誰もが好きなことで表現できる場をつくるんです、と説明しても、『ネットのコンテンツにお金払う人いるの?』と首を傾げられる始末で。
あからさまに『頭おかしいんじゃない?』という反応をされることもあったし。理解を得られない時期が一番つらかったですね」
だが、何を言われようとも、加藤の頭の中にあるビジョンは明確で、ブレることはなかった。
noteの前にcakes、その順番が重要だった
オフィスを渋谷に移転した頃。創業からしばらくは、苦しい時期が続いた。
ピースオブケイク提供
仕事場は友人のオフィスの一角を間借りし、エンジニアと編集者の社員を2人雇った。貯金から捻出した資本金300万円をサービス開発に注ぎ込み、会社設立の9カ月後には有料配信ウェブメディア「cakes」をリリース。
noteとの違いは、プロのクリエイターによる作品であることと、記事作成に編集者が介在すること。2012年時点で有料でウェブコンテンツを提供するビジネスモデルは画期的。単体でも十分にインパクトを放つものだったが、「noteの前にcakesを始めたのは、はっきりとした意図があるんです」と加藤は後に語っている。
つまり、いきなりnoteのような「誰でも書けます」という場をつくっては、これまでにもあったブログの集積と混同されてしまう。まずは、プロの書き手が集まるクオリティの高い世界観でブランドイメージを伝えてから、オープンな場をつくる。その順序が重要だった。
満を辞してのnoteのリリースは、2014年の4月。「これさえあれば」と描き続けた、誰でも自由に創作を始められるオープンなプラットフォームを、加藤はついに生み出した。
作者は自分のコンテンツを1記事1万円まで(有料会員は5万円まで)の価格設定で自由に売ることができ、ピースオブケイクはその手数料収入(決済手数料5〜15%、プラットフォーム利用料10〜20%)を主な収入源とする。
長野のパン屋の2万字の記事が大ヒット
ユーザーの投稿とその反響から、ネットの配信がさまざまな価値を生むことを実感していった。
noteより
以来、ジワジワとユーザー数を伸ばしてきたが、「潮目が変わったのはここ数年」だという。
「2018年頃から、いきなり長文を書いて投稿する人が増えたんです。
例えば、長野の山中でパンと日用品を売る店『わざわざ』を経営する店主・平田はる香さんが、店づくりの試行錯誤について2万字近い記事を公開したところ、すごく読まれて。それからECストアでの販売数をはじめ、実店舗への来店も増えたことは印象的でしたね。
『ウェブの記事は短いほうが読まれる』という定説は思い込みだったと分かったし、たった1回の記事でも面白ければ“読まれるコンテンツ”になり得るのだと確信できた」
2019年1月には、ネット上で多くのファンを抱えるメディアアーティスト・落合陽一氏が「140字じゃ足りないし,本一冊は読んでくれない.Note始めます.」と“noteデビュー”を果たしたことも話題に。
個人だけでなく、法人の利用も急速に伸びている。月額5万円で、note上にメディアがつくれるサービス「note pro」を2019年3月にスタート。noteを活用する企業数は、2020年1月末時点で560社になった。
「賑わっている街に店を出したい、というシンプルなニーズなのだと思います。これからはメディアだけでなく、金融、教育、飲食……すべての業種がウェブに乗る時代になるはず。
だから僕らは、誰もが安心して店を出せる街を整えていく。尖ったターゲティングはあえてせず、作家だけでなく、ビジネスマンが使ってもいいし、ヘビメタのお兄さんが使っても、ものづくりをする主婦でも、学生でも、誰でも立ち寄れる街づくりを変わらず続けていきます」
ネットの可能性を信じるパートナーとの出会い
東京大学・松尾研のディープラーニング公開講座に通学するなど、最先端の技術を学び続ける加藤は、CXOの深津貴之(写真左)とも話が合う。
ピースオブケイク提供
加藤の“街づくり”は、強力なビジネスパートナーによっても支えられている。
2017年秋にCXO(Chief eXperience Officer)としてジョインした深津貴之(40)だ。自動車や金融、新聞社など多業種のウェブサービス開発に携わってきた深津は、加藤のオファーを受けた理由を、「自分も元ブロガーで、インターネットの力が個人の人生を幸せにできる可能性を強く信じられたから」と語っている。
コンテンツに強く、事業の全体ビジョンを掲げる加藤と、デザイン設計に強い深津。2人のコンビネーションがnoteの成長を加速させるエンジンになっていると評する声は多い。
ビジネスパートナーとして加藤をどう見ているのか、深津に聞くと、こんな答えが返ってきた。
「加藤は自身が編集者として実務経験があるだけでなく、プログラミングや統計、データ分析などのIT技術についても率先して自分から学んでいます。
そのためテクノロジーやデザインの判断の際にCTOやCXO、事業責任者とも“通訳なし”で話が通じ、迅速な意思決定ができる。ITベンチャーとしてポイントを押さえた経営判断を、技術者との総意で進められるのが最大の強みになっていると感じます」
一方で加藤は、
「深津とは、彼の専門分野のデザインやUXの知識以外の領域で、知識のベースや感覚が似ているのがいいんですよね。ネット歴も近いし、IT技術、行動経済学、ゲーム理論、脳科学とか、お互いの興味分野や知識の範囲が似ていて、話がすぐに伝わる。うまが合ってると思います」
と言う。いくつもの共通言語を持つ2人だからこそ、高速でつくり出せる世界がある。
撮影:竹井俊晴
また、加藤はこうも語った。
「僕はかつて1人でなんでも抱えてしまうスタンドプレーヤーでした。強みを持ち寄ってチームで仕事をする大切さは、『もしドラ』の仕事で学びました。ドラッカーの“人の強みを活かす”という言葉の深さを、今ようやく噛み締めています」
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。