1973年、新潟県生まれ。大阪大学大学院修了後、アスキーを経て、ダイヤモンド社に。手掛けた書籍『もしドラ』が大ヒット。 2011年ピースオブケイク設立。2014年、あらゆる表現者を応援するプラットフォーム「note」をリリース。
撮影:竹井俊晴
ピースオブケイク代表取締役CEOの加藤貞顕(47)は、インタビュー中に「インフラ」という言葉を何度も使った。noteを表現活動のインフラにしたいのだと。
具体的にどういうシーンを描いているのか。
「地方を旅して1両編成のローカル線に乗った時、たまたま隣に座った高校生の会話で『あのnote、見た?』と話題になるくらい。いや、noteという言葉すら出てこないくらいがいいですね。
感度の高いアーリーアダプターだけでなく、日本の隅々まで行き渡るものにしたい。プロダクトとしての完成度は頭の中で思い描いている姿の2割にも達していない」
すでにさまざまな個人・法人・メディアが集まるプラットフォームにはなってきたが、プレーヤーが増えたからといって、やるべきことは何も変わらない。
「企業が求めるものも、実は個人のクリエイターとあまり変わらないんです。
つまり、メッセージを伝えて、自分のお客さんに届けたいわけですよね。そして、そのお客さんと長期的な関係を築いて、企業ならば、時には商売もしたい。これができるかどうかで、ダイソンになれるか、家電量販店の隅っこに置かれる掃除機になれるかに分かれる」
誰もが表現に集中できる世の中を目指す
2019年12月にはユーザーを招いての「note感謝祭」を開催。
ピースオブケイク提供
2020年2月には、新たに「サークル機能」をリリースする。
これは誰でもサブスクリプションのシステムを使えるサービスで、例えば音楽活動をしている個人が自分のファンや友達に向けて「月100円で近況報告、月500円で新曲シェア」など、自由に金額と提供内容を設定できる。文章を書ける作家でなくても、より気軽にファンコミュニティを形成できる仕組みを提案する。これもまた、サブスクモデルという一つの“インフラ”の開放だ。
コンテンツを流通するシステムを各社がバラバラに開発して消耗する、そんな闘い方はもうやめませんか?オープンソース方式の恩恵を受け、その思想に深く共感してきた加藤ならではの問いを投げかける。
「かつて出版業界が栄えたのは、徹底した分業体制を確立したからです。コンテンツづくりを担う出版社、印刷・製本を担う印刷会社、流通を担う取次、販売を担う書店と、完璧な分業によって、素晴らしいコンテンツが豊富に生み出されていた。
僕らが担いたいのは、新たな流通の役割です。メッセージを発信できる場と、そこから先に発展する流れを用意して、誰もが表現に集中できる世の中を目指したい」
将来的には海外展開も視野に入れている。
短期的なPV数を犠牲にしてでもグローバルに通用するドメイン「.com」を取得したのも、世界を見据えての決意表明だ。
「目指しているのは、国境を越えた文化のインフラ。AIやロボットの進化によって、いずれ人間は労働しなくなると言われています。その時、生活を占めるメインの消費活動は、表現であり文化になるはずです。
文化は日本の得意ジャンルでもある。世界で稼ぐビジネスモデルが“クルマから文化へ”と転換する。スマホが定着するのにも10年かかったので、それくらいの時間はかかるでしょう。でも、その日は必ず来ると僕は確信しています」
より手前の夢としては、芥川賞や直木賞に選ばれる作品をnoteから生み出すことだ。
「これからデビューしたい若い人たちは、昔ながらのコンテストに郵送で応募、みたいなことはどんどんしなくなりますよね。才能がある若者は、どう考えても、まずはネットで表現するはず。
そして本来、クリエイティブに有名・無名は関係ない。すべてのコンテンツがフラットに表現できるインターネットの世界だからこそ、見出される才能はたくさんある。僕がやっていることを一言で表すと、“表現の民主化”なんでしょうね」
新たな才能を発掘し、世の中に届ける役割は、長らく出版社が担ってきた。
「“上質な”コンテンツに限らず、なんでも出てくるのがネットのいいところ。読み手と書き手の無限の組み合わせによって、表現の可能性は広がる。テクノロジーの力を使えば、より細かい網目で才能をすくい上げられる。太宰治は一人の男としては破滅的な人生を送ったけれど、その文章は多くの人の人生に寄り添った。それが文化の豊かさというものでしょう」
出版業界を去った加藤は今、出版業界が最も輝いていた時代の本質的な役割を受け継ぎ、さらに磨き上げようとしている。
言動の端々に感じさせる「高い公益性」
撮影:竹井俊晴
ところで、加藤自身に欲はないのか。
他業界から最近転職してきた同社の社員は、加藤の普段の言動に「高い公益性」を感じると語っていた。
「早く稼ぎたい、利益を上げたい」といった言葉はほとんど聞かれず、「世の中のために」という文脈で社内にもメッセージが発信されるのだと。加藤本人の思いはこうだ。
「お金はあれば便利だけれど、お金自体にはそこまで興味はないですね。みんなの役に立つことをやっていれば、結果としてついてくるものだとも思いますし。
(Amazon創業者の)ジェフ・ベゾスが世界一のお金持ちになったのは、たぶん世界一たくさんの人を幸せにしたからですよね。だから、お金はあくまで結果だと思うし、僕は心から面白いと信じられることしかやれないのでそうするだけです」
文化のインフラを、いつか世界へ。
「楽勝だよ」と笑って見せる加藤のやせ我慢は、当分続きそうだ。
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。