1973年、新潟県生まれ。大阪大学大学院修了後、アスキーを経て、ダイヤモンド社に。手掛けた書籍『もしドラ』が大ヒット。 2011年ピースオブケイク設立。2014年、あらゆる表現者を応援するプラットフォーム「note」をリリース。
撮影・竹井俊晴
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」。そのミッションのもと、noteという表現のプラットフォームをつくったピースオブケイク代表取締役CEOの加藤貞顕(47)。その加藤が28歳の自分に贈るとしたら、どんな言葉を掛けるのだろうか。
僕が28歳だった頃は、アスキーという出版社に入って2年目を迎えていた時期。
パソコン雑誌の編集者として、特集記事を毎月30ページくらいつくっていて、仕事にもひと通り慣れてきた頃でした。
その頃から単行本の編集も担当し始めて、本づくりの面白さを知り、数年後には転職活動をしています。
そもそも、僕がなぜアスキーに入ったかという理由を述べるとすれば、明確な志はありませんでした。
僕は昔から「気が向かないことに対しては一生懸命になれない性格」で、進路もなかば“消去法”で決まりました。
火がつかなかった就活。切羽詰まって出したハガキ
「cakes」「note」のヒットコンテンツは次々と書籍になっている。
撮影・竹井俊晴
同じ経済学科の同級生は銀行や商社に内定を決めていましたが、僕はまったく興味を持てず。働くことに前向きになれず、とりあえず大学院には進んだものの、「研究職になれるほど勉強は好きじゃなかった」と気づき、愕然としました。
「でも、本を読むことならできる」と図書館司書を検討するも、就職口がほとんどない現実を知って断念。ならば出版社かと目標を変更したのですが、就職活動にはなかなか火がつきませんでした。
当時は就職情報雑誌からエントリーのハガキを各社に送って応募する方式だったんですが、気乗りしなくて一切出さなかったんです。
するといよいよ切羽詰まってきて慌てて探したら、唯一ホームページで募集していた出版社が見つかって、それがアスキーだったんですね。
パソコンオタクの延長でLinuxのオープンソース活動をしていた僕は、アスキーの雑誌に寄稿した経験もあったから、「ここなら受かるんじゃないか」と1社だけ受けたんです。たまたま受かったからよかったけれど、本当に世間を舐めた学生だったなと思います。
「自分ができることしかやらない」
撮影・竹井俊晴
この時からずっと変わらず、僕はいつも「自分ができることしかやらない」という姿勢でやってきました。
ピースオブケイクを起業して始めた事業も全部、「そのくらいしかできないからやっている」という感覚。興味を持てないことに対して努力できないのは僕の弱点です。でも、苦手なことをやってもしょうがないと諦めています。
28歳の僕もきっと、自分が興味を持てることしかやっていなかったと思います。
もし声をかけるとしたら、「好きにしたら」と言いたいですね。
やりたくないことを、我慢してやる必要はない。
能力の限界を感じて「諦める」のは悪いことではないと思うけれど、「我慢する」のはやめたほうがいい。
なぜなら我慢は何も生み出さないから。
それどころか、我慢をすることで、本当にやりたいことに取り掛かる暇がなくなってしまうのはいけない。
もし「好きなことが見つからない」と迷っているとしたら、まず「我慢することをやめてみる」のがいいかもしれませんね。
我慢をやめた途端、それまで見えなかった「好きなこと」に気づけるかもしれない。
みんな、好きなことをしていいと思います。
そして、それを自由に表現して、仲間とつながればいい。
誰もが好きなことを表現できる。そのための場所をつくるという仕事を、僕はこれからもやっていきます。
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。