2014年8月、米宇宙開発企業スペースXが打ち上げた大型宇宙船打ち上げ用ロケットのテスト機「スターホッパー」。エンジンセンサーの故障で空中爆発。死傷者はなかった。
SpaceX/YouTube
- 民間宇宙産業でロケットの打ち上げ数増加や大型化が進んでいる。
- 宇宙開発企業スペースXの創業者イーロン・マスクは、開発中の大型宇宙船「スターシップ」を年間1000基打ち上げる計画。
- ただし、アメリカでロケットを打ち上げるには米連邦航空局の許可が必要だ。
- 傷害保険は認可の重要なポイント。金額や規模は地上の人的被害リスクによって決まってくる。
過去10年間で300億ドル(約3兆2500億円)の投資が集中した民間宇宙産業の発展が著しい。より多くの、より巨大なロケットが離着陸する光景が日常化する日はそう遠くないだろう。
しかし、宇宙へのアクセスが容易になればなるほど、リスクも高まることになる。
米議会の調査機関である政府監査院(GAO)の関係者によると、ロケット打ち上げ許可を所管する米連邦航空局(FAA)が進めてきた「リスク管理にかかわる深刻な問題」への取り組みがここ数年、遅れに遅れているという。
それは、人命の経済的価値を算出し直すという作業だ。なぜいまそんな大それた取り組みが必要なのか。
打ち上げ許可の最重要ポイントは「保険」
2019年12月5日、国際宇宙ステーション向けの商業補給サービスのため打ち上げられたスペースXの「ファルコン9」ロケット。米フロリダ州ケープカナベラル空軍基地より。
SpaceX/Flickr
電気自動車大手テスラの創業者でもあるイーロン・マスクが設立したスペースXは、2020年に「ファルコン9」ロケット12基の打ち上げを準備している。
マスクのツイートによれば、大型宇宙船「スターシップ」はまもなく年間1000機以上打ち上げられるようになり、1回あたりの打ち上げコストは従来の1000分の1程度まで減る。同宇宙船は設計上、1機あたり乗客100人を含む100トン以上のペイロード(積み荷)を火星に送り届けることができる。
「われわれ人類が複数の惑星を拠点とする生活を営むためには、年間何メガトンもの積み荷を軌道に送り出す必要がある」
とはいえ、手当たり次第にそこらじゅうからロケットを発射することはできない。スペースXに限らず、アメリカのあらゆる宇宙開発企業は連邦航空局から打ち上げ許可を受ける必要がある。
事故時の保険は、打ち上げ許可を得る上で最も重要な要件のひとつだ。100万回に1回起こるか起こらないかの、ほとんど想像もできないような最悪の事故を想定したシミュレーションを連邦航空局は行っている。
そうした普通には起こりえない悪夢のような事故による不動産の損傷や住民の犠牲は「最大損失額」(Maximum Probable Loss)と呼ばれる。さらにその内訳として、最も高額でなおかつ最も物議を醸してきたのが「人的損失額」(Casualty Cost)だ。
端的に言えば、ロケットや宇宙船の爆発、機体や破片の落下、あるいは離着陸の失敗により何らかの危険が引き起こされたとき、それが地上にいる人間にもたらす被害や影響を経済的にどう評価するか、ということになる。
米連邦航空局で商業宇宙輸送局長を10年以上にわたって務めたジョージ・ニールドはこう語る。
「人の命に値段をつけるなど、馬鹿げた話だと思う人も多いでしょう。しかし、もし何の罪もない人が事故や事件に巻き込まれたら、その人や家族にしかるべき補償をすべきだと、皆さんも思うのではないでしょうか」
連邦航空局は現在、犠牲者1人に対する補償額を300万ドル(約3億2500万円)と算定している。しかし政府監査院は、この数字は人命を軽く見すぎだとこき下ろしてきた。2017年3月に発表された報告書にはこんな記述がある。
「連邦航空局が(想定される)被害者の置かれる立場の弱さを軽視することで、政府は過剰なリスクにさらされることになる。誰もが時代遅れと指摘する方法で計算した300万ドルという人的損失額を使い続けることで、(宇宙開発企業に)想定される事故の補償に対応できる十分な規模の責任保険に加入させていないのは大きな問題だ」
「1人の命は300万ドル」と算定する理由
大型宇宙船スターシップのテスト機「スターホッパー」。2019年7月、テキサス州ボカチカのスペースX基地にて。冒頭画像のような失敗を乗り越え、発射と帰還着陸のテストを無事終えた。
REUTERS/Veronica G. Cardenas
1984年に(米連邦航空局に)設置された商業宇宙輸送局は、議会からふたつの重要な、しかし相反するように思われるミッションを与えられた。元局長のニールドに言わせれば、それは「一般市民の安全を守れ、しかし同時に、民間企業の宇宙進出を奨励し、促進し、支援せよ」というものだった。
すべての打ち上げにノーと言う代わりに、商業宇宙輸送局は民間企業と協力して、打ち上げの危険性を検討したり、想定される事故のシナリオをモデル化したり、立ち入り禁止区域を設定したりして、その上で残るリスクが受け入れられるものかどうかを計算した。
「打ち上げ事故で犠牲者が出る可能性を100万人中100人以下に抑えない限り、打ち上げ許可は出しませんでした」(ニールド元局長)
ただ、宇宙産業における技術革新は、連邦航空局が想像もできないようなスピードで進んでいて、こうした計算や規制のあり方に実効性があるのかどうかは不明だ。
例えば、スペースXが開発を進める大型宇宙船スターシップのテスト機「スターホッパー」の場合、犠牲者が出るリスクは100万人中1人と計算されている。商業宇宙輸送局の許可ラインのわずか100分の1だ。
連邦航空局はこのスターホッパーの打ち上げに際し、最悪の事故シナリオに備え、スペースXに対して1億ドル(約108億円)の賠償責任保険に加入するよう求めている。人的損失額が1人あたり300万ドル、およそ33人の犠牲者が出る可能性を想定した結果だ。
しかし、政府監査院をはじめとする関係機関は、この保険について「時代遅れの見積もり」で「不適切」との見方を示している。
ちなみに、商業宇宙輸送局が設立された1980年代半ばから今日に至るまで、民間のロケット打ち上げにより、地上で暮らす一般市民に犠牲者が出たことは一度もない。同局が人的損失額を300万ドルと決定したのは1988年のことだが、打ち上げ事故の実例は存在しないため、航空機事故に関する裁判での法的判断や調停の結果をもとに決められた。
航空機事故の場合、補償額は犠牲者1人あたり100万ドル超ぐらいが相場だが、商業宇宙輸送局が「保守的」なスタンスを重視して金額を3倍に引き上げた、と政府監査院は評価している。
人的損失額の再評価の取り組みは失敗
2014年10月31日、ヴァージン・ギャラクティクの有人宇宙船「スペースシップ2」が飛行試験中に爆発事故を起こした。機体の残骸はカリフォルニア州モハヴェ砂漠に落下。宇宙飛行士1人が死亡したが、地上の一般市民に被害はなかった。
REUTERS/Kenneth Brown
連邦航空局は2015年に科学技術政策研究所(STPI)と契約し、300万ドルという現行の人的損失額を再評価した上で提言を行おうとしたが、失敗に終わった。
その理由は、政府監査院が2017年に出した報告書によれば、飛行機事故をめぐる裁判の多くが(当事者間の)示談で終わり、「再評価の参考となる裁判所の調停金額について、きわめて限られた情報にしかアクセスできなかった」ためだという。
同報告書は「犠牲者1人あたりの人的損失額については、信頼できる評価見積もりが得られなかった」と結論している。
こうした経緯があって、いまだに300万ドルという数字は変更されていない。1988年当時のドルレートなので、インフレ調整をして現在の価値に換算すれば倍以上になる。上記の政府監査院の報告書は次のように結論づけている。
「科学技術政策研究所による調査結果は、人的損失額は犠牲者1人あたり約600万ドルが適切であることを示唆していた。しかし連邦航空局は、具体的にどんな数字を採用すべきかを提言するまでには至らなかった」
3段階の補償システム
スペースXが完成させた試作機「スターシップ」。すでに飛行許可を申請しており、2020年半ばにも打ち上げ予定とされる。
SpaceX/Flickr
政府監査院は2018年1月、人的損害額の見直しの取り組みについて追跡調査を行い、一歩踏み込んだレポートを提出した。そこには、連邦航空局がいまだに問題を先送りにしたままで、300万ドルという数字を使い続けているとの記述がある。
政府が財務上墓穴を掘ることのないようにするのは政府監査院の仕事のひとつであり、だからこそ、同院は人的損害額の据え置きに強い危惧を抱いている。いつか深刻な事故が起こり、宇宙開発会社が加入した保険を超える補償が必要となる可能性は否定できないからだ。
じつは、最大損失額の考え方にもとづく賠償責任保険、例えば2019年8月にスターホッパーを打ち上げたスペースXが加入した保険契約は、補償に必要な金額を補てんする「3段階システム」の第1段階でしかない。
宇宙開発企業が加入を求められる保険の最大額は5億ドル(約540億円)。想定できないような深刻な事故がひとたび起きれば、補償に必要な金額はとたんにこの保険を上回る規模になる。
そうなった場合、補てんは第2段階に移行する。具体的には、米連邦航空局が最大15億ドル(約1620億円)を追加で拠出するのだ。
「では、もし本当に、本当に、本当に最悪の日がやって来て、被害がそれ以上になったら?」(ニールド元局長)
つまり、保険5億プラス連邦航空局15億、合わせて20億ドルを超える補償が必要になったときはどうするのか。第3段階の負担は、ついに事故を起こした宇宙開発企業に移る。よほど安定した巨大企業でなければ、破産間違いなしだ。
命の値段が引き上げられる日
米連邦航空局の商業宇宙輸送関連データ。1989年以降、338件の打ち上げ許可を出している。地理的内訳はカリフォルニア州で64件、テキサス州で6件、フロリダ州で176件などとなっている。
出典:Federal Aviation Administration
政府監査院は2018年に提出した報告書のなかで、連邦航空局が人的損失額の再々検討に動き出し、民間の宇宙開発企業や保険会社に加え、当時再設置されたばかりの商業宇宙輸送諮問委員会とも協議を行っていることを明らかにしている。
連邦航空局は2018年半ばまでに本格的な議論を始める腹積もりだったようだが、同報告書は「間に合わないだろう」としていた。
実際、2年以上がたったいまも、状況は何も変わっていない。連邦航空局は相変わらず人的損失額を300万ドルとしたままで、大型宇宙船スターシップや(アマゾンのジェフ・ベゾスCEO率いる)ブルーオリジンの超大型ロケット「ニューグレン」のような新たな打ち上げ計画にも同じ数字が適用されている。
政府監査院の広報担当によると、連邦航空局がふたたび人的損失額の見直しに着手するとしても、早くて2020年秋とみられており、仮に議論が始まってもそれは「見直しプロセスのごく端緒にすぎない」という。
ただ、政府監査院と連邦航空局の間にはいまも、問題に対する温度差があるようだ。
前出のニールド元局長は、連邦航空局が民間の宇宙開発企業に発行した打ち上げ許可はこれまで少なくとも335件にのぼり、無事故記録が続いていることに注目すべきだと強調する。
「民間企業によるロケットや宇宙船の打ち上げは、いままで一度も死者を出したり、家屋に損傷を与えたりしたことがない。それは宇宙産業と政府の両方が市民の安全を守るためにしっかり仕事をしてきたからだ」
(翻訳・編集:川村力)