ラグビー日本代表のメンタルの礎をつくった名将エディーの“ゴッドマザー”【メンタルコーチ・荒木香織1】

荒木香織

撮影:MIKIKO

2019年W杯で日本中に旋風を巻き起こしたラグビー日本代表。躍進した背景には、ひとりの女性の存在があった。

2015年W杯の南アフリカ戦で勝つまで、日本代表はW杯では1勝しか挙げていなかった。そんな「負け慣れたチーム」を変え、4年後に初のベスト8につなげたのが、前代表でメンタルコーチを務めた荒木香織(46)だ。

ラグビー日本代表

2015年ラグビーW杯イングランド大会で優勝候補だった南アフリカを倒した日本代表の面々。予選プール4戦3勝で8強に進めなかった国は大会史上初めてだった。

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教授を務める園田学園女子大学の研究室。机の上にどっさり置かれた文献や調査データは、すべて英語である。卒業論文の時期とあって、研究室には学生が「荒木先生、少しいいですか?」と入ってくる。学生は当然だが、みんな荒木の話を聞きたいのだ。取材や講演依頼は途絶えることがない。

「トップリーグは盛り上がってるし、代表選手たちはよくテレビに出てる。いいことです。彼ら、W杯で運命変わったでしょうね。私は2015年(のW杯)で人生、変わりました」

2015年W杯で「奇跡の1勝」の立役者として荒木の名前が知られると、書籍の執筆依頼は数十社と、ほとんどの出版社から依頼があった。先ごろ、2冊目となる著書『リーダーシップを鍛える ラグビー日本代表「躍進」の原動力』を上梓。2015年W杯以降の約3年間で7万5000人超を前に講演した。そのうち、企業やビジネス関連の主催で荒木の話を聞いた人は約5万2000人。トヨタ自動車、日立製作所、資生堂、モルガン・スタンレーと大企業も名を連ねる。

荒木の教えとは何なのか。

エディーに託された3つの改革

エディ・ジョーンズ

荒木は2015年W杯で日本代表を率いたエディー・ジョーンズに呼ばれた。エディーは2019年W杯ではイングランドを率いたが、決勝で日本を下した南アに敗れた。

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「非常にいい仕事をしてくれた。なかでも、僕にしっかりやれと言うのがメンタルコーチとして最大の仕事だっただろう」

荒木を招聘したエディー・ジョーンズ前日本代表ヘッドコーチ(HC=59)は、先ごろ刊行された『My Life and Rugby』という自伝で、荒木についてこう書いている。2019年W杯でイングランドを率いて準優勝。W杯のファイナルに3度挑んだ名将からの最大の賛辞だった。

「ビックリしました。エディーさんの本はイギリスで出たばかりで翻訳されていないのですが、向こうで読んだ人がTwitterで教えてくれました。なんだかこそばゆい感じですね」

荒木の日本代表での活動が始まったのは2012年。当初、エディーと荒木は代表選手の「主体性のなさやリーダーシップとコミュニケーション能力不足」(荒木)に取り組んでいた。

「エディーさんは私に、その3つをとにかく変えてくれと言いました。ラグビーは自分が上手くできるから、と」

「選手は言われたことをやろうとする」

とはいえ、人はすぐには変われない。エディーが「相手の背後が空いているから、キックが有効だ」と言えば、選手は状況が変わった後もキックを蹴り続けた。失敗を恐れるので自分で判断することを避ける。他人に意見したり、関わったりすることも苦手だった。

荒木は選手だけでなく、苦悩するエディーのメンタルを整える役目をも担った。熱が入るあまり強い口調になりがちだった指揮官をたしなめた。

「エディーさん、今のはいけません。自分が伝えたいことを正確に言いましょう。選手は言われたことをやろうとしている。でも、自分で考えて、とか、すぐにできないんです。そもそも私たちはそんな環境で育っていない。質問するのはコーチに失礼だと思ってる選手もいますよ」

と流暢な英語で根気強くコミュニケーションをとった。

「だって、エディーさんのためにメンタルコーチやってるわけじゃないですよね。チームが少しでもよくなるようサポートするのが私の役割だと思っていましたから」

ストレスを前向きに変えたミーティング

荒木香織

撮影:MIKIKO

チームは少しずつ成長を遂げ、2013年11月からの1年間でテストマッチ(国同士の対戦)で11連勝した。だが、メディアで取り上げられることはなかった。ラグビーブームの今では考えられないことだ。

「自分たちの努力と成果が、周囲に評価されていない。これは大きなストレスです。でも、選手たちは、むしろこの機会を有効に使う力がありました」

2014年の日本代表の合宿。夕食後のリーダーズミーティング中、気がつけば、他の選手も残って耳を傾けていた。荒木は「こっちに来てください。思っていることを言ってみて下さい」と促した。

「このくらいでは、歴史が変わったうちに入らないんじゃないか」

「もっと強くなって、日本のラグビーの歴史を変えていこう」

そんな前向きな言葉を荒木はノートに書きつけていく。彼らの声を整理し、チームの方針としてコピーワークするのも彼女の役目だ。

「選手は違いを励まし合い、ストレスと前向きな力に変えたのです。あの2時間ほどのリーダーズミーティングが彼らのW杯での3勝につながったのだと思います」

勝敗を分けた選手の主体性

難しい心理学の話なのに、荒木を通すと軽妙な関西弁に翻訳されて腹落ちする。この「荒木フィルター」が武器だ。そして、相手がどんなにビッグなボスであろうが、対等に対峙する。アメリカで8年間研鑽を積んだ知識と知見に基づく自信と確信は揺るがなかった。

「だから、“あの”文献も渡せました。エディーさんにとって耳の痛い内容です。もしかしたら機嫌が悪くなるかもしれないと思ったけど、渡しました。渡さなかったら自分が後悔すると思ったから」

あの文献とは、エディーが豪州代表のヘッドコーチをしていた2003年のW杯で、チームを決勝延長まで導きながら、イングランドに敗れたゲームをリーダーシップの観点から分析したもの。延長戦に入る前にイングランドは選手たちだけで話し合ったが、一方の豪州はエディーが円陣の真ん中に立ち、指示を出し続けた。

選手の主体性の強弱が勝敗を分けたという結論だった。

「エディーさんは日本代表では、選手の円陣に寄りつきもしなかった。それでも、大部分を選手に預けられるようになったのはW杯が始まってからではないでしょうか。選手に決めさせることが増えていった。そして、南ア戦で選手はエディーさんを超えたんだと思います」

荒木香織

撮影:MIKIKO

荒木が選手から「エディーのお母さん」と敬意をもって称された理由がよくわかる。ミッションを遂行するゴッドマザーは決してブレない。

「私たちは、(南ア戦の)最後のペナルティで同点を狙わずトライを取りに行った。でも、その前に南アはトライが取れる寸前まで攻め込みながらペナルティゴールの3点しか狙わなかった。あの時点で私は、勝てる、絶対に勝てると思っていました」

最後のペナルティの場面で、五郎丸歩もキックの準備をしなかったし、キックティーをグラウンドに運ぼうとしたスタッフを「持って行かなくていい!」と控えの選手らが制止した。全員がトライを取って勝つと決めていた。4年前もジャパンはワンチームだった。

「勝った瞬間、スタンドの上のほうで観ていたのですが、ゴーッと地響きのような歓声で。私は抱っこしていた息子を落とすんじゃないかと必死でした。エディーさんはニコニコしながら握手してくれたけど、あとのことはあまり憶えていないんです」

この奇跡的な勝利を含み結果的に3勝を挙げた。7大会28年間で白星ひとつのチームが生まれ変わるベースを作った。

そんな荒木にとって、選手時代に味わった「負け」がスポーツ心理学を志す発露となる。

(文・島沢優子、写真・MIKIKO、デザイン・星野美緒)

島沢優子:筑波大学卒業後、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』の人気連載「現代の肖像」やネットニュース等でスポーツ、教育関係を中心に執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』など著書多数。

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