1973年、京都市生まれ。中高大学時代は陸上競技短距離選手として活躍。1997年、スポーツ心理学を学ぶために渡米。2012年、ラグビー日本代表のメンタルコーチに。その後、多くのトップアスリートをサポート。現在、園田学園女子大学人間健康学部教授に就任。
撮影:MIKIKO
2015年のラグビーW杯後。日本におけるスポーツ心理学の界隈で、ちょっとした変化が見られた。それまで名刺に「メンタルトレーナー」としていた人たちが、こぞって「メンタルコーチ」と名を変えたのだ。
ラグビー日本代表の躍進に貢献した荒木香織(46)がその肩書きを「メンタルコーチ」としていた影響だ、と指摘する人は少なくない。
「そうですね。変わった感じはあるかな。ただ、肩書きは一緒でもそれぞれ自分が学んだものを、自分の言葉で発信できるといいなとは思います。私自身、脱皮したいですから」
スポーツからエンタメ・ビジネスにまで
「脱皮」は、ミライへ向かう新たな試みでもある。
2015年のラグビーW杯以降、メンタルコンサルテーションが必要なのがアスリートだけではないことも分かった。
大会後、ほどなくしてEXILEのATSUSHIからオファーを受ける。仕事にかかわるマインドセットや、「ルーティン」と呼ばれる本番までの過ごし方をサポートした。彼のほかにも歌手や俳優にかかわることで、エンターテイナーのパフォーマンス向上に貢献できることを実感できた。
もとよりビジネスパーソンの間でも、リーダーシップ変革の必要性が以前から叫ばれている。
「あらゆる場面で、パフォーマンスを最大限に発揮する助けとなる心理学の構築を目指したい。
具体的には、ビジネス、スポーツ、音楽や芸能などのエンターテインメント、芸術、授業というパフォーマンスを毎日繰り広げる教育、福祉、医療などの現場です。個人や組織が目指す最高のパフォーマンスを発揮するための、思考、感情、行動について心理学的な側面から研究したい」
心と体のバランスに注視しながら上達するスポーツのトレーニングは、今やビジネスやエンタメの世界でも活用される。例えば、ドラマーやダンサーはライブツアーでの体力維持のためにスポーツ栄養士に教えを請い、フィジカルトレーナーやメディカルトレーナーに体を整えてもらう。マインドセットや上記のようなルーティンも導入している。
ビジネスの世界でも、リーダーシップの仕組みや組織論などスポーツと親和性が高い。
「パフォーマンスサイコロジー(心理学)を確立していきたいんです。私はなんでもすぐに分かる天才ではない。英語で読んで、関西弁に訳して、セミナーで使ったり演習で選手や企業さんに分かりやすくスライドにして(標準語にして)自分の言葉で説明します。
自分が理解して、それを平易な表現にして他人に伝えます。そういう作業がものすごく得意だと思っています」
「俺についてこい」型リーダーの一掃
撮影:今村拓馬
もうひとつの試みは「リーダーシップ改革」だ。AI(人工知能)やテクノロジーが進化するなか、確実に働き方は変わるだろう。その変化を乗り切る鍵がリーダーシップだと荒木は確信する。
2019年のダボス会議でも「今後、最も人が磨いていかなければならないスキル」のひとつにリーダーシップが挙げられた。
「働き方改革をスムーズに進めるためにも、従来型の俺についてこい的なリーダーシップを一掃しなくてはいけないでしょう。セクハラ、パワハラが社会課題になっている日本は特に必要ですね」
荒木自身、以前勤めた大学でマタニティハラスメントに遭った経験を持つ。妊娠を告げた際、同僚たちからは誰一人として「おめでとう」と祝福されなかった。妊娠中に体調を崩し、当時の通勤手段だった新幹線通勤を止めるよう医師から言い渡されたことを大学側に相談すると、「どうすんの?腹が出たら何もできひんってことか?」と高圧的な態度で言われた。
撮影:MIKIKO
「授業はどうするんだ、おまえがやる授業がなくなると、学生は単位とれへんから卒業できひんぞ、と言うわけです。そこを相談したくて訪ねて行ったのですが……」
仕方がないので、事情を説明して代わりの先生を自分で探した。他の教授からは、研究室にいた大学院生に対して「出ていくように」と言われるなど理不尽な仕打ちもされた。当時を知る関係者によると、「働く女性の妊娠そのものがネガティブなイメージだったこともあるが、多くは嫉妬から来るハラスメントだったのではないか」と話す。
荒木はその大学に来て、3年の間に国際学会の理事になった。科研費(科学研究費)も1年目で取れた。その後、ラグビー日本代表のメンタルコーチにも就任する。
「代表のことを考える時間が一番楽しかったですね。それから無事に出産して、2週間後に、エディーさんから直接お祝いのメールをもらったんです。おめでとう、○日の合宿に来てくださいと書いてありました。この人、鬼やわ!って家族と笑ったんですが、産後3週間で復帰しました」
2015年W杯大会本番も、エディーから「イングランドに来て」と要請があり、知人に同行してもらって当時11カ月の長男とともに渡英した。日本のスポーツ界で、世界大会へのメンタルコーチの帯同も、しかもそれが子連れというのも初めてのケースだっただろう。
荒木は現地では、子どものいる選手が悲しい思いをしないようにと選手の前には絶対子どもを連れて行かなかった。
歓喜に沸くスタンドで、荒木が落とさないようにと必死に抱っこした息子は5歳になった。ある場所で日本代表のリーチ・マイケル(31)に遭遇。息子は自分から近寄っていき「ぼく、マイケル好きやねん」と話しかけたという。
(文・島沢優子、写真・MIKIKO)
島沢優子:筑波大学卒業後、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』の人気連載「現代の肖像」やネットニュース等でスポーツ、教育関係を中心に執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』など著書多数。