1973年、京都市生まれ。中高大学時代は陸上競技短距離選手として活躍。1997年、スポーツ心理学を学ぶために渡米。2012年、ラグビー日本代表のメンタルコーチに。その後、多くのトップアスリートをサポート。現在、園田学園女子大学人間健康学部教授に就任。
撮影:MIKIKO
2019年W杯で大躍進したラグビー日本代表。その成長の陰には、選手1人ひとりの心の成長があった。“心の科学”を監督にも選手にも伝えた荒木香織さんにとって、転機となったのはまさに28歳だった。
私の28歳は「人生が変わった年」でした。
ちょうどノースカロライナ大学大学院グリーンズボロ校の博士課程に入れてもらうため、受験の準備をしていた頃です。
アメリカでは、博士課程で学ばせてくれる教授を見つけるために大学を回ります。目星をつけた先生のところに行き、インタビュー(面接)をしてもらっていました。師として仕えたい、自分をとってくれとラボ(研究室)を回って頼み込むわけです。
しかも、私の場合は授業料全額免除で、アシスタントとして働くことによりお給料もくださいという条件です。
受けていたのは、フロリダ大学、フロリダ州立大学、ミシガン州立大学、オレゴン州立大学など6校ほど。その中で屈辱的な仕打ちを受けました。
スポーツ心理学の分野で著名な学者から「受けに来て」と誘いがあり、インタビューを受けに行きました。すでに小論文や履歴書は提出していましたが、その教授は私の論文に目を通した後こう言い放ったんです。
「おまえが本当に書いたかどうか分からないから、今ここで私の目の前で書きなさい」
私自身が書いたかどうかを疑われたわけです。怒りがこみ上げましたが、なんとか書きました。きっと文法もスペルも間違っていたと思います。修士課程(マスター)の大学の先生も、最低だと怒ってました。なぜか合格しましたが、入学しませんでした。修士では、留学生だからと助けてくれる人はいたけれど、留学生だからと疑う人はいなかったのでショックでしたね。
ノースカロライナ大学大学院博士課程時代の荒木。中央がダイアン・ギル教授、右は「現代スポーツ心理学の父」と言われるレイナー・マーティン教授。
撮影:MIKIKO
そんな人種差別も多々経験しながら、チャレンジを続けました。
自分で車を駆り、ハイウェイを運転し続けました。ナビなんてない時代。道が分からずそのままトラックについていったら、トラックを計量する場所に紛れ込んだこともありました。
その後、奨学金付きが魅力でオレゴン州立大学大学院の博士課程に入ったのですが、8週間で辞めました。内容が基礎的で簡単すぎたんです。
修士課程の先生が厳しくも丁寧な先生で、大学院のプログラム自体のレベルも高かったので、これで4年間過ごしてもマスターと変わらない、時間が無駄になると思って。当時、世界のスポーツ心理学をけん引していたダイアン・ギル教授、ダン・グール教授の2人がいたノースカロライナ大学大学院を受け直しました。
「どうしてもここで勉強したい」と号泣
誰もが入りたがるプログラムでした。スポーツ心理学を志す学生が世界から押し寄せる。しかも、2年に1人しか博士課程の学生はとらない。前の年にすでに1人とっている。2年連続はとらないから無理だとみんなに言われました。
「そんなことは関係ない。ここで学べなかったら、もういいわ」
心の中で叫びつつ、2人の前で必死に訴えました。
「ビザがなくなるから日本に帰らなくてはいけない。でも、どうしてもここで勉強したい。頼むから入れてください。お願いします」
繰り返しているうちに、涙があふれていました。15歳の国体でショックの予選落ちをしたときでさえ泣かなかったのに。
シクシクどころではない。号泣でした。あとで同じ研究室の大学院生同士で、どうして私らは入れたか?という話になった。そうしたら、私を含め全員泣いて頼んでいたんです。私以外は天才中の天才。国からお金をもらって学んでいるような超絶エリート集団です。プライドしかない人が全員泣いた、と大爆笑。そのくらい優秀で評価されたプログラムだったんです。
撮影:MIKIKO
あの時の私は学びへの情熱に衝き動かされていたんだと思います。
「大丈夫。奇跡持ってるから」
それが28歳の自分に伝えたい言葉です。
どうせダメなら、最後に挑戦してから日本に帰ろう、と思ったんですね。2015年W杯の南ア戦といい、我ながら奇跡持ってるなと思いますね。京都国体でつまずいて失敗したけど、一度手からこぼれた成功をそこで拾った感じでした。
(文・島沢優子、写真・MIKIKO)
島沢優子:筑波大学卒業後、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』の人気連載「現代の肖像」やネットニュース等でスポーツ、教育関係を中心に執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』など著書多数。