REUTERS/China Daily CDIC
2月6日夜、Twitterを開いたらトレンドワードの列に「中国・大理」という文字を見つけた。日本人には馴染みが薄いであろう雲南省の都市の地名がバズったのは、毎日新聞の記事がきっかけだった。
知らない人のために、その記事中で語られていなかった顛末も加えて、紹介したい。
配送中のマスク589箱を緊急徴用
少数民族が人口の半分を占め、風光明媚な都市として知られる大理市、役人の傲慢な所業がそのイメージをぶち壊した。
REUTERS/Tingshu Wang
事の発端は、2月2日に大理市が出した「緊急徴用通知書」という文書だった。そこには、「新型コロナウイルスによる肺炎の抑止を徹底するため、雲南省瑞麗市から重慶市に配送中だったマスクを、法に則って緊急徴用した」と書かれていた。
ところが翌日、本来そのマスクを受け取るはずだった組織が「マスクを返してほしい」と文書を公開した。内容は以下のような感じだ。
「重慶市はミャンマー企業からマスクを購入し、大理市の配送業者に輸送を依頼したところ、2月1日にあなたの組織に差し押さえられました。この物資は重慶市の新型肺炎対策チームが新型肺炎対策のために企業から購入したものです。お願いですから返してください」
大理市の「法に則って徴用した」との居丈高な物言いに、中国の都市でも最高格の重慶市が低姿勢で「お願いですから返してください」と懇願する文書が公になると、庶民は一斉に大理市を非難した。2月6日時点で重慶市の新型肺炎感染者が400人を超えていたのに対し、大理市の感染者が10人だったことも、大衆の怒りを増幅させた。
しかもその後、湖北省黄石市に送られるはずだった医療用マスク2万枚も、配送途中で大理市に緊急徴用されたことが判明した。武漢市に近い黄石市は600人以上が感染し、死者も出ている。
厚顔無恥な振る舞いが表ざたになった6日、大理市は慌てて謝罪文を出した。
「大理にはマスクなどをつくれるメーカーがなく、調達体制が整っていない。疑いのある患者が増えて、緊迫感が高まっていた」と釈明し、職員が貨物検査で見つけて緊急徴用したマスクが598箱に及ぶことや、全てを医療機関や警察、住宅地などに配ったことを明らかにした。
大理市はマスクの返還を約束したが、配布先から取り戻せなかったマスクも多く、金銭補償を申し出た。市の衛生当局トップ2人も免職処分になった。普段なら喜んで金を受け取ったかもしれない中国人も、今回ばかりは「金があってもマスクは買えない。マスクを返せ」と怒り心頭だ。
1月には他人事だった日本人
日本はマスクの草刈り場になっている。
Yoko
6年前に母と息子を連れて大理市を訪れたことのある私は、少数民族風情あふれる美しいあの街が、こんな情けない所業でバズってしまったことに、しばし失望した。
いまだかつて、マスクがこれほど貴重品になった時代はあっただろうか。
世界保健機関(WHO)は7日、世界的なマスク不足で医療関係者に行き渡らなくなっていると懸念を表明し、「 需要は通常の最大100倍、価格は最大20倍となっている」と訴えた。最近になって、マスクがウイルスを予防する効果は薄いとの啓蒙も増えてきたが、庶民にできる予防方法が限られているので、効果が薄かろうがすがりたくなるのだろう。
私の友人に、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)流行後に中国留学し、中東呼吸器症候群(MERS)が流行した2015年には韓国の土産物屋で働いていたという、感染症と人生がしばしば交錯する日本人女性がいる。今は大阪の量販店で中国人や韓国人を接客するその彼女が、「SARSでもMERSでも、こんなにマスクマスクって感じにはならなかった。これもグローバル化なのかしらねえ」と話していた。
まだ中国人団体旅行客が日本に来ることが可能だった春節前半の1月25日ごろ、銀座や心斎橋でマスクを爆買いしていたのは中国人観光客で、日本人は他人事だった。しかしその後日本で感染者が相次ぐと、日本人もマスク大戦に参戦することになった。
「会社より子どもに」と怒る妻
日本の商社に勤める30代男性は、2月初めに会社から「中国の支社に送るので、社員の皆さんはマスクを購入してください。レシートとマスクを持ってきてくれたら、会社が代金を払います」というメールを受け取った。強制ではなかったものの、男性はドラッグストアを回り、3軒目の店舗のレジ横に1箱だけ残っていた30枚入りの商品を購入した。
「帰宅して箱をよく見たら、中国製って書いてあって。中国で製造したマスクをまた中国に戻すのかとか、日本製じゃなくても大丈夫かなとそんな話を妻にしたんです」
韓国に出張した男性が、同僚に頼まれてソウルの空港で購入したマスク。
Yoko
すると妻は、「子どもが通う中学校でインフルエンザが流行っているのよ。日本人のマスクが足りなくなるかもしれないのに、あなたの会社は何を考えているの」と腹を立て、結果、マスクは男性の妻に「緊急徴用」されたという。
韓国への出張が多い大阪府在住のメーカー勤務の男性(42)は、1月下旬から「ソウルにあればマスクを買ってきて」と頼まれるようになった。
先月の出張前には上司の妻に頼まれ、ソウルのスーパーでかき集めた。2月の出張時には同僚に頼まれ、空港で探した。
「日本で売っているN95マスク、韓国ではあの規格に相当するものをKF94と言うらしいんです。空港の店員に、『絶対KF94がお勧め』と言われましたが高いんですよ。RF94は5枚入りで1万5000ウォン(約1400円)。それはちょっとなと、普通のマスク8枚入り6000ウォン(約550円)を買いました。これも安くない気がしますが」
ちなみに、この男性も出張を終え自宅に戻ると、妻から「人の分だけ買ってきて、うちの分はないの? 頼んでおけばよかった」と小言を言われたという。
アリババもテンセントも業者“摘発”
マレーシアの薬局にも「マスクは売り切れた」と掲示されていた。マスク不足は世界に広がっている。
REUTERS/Lim Huey Teng
マスクの買い手は個人にとどまらない。中国で新型肺炎の拡大が深刻化すると、大企業からスタートアップまで、中国企業が我先にと「マスクを寄付する」と表明した。アリババのような大企業はバイヤーチームを結成し、日本は草刈り場になった。
日本人、中国人、企業、個人の争奪戦で店頭からマスクが蒸発すると、取引の場はオンラインに移り、価格の上昇が始まった。
現地の報道によると、アリババのECサイト「タオバオ(淘宝)」では1月20日にN95マスクの平均価格が3倍に上昇した。アリババは翌21日、ECサイトに出店する企業に「値上げは絶対に許さない」と通知。従わない企業のマスクの出品を阻止するようになった。
2月上旬までに、アリババは不当な価格で売られていたマスク57万商品を削除。ブラックリストの企業名を公表して、特に問題があるとみなした14店舗を永久追放処分とし、そのうち5社は警察に摘発された。
中国EC2位の京東商城(JD.com)も同様に7社を追放。他のEC企業も足並みをそろえたほか、低所得層に人気の新興EC企業拼多多(Pinduoduo)は、ユーザーが医療物資を安く入手できるよう大量のクーポンを放出した。
ECサイトだけではない。メッセージアプリWeChatを運営するテンセントは、SNS内でマスク詐欺を働こうとしているグループを発見し、警察に通報した。
春節が明けた2月3日、中国商務部の副部長は、記者会見でEC企業の自発的な取り組みを「新型肺炎対策で大きな貢献を果たした」と評価した。
どこにでもいる「国難に金儲けをする人々」
需要が急拡大し、自らもマスクをつけてマスクを作るベトナムの工場労働者。
REUTERS/Kham
北京市の市場監督当局も鉄槌を下している。1月29日、マスクを高値で販売していた薬局に300万元(約4700万円)の罰金を科した。その後も、各地で摘発が続いている。
もちろん取り締まりはイタチごっこで、使用済みのマスクを洗って未使用品として販売する悪質な業者も相変わらず存在する。
知人の中国人は、「こういう輩を中国語で『賺国難銭』(国難に乗じてお金を儲ける)と言うんですよ。本当に恥ずかしい」と眉をひそめた。それを聞いた私は、「そういう人は日本にもいるから」と言わずにはいられなかった。
中国から10日ほど遅れて、メルカリやアマゾンのようなECプラットフォームでも、店頭価格の数倍から数十倍するマスクが出品されるようになった。「賺国難銭」は中国だけに存在する問題ではないのだ。いや、むしろ日本の方が、彼らにとっては居心地がいいかもしれない。
2月に入ってワイドショーなどメディアがマスク高額出品問題を取り上げるようになると、フリマアプリのメルカリは5日、マスクの取引について「社会通念上、適切な範囲での出品・購入を」とウェブサイトで注意を呼び掛けた。
消費者から苦情が寄せられているという消費者庁も同じ日、ECサイトやフリマアリに対応を要請した。だが、法外な価格で出品されようが、買う人がいれば「自由意志に基づいた取引」であり、法的に取り締まるのは難しいという。
新型コロナウイルスが可視化させるもの
日本のアマゾンで「マスク」と検索すると、店頭価格よりかなり高額な商品が表示される(2月8日現在)
数年前までアマゾンジャパンで働いていた女性は、1月末にアマゾンで法外な高値のマスクが多く出品されているのに気づいた。
「社会に対して大きな影響力があるのに、アマゾンはこういうときに、消費者に対して一歩進んだ誠意あるアクションが取れないんです」と歯がゆそうに話し、「こういう局面で、人や企業の本当の姿が出るように思います」と続けた。
マスクをつけて結婚式に参加する韓国人カップル。
REUTERS/Heo Ran
たしかに、日中で起こった未曽有宇のマスク不足は、普段は目に入りにくいものを可視化させている。
民間業者からマスクを横取りし、取った相手が自分たちより格上の自治体だと分かると、慌てて幹部を処分する地方政府。マスクを高値で売る業者に、一罰百戒とばかりに高額の罰金を科す中国当局。SNSのやり取りを堂々と監視し、喝さいを浴びる中国のIT企業。マスクをフリマアプリで高値出品し、テレビのインタビューに「手に入らない地域の人に流通させているだけ」と居直る日本人転売ヤー。そして世間の批判が大きくなるまで、様子見を続ける日本のEC企業……。
マスク問題に限らない。世界に広がる新型コロナウイルスの脅威は、対峙する人々や国の無意識の“癖”“や習性”のようなものも、浮き彫りにしているように思える。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。
早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。新聞社退職した時点でメディアとは縁が切れたつもりで、2016年の帰国後は東京五輪ボランティア目指し、通訳案内士と日本語教師の資格取得しましたが、色々あって再びメディアの世界にてゆらゆらと漂っています。市原悦子演じる家政婦のように、他人以上身内未満の位置から事象を眺めるのが趣味。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。