乳がん、不妊治療、起業、挫折を超えて…女性たちの秘められた体験を共有するメディアを【UMU・西部沙緒里1】

西部沙緒里

撮影:鈴木愛子

「UMU」というメディアがある。

不妊や出産、流産など、「産む」ことにまつわる体験談を集めたサイトだ。ある記事では不妊治療中の女性がその思いを、別の記事では性同一性障害の夫とその妻が子どもを望むようになった経緯を、赤裸々に語る。ほとんどの人が実名を明かし、本人の写真も添えられている。

サイトを作ったのは、2016年に創業したベンチャー、ライフサカス。創業者でCEOの西部沙緒里(42)は、自身も乳がんと、不妊治療を経験した。

女性特有の病気や不妊治療はこれまで、ごく限られた女友達や当事者同士で、密やかに語られることが多かった。しかし西部は、経験者たちとの出会いを通じて「実はみんな体験をとても大事にしていて、語る場所を求めているんだ」と気付いたという。

「秘められたストーリーを表に出し、女性の生きづらさをオープンに語り合える社会を作りたい」

「熱意を信じて」実名顔出しで

UMU

「UMU」によしおかが登場した回は、大きな反響を呼んだ。

「UMU」より

2016年9月、最初の記事で取り上げたのが、前夫の病死を乗り越え、里親として多くの子どもを育ててきた、よしおかゆうみだ。

よしおかは取材に訪れた西部らに、率直に人生を語った。高校時代に子育てグッズをそろえるほど子ども好きで、「1ダースも」産みたい、と思っていたこと、前夫との間でたった一度妊娠し、「最後のチャンスかもしれない」と意地になったが流産してしまったこと。夫の病勢が進み、主治医から妊娠の可能性はないと告げられたこと……。

「先生からの話の後、トイレに行って顔を洗って鏡を見て、にっこり笑って『よし、私は産めなかった分、仕事で関わる子どもたちみんなに愛情を注いでいくぞ』と決意しました」(UMUより)

西部も同席したカメラマンもライターも「ボロボロ泣きながら聞いていた」(西部)。

よしおかと西部は自宅が近く、以前から付き合いがあった。しかし西部は取材前、「人生の重大事を公開前提で、しかも顔をさらして話してほしいなんて頼んでも、断られるかもしれない」と内心、びくびくしていたという。

よしおかは「『話を聞きたい』と頼んできた時の、沙緒里ちゃんの勢いはすごかった」と笑う。「自分と同じように苦しんでいる人へ、少しでも明るい道があることを知らせたい」と語る西部の「熱意を信じて」、依頼を受けた。実名顔出しも「恥ずかしいことをしてきたわけではない」と、快諾した。

よしおかが明るく笑う写真とともに配信された記事は、大きな反響を呼んだ。「勇気をもらいました」という声のほか「これまでためらっていたけれど、里親に向けて一歩踏み出します」「里親になる方法を具体的に教えて」といったメールも寄せられた。

よしおかは「自分の経験が読者の心に届いて、生きづらさが和らいだ人がいるなら、願ったりかなったりだ」と喜ぶ。

「男性にこそ読んでほしい」

西部沙緒里

撮影:鈴木愛子

ライフサカスにも多くの人から、人生をつづった長いメールが送られてくる。中には実名で経験を語ってもいい、と志願してくれる人もおり、彼らのストーリーがまた「UMU」に蓄積されていく。

「みんな『誰かの役に立ちたい』という思いで、取材に応じてくれるのです」(西部)

自分の話が記事になった後、「自分の思いが可視化されたことで、前に進む力を得られた」といった感想をくれる人もいるという。西部は言う。

「闇の淵でもがいた経験をさらけ出したら、読者が共感してくれた。語り手はそんな体験を通じて、自分の過去を昇華させられるのではないか」

男性読者からもメールが来る。自分の不妊の苦しみ、不妊治療をする妻の苦しみに寄り添いきれなかったことへの後悔……。

西部は「男性の不妊は、女性以上につらい面もある」と、彼らを気遣う。女性の治療に比べて情報がはるかに少なく、周囲の理解も遅れているためだ。

よしおかは「男性にこそUMUを読んでほしい」と力を込めた。

「出産は本来夫婦2人のものなのに、男性に知識がなさすぎます。不妊治療の苦しみにも、夫婦で温度差ができてしまうことが多い。当事者の体験を知り、男性も大事な命の選択を『自分ごと』として考えてほしい」

西部沙緒里

撮影:鈴木愛子

西部は、33歳で結婚した時「傲慢にも未来は一択、当然いつか自然に子どもを授かれる、と信じていた」と振り返る。

30代半ばで自然妊娠し子どもは2人、1人は男の子で1人は女の子……。そんな人生を「ざっくりと」思い描いてもいたという。

実家は曾祖母、祖母、母、西部に妹と4世代の女性が同居し、「女性は結婚し出産するもの」という規範意識が強かった。西部もその影響を受けていただけに「乳がんの上、産めないかもしれないという状態はダブルショックだった」

だがUMUでは、不妊治療をやめることを決断した女性や養子縁組の親子、家族を持つ気持ちになれない男性なども取り上げている。さまざまな「家族のカタチ」に接する中で、西部の価値観も変わっていった。

「それまで見ようとしてこなかっただけで、『産む』ことには無数の選択があり、ステップファミリーやシングルマザーなど色とりどりの家族がある。乳がんや不妊の苦しみと引き換えに、それを知ることができた。病気をする前の私に比べて、生きるのが格段にラクになりました」

仲間は去り1人。自分を責めた

「私なんかで、いいんですか?」

取材を依頼した時、西部から返って来た言葉はこれだった。

「正直、起業してから失敗続きで、大企業で働き続けていた方が、幸せだったかもしれないと時折思うくらいです」

西部と、共同創業者の黒田朋子らが創業したライフサカスは当初、UMUの運営と不妊治療サポートアプリの開発、働く人の健康に関する啓発活動が事業の3本柱だった。

しかしアプリ開発はとん挫し、メンバーは実質的に解散。現在西部は社外のパートナーと協力しつつ、企業や学校・自治体を対象としたセミナーの講師や健康関連のアドバイザーなどで得た収入をUMUの運営に充てている。解散後、どん底まで落ち込み、自分を責めた時期もあった。

「私自身の人生がロールプレイングゲームのようなものです。一つの敵を倒すと、次のステージに上がってより強い敵が待ち受けている……」

この「西部沙緒里」というRPG、ステージ前半は「親の意向に沿って生きる優等生」という、ともすれば平板な物語だったという。それが30代に入って突然、強力な“ボスキャラ”が次々と現れ、ある時は仲間と戦い、また1人に戻り……と波乱万丈の展開を迎える。最初の敵は「乳がん」だった。

(敬称略・明日に続く

(文・有馬知子、写真・鈴木愛子、デザイン・星野美緒)

有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。

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