1977年、群馬県生まれ。2002年、博報堂入社。 2015年に乳がんの手術を受け、その後不妊治療を始める。 2016年にライフサカス創業、翌年、長女を出産。 現在は「産む」ことにまつわるメディア「UMU」を運営。
撮影:鈴木愛子
ライフサカスCEOの西部沙緒里(42)の元には1枚のメモが残っている。乳がんの手術をする数日前、「20年後の私」に宛てて、書きなぐったメモだ。
「乳がんやだやだやだ ふつうのせいかつにもどりたい。もうやだ、もうやりたくない。おっぱいが特別だと思っているからつらいのか。今健康ですか、右のおっぱいは無事ですか、女に生まれて良かったですか。」
告知受け号泣、腰までの髪を切った
大手広告会社に勤務していた西部は2014年9月、36歳の時に左胸のしこりに気付いた。
前年も、会社の定期健診で右胸に良性のしこりが見つかっていた。その時は自然と消えたので「左にも同じものができたのかな」と、気軽に検査を受けた。
しかし検査後、真っ先に聞かれたのは「家族は来ていますか」。
「悪性です。初期なので直ちに生死には関わらないですが、できるだけ早く手術しましょう。胸を残せるかは分かりません」
と、医師から告知を受けた。
告知後「ひたすら混乱した」という西部がまず実行したのは、「断髪式」だ。
「今では笑い話ですが、腰まであった髪をバッサリ切りました。これから人生にとって大きな選択をたくさんしなければいけないという、覚悟のつもりでした」
夫に病気を知らせると、学究肌の彼は乳がんに関する詳細な情報や病院別の治療方針などを調べ、26ページに及ぶ「調査報告書」をまとめ上げた。
6歳下の夫もまた、目の前で号泣する妻をどう支えるべきか、妻の体に何が起きるのか分からず動揺していた。後に報告書について「やり場のない自分の気持ちを、何とか落ち着かせようとして書いた」と、自ら回想したという。
執着した会社に戻れなかった
会社という「居場所」を失うことへの恐れ。西部は入院直前まで働いた(写真はイメージです)。
gettyimages/Westend61
当時、西部は職場でリーダーとして取り組んでいたプロジェクトが、ちょうど佳境に入ったところだった。
「やりたかった仕事なのに『強制終了』のボタンを押されてしまった思いでした」
上司にはやむなく病名を知らせたが、同僚に知られるのは絶対に嫌だった。
「胸、という部位に対して自意識過剰になっていた。とにかく言わないで、と上司に懇願し、『長期療養が必要な病気』だと伝えてもらいました」
引き継ぎが終わり、仕事も残っていないのに入院2日前までフルタイム出社を続けた。会社という居場所がなくなるのが怖かった。
2015年、段階的に手術をした。切除範囲は広かったが、初期だったため抗がん剤治療は受けずにすみ、生活に大きな師匠をきたすほどの後遺症も出なかった。治療が一段落するとほどなく、「頑張ればデスクに座り、時短勤務で復帰できないこともない」状態にまで回復した。
しかしあんなに執着した会社のデスクに、西部はなかなか戻ることができない。
「病気をしてしまって、もう今まで通りには働けないかもしれない。そうなった自分は『用なし』なのではないか」
体を慣らすため、健康管理室に一定の時間出社する復職訓練中も、「何とか仕事できそう」「やっぱりまだ無理かも」と、感情が揺れ動いた。産業医と面談し、「復帰を少し延ばしてほしい」と頼み込みもした。
患者の3割が就労年代。2割が離職
西部の自宅に並ぶ本。夫の蔵書が多いという。
撮影:鈴木愛子
今や、国民の2人に1人が生涯に一度はがんにかかると言われる。さらに、患者の3割は就労年代とされる15~64歳で発症している。
5年生存率も、1990年代半ばにがんを発症した人は53.2%だったが、2006~08年の発症者は62.1%まで延びた。特に男性の前立腺がん、女性の乳がんでは90%を超える。国立がん研究センターが発行する企業向けの就労支援ガイドブックによると、がんは今や「治療をしながら長く付き合う慢性疾患」になっている。
しかし、同センターの高橋都氏らが2015年に実施した調査によると、がんと診断された人のうち20.9%が離職していた。最も多いのが診断時に辞めてしまう人で、全離職者の31.7%。復職後は18.6%と、2番目に多い。
ある大手企業の人事担当者は「職場への病名告知や復帰の際に、心理的な抵抗を覚える社員は多い」と指摘する。医療技術の進歩で入院などの期間が短くなり、抗がん剤の副作用も軽くなってきたため、会社に明かさず有休を使って治療する人もいるという。
西部も訴える。
「社員が病気をしたことで『キャリアにバツが付いた』という思いに囚われることは少なくありません。職場が必要以上に配慮するなどまさに『腫れ物』扱いして、復職者の自己肯定感をさらに低下させてしまうこともあります」
「生かされた命で役に立ちたい」
その一方で患者は「深刻な病気を乗り越え、一皮むけた」と感じ、生まれ変わったような気持ちになることも多いという。以前と様変わりした復職者の様子に、職場の同僚が戸惑うケースもある。
通院治療のため1時間単位で有休を取得できるようにするなど、治療と仕事を両立するための支援制度は不可欠だ。ただ離職を防ぐには、「制度だけでは不十分。回復のステージごとに当事者の心理状態を把握し、対応する必要がある」と、西部は強調する。
撮影:鈴木愛子
西部も多くのがんサバイバー同様、自己否定と同時に「生かされた命を使って、社会の役に立ちたい」という意識が初めて芽生えた。ただ足掛け1年に及ぶ治療に向き合う中で、それ以上に出産への思いが強まっていた。
当時すでに30代後半、治療中は妊活できず、「時間をロスしてしまった、これからは最短ルートをたどらなければ」という焦りも生まれた。
ネット上には、乳がんが妊娠のしやすさに影響する可能性があるという情報もあった。このためがんの治療が山場を越えた直後、専門医を受診した。
診察した医師は言った。
「あなたが産める確率は、10%以下です」
子どもは2人、男の子と女の子 —— 。
「当たり前に産める」未来が、目の前で崩れ去った。
(敬称略・明日に続く)
(文・有馬知子、写真・鈴木愛子)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。