1977年、群馬県生まれ。2002年、博報堂入社。 2015年に乳がんの手術を受け、その後不妊治療を始める。 2016年にライフサカス創業、翌年、長女を出産。 現在は「産む」ことにまつわるメディア「UMU」を運営。
撮影:鈴木愛子
「今思えば、医師も私の体を心配して、あえて強めの表現をしたんだろうと思いますよ」
ライフサカスCEOの西部沙緒里(42)は、「産める確率は10%以下」と言われたことを、こう振り返る。
「病み上がりだったし、私のがん種は女性ホルモンに反応しやすく、妊娠出産そのものが脅威でもありましたから。でも私にとっては、がんの宣告以上にショックでした」
「人生終わった」と感じた。女としての自分がすべて否定され、未来が閉ざされていく。何としてでも、抗わなければ。すぐに不妊治療を始めた。
不妊治療は「終わりなき迷路」。トイレで大泣き
西部家の広い窓には、夫がブレーンストーミングのために書き出した文字が残る。「もちろん消せますよ」と西部。
撮影:鈴木愛子
乳がんの告知を受けた時、西部は初めのうちこそ動揺し、号泣もした。ただある時期からは「治療をやり切るしかない」と腹をくくり、精神的な落ち着きを取り戻した。
一方、不妊治療は「終わりなき迷路」のようなものだった。
「今でこそ、追いつめられていた自分を冷静に振り返れます。しかし、当時は生死がかかっていないのだから、がんよりましだと思うように努めても、まったく感情をコントロールできなかった」
仕事をやりくりしながら治療に通う。神社で神頼みもしたし、体のあらゆる部位も温めた。やれることはすべてやったから、今度こそ妊娠しているだろう……。
「待ちきれずにちょっと早めに妊娠検査薬を使い、『うっすら(妊娠を示す)線が出てるかも!』と喜んだ翌日に、生理が来る。職場のトイレの擬音装置を連打しながら大泣きしたことも、2度や3度ではありません」
夫は終始「2人だけでも楽しいから、子どもはできてもできなくてもいい」という姿勢だった。
「当時は『もっと私の気持ちに寄り添ってよ!』という憤りもありましたが、振り返れば2人とも感情的にならなくてよかった。夫には感謝しています」(西部)
治療隠して職場復帰。立ちはだかる「4つの壁」
夫婦2人で生きる、養子を迎える…「『産む』の一択ではなく、プランがたくさんあった方が、社会は豊かでカラフルになる」(西部)。
撮影:鈴木愛子
西部は「元気になりました!」と、不妊治療中であることを職場に伏せて復帰した。
「事情を説明したら、上司に『配慮を迫っている』と思われるかもしれない。がんでさんざん休ませてもらって、これ以上面倒をかけたら『厄介者』だと思われてしまうんじゃないか」という恐怖心があった。
「男性には理解してもらえないだろう」という気持ちも強かった。
「女性の私ですら、昔はなぜ不妊治療中の人が、ある日突然病院に行くのか理解できず、予約できるはずじゃないかと思っていた。女性自身では日程をコントロールできないと、知らなかったのです」
不妊治療は排卵周期に合わせて行われ、タイミングが1日ずれただけで、効果が半減してしまうこともあるという。このため女性は排卵が近づくと毎日のように通院し、内診を受けて卵子の状態をモニタリングする必要がある。
不妊治療を経験した、ある40代女性は振り返る。
「排卵してしまったら一巻の終わり。2日おきに通院して卵子の状態を確かめました。医師に『この卵の大きさなら、明後日の午前中に来てください』と言われ、その時間は会議があると話すと『じゃあ午後、なるべく早く来て』という調子でした」
国立社会保障・人口問題研究所によると、夫婦の5.5組に1組が不妊治療の経験があるとされる。しかし厚生労働省の2017年の調査では、治療経験者の16%が治療と仕事を両立できず、離職を余儀なくされていた。また同じ調査によると、不妊治療に関する支援制度のある企業は、9%程度にすぎなかった。
不妊治療には「4つの壁」があると、西部は言う。
「見えないゴール、誰にも相談できない孤独、あふれるネット情報、そして多額の費用です」
初期の不妊治療には医療保険が適用されるものが多いが、体外受精や顕微授精は保険適用の対象外だ。助成金や医療費控除もあるが、数百万円単位の負担を強いられる夫婦もいる。
西部は結局、仕事にも本腰を入れられないまま、自己否定のループにはまっていった。
「もっと職場の仲間に頼れていたらという後悔はあって、今も夢に見るほどです。でも当時は次々と立ちはだかるハードルを『自分で』乗り越えることに精一杯でした」
「実は私も」次々に打ち明けられた
ライフサカスメンバーのオンライン飲み会。みんな本業と掛け持ちで参加していた。
西部さん提供
精神的に追いつめられた西部は、ついSNSなどに「しんどさ」を漏らさずにはいられなかった。すると「実は私も不妊治療中で」「子宮筋腫で経過観察になって」という女性たちが「わらわらと」現れた。
親しい友人から初めて打ち明けられ、当事者同士だからこそ明かせることもあるのだと知った。バリバリ働いてきた女性たちが出産適齢期を逃し、治療している現実もあった。
「彼女たちの声で、悩んでいた心が一気に吹っ切れた。『女性特有の生きづらさを解決するために、残りの人生を捧げよう』と決めたんです」
女性たちの経験談を集めたメディアや、「不妊治療をとことん楽にするアプリ」を作り、数値的なデータも集めたい。治療と仕事と両立できるよう、企業風土を変える研修もしよう……。
西部は起業に向かって動き出す。集まったのが、がんサバイバーを中心とした仲間たちだ。
特に西部は、共同創業者の黒田朋子(41)について「彼女がいなければ、ライフサカスもUMUも存在しなかったかもしれない」と話す。
黒田は、血液のがんである急性骨髄性白血病を経験した「先輩」であり、不妊当事者でもあった。
「私の治療中、やり場のない気持ちを彼女が受け止めてくれて、精神的にずいぶん支えてもらいました。境遇も似ていて、深いところで共感し合えました」(西部)
起業のアイデアを話すと、「良かったら私も一緒にやるよ」と、黒田は申し出てくれた。
三宅俊介(46)も、黒田と同じ白血病のサバイバーだ。西部と三宅は知り合った当時の住まいが近く、地元の集まりでお互いがん経験者だと知り、意気投合した。
西部の起業を聞きつけ、連絡してきた三宅は「キミたちが会社を作るなら、僕が支援しない理由はないね」と話したという。
撮影:鈴木愛子
2016年9月、ライフサカスを創業。ほどなく枡田一作(42)、能戸俊幸(43)、瀬名波雅子(38)も参加した。メンバーの過半数が、不妊治療も経験している。3人はがんサバイバーだ。
西部は創業直後に妊娠が判明し、翌年娘を出産。「会社と子どもを一緒に育てているような」、あわただしい生活が始まった。
ただ、西部は今も力を込めてこう話す。
「不妊治療をしても、子どもが授からない人も一定数、確実にいます。私自身も治療を通じて、産めない未来を考え抜きました。そして産むという一本道だけでなく、夫婦2人で生きる『プランB』、養子縁組をする『プランC』など、多様な選択を祝福できる社会にしたいと思うようになったんです」
(敬称略・明日に続く)
(文・有馬知子、写真・鈴木愛子)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。