1977年、群馬県生まれ。2002年、博報堂入社。 2015年に乳がんの手術を受け、その後不妊治療を始める。 2016年にライフサカス創業、翌年、長女を出産。 現在は「産む」ことにまつわるメディア「UMU」を運営。
撮影:鈴木愛子
ライフサカスCEOの西部沙緒里(42)が、乳がんと不妊治療、起業と挫折を乗り越えて今、若い世代に伝えたいこととは。
28歳の頃、私は、「ほしいものをすべて手に入れよう」ともがいていました。
ただ、今思い返せば、「ほしいもの」が何かを本当には分かっておらず、ただ闇雲に、外の世界から「よさそうな」アイテム——例えば天職とかステータスとかお金とか、素敵なパートナーとか——を、かき集めようとしていました。人生をしくじることなく、上手に幸せをつかもう、という損得勘定のようなものもありました。
本当は、ささいな日常生活の中にも成長の糧となる出来事や、自分らしい人生を送るためのヒントがあったはずです。しかし「見てくれ」を重視していた当時の私は、足元の大切なシグナルに目を向けているつもりでいながら、実は無視して逃げていました。
結局数年後、がんと不妊という全く想定外の出来事が押し寄せて、私は不完全な自分に、半ば強制的に向き合うようになったわけです。
当時の自分を反面教師にして、今、28歳の人たちにアドバイスできるとすれば「自分の外側を塗り固めることに時間を使わず、地に足をつけて内側を満たしてください」ということでしょうか。
仕事やお金などの「外付けモジュール」をどれだけ増設しても、自分という器が成長していなければ、使いこなすことはできないのですから。
そして今の私から28歳の私には、こう伝えたい。
「あなたは、何もかもを手にすることが最上だと思っているかもしれないけれど、得られないものがたくさんあると知ってからの人生の方が、味わい深いよ」
「キャンサーギフト」がんの経験を次へ進む力に
「キャンサーギフト(がんによる贈り物)」という言葉がある。がんを患うことで得られるものもある、それは素晴らしい学び、経験であり、その後の人生の糧にもなるという考え方だ。
がんは、当事者から多くのものを奪う。健康、時間、心の平安……。乳がん患者は、胸という女性の象徴的な部位にメスを入れることになり、がんによっては食事制限や排せつ障害などのハンディが残ることもある。
私はがんと不妊治療があったからこそ「今自分にあるものを、心の底から感謝できるようになりました。何もかも失った時に「命」が残っていると実感したように。
命を落とす人もいる中で「助かったから言えるのだ」との批判があるのは理解しています。とてもつらい治療を経験した人が、がんを贈り物だなんて考えられないのも分かります。私自身も未だに、がんも不妊も経験しなくてすむなら、したくなかったと思うこともあるからです。
ただ、一度は生かされた命であり、これからも生き続ける以上、私は経験から得たものを、次に進む力へと変えていきたいのです。
社会人前半は長い「青い鳥症候群」
ビジネスは再び軌道に乗りつつある。事業以外でも、女性の仲間2人と出産や性のことなどを「放談する」ポッドキャストを始めたという。
撮影:鈴木愛子
私は学生時代から30歳ごろまで、長い「青い鳥症候群」に陥っていました。
学校生活も仕事も、どこか借り物の自分を生きているような気がして、「情熱を燃やし切っていない」という不全感を抱き続けてきたのです。その不満を会社に責任転嫁し、「どうして、私に打ち込める仕事をさせてくれないのか」と考えていたことすらあります。30歳の頃には、張り詰めていた糸が切れたように、会社に行けなくなりました。
この場所で咲くのだと思い切れず、もううんざりだ、抜けたいと思い詰めて内側に閉じこもってしまっていました。あの頃は自分が大嫌いでした。
ただ半年後に復帰してからは、青い鳥を追うあまり、目の前の仕事を中途半端にしがちなことを自覚するようになりました。自分にとっての「働く」ことの意味も分かり始めました。この時初めて、逃げ続けてきた人生の「シグナル」にしっかり目を向けたのかもしれません。
当たり前のことかもしれませんが、起業する際も、勤め先をなんとなく辞めてしまうことはせず、数カ月かけてきっちり仕事を整理してから退職しました。
不完全燃焼な生き方を改めた最大のきっかけは、がんで命の期限を切られたことです。しかし会社員としての仕事を自分なりに全うしたのは、同じくらい意味のあることでした。今は中途半端にやっていることは何一つありません。まったく違う人生を生きている感覚です。
撮影:鈴木愛子
私はがんサバイバーで不妊治療経験者だからといって「逆境を乗り越えたすごい人」だと思われるのも、本意ではないんです。
時折「がんに比べたら、自分の悩みなど取るに足らない」と言う人がいますが、重要なのは、ライフイベントの「粒」の大きさではありません。
がん患者同士ですら、ステージの重さや抗がん剤の副作用の激しさ、がん種などで「あなたの経験など大したことはない」「私の方がつらい」という負のマウンティングが起きがちです。
でも大事なのは、がんであれ日々の悩みであれ、それぞれが苦しい時期にたどる悩みのプロセスを握りつぶさず、きちんと向き合うことです。
私はUMUの語り手たちを取材する中で、「悩み抜き、苦しみ抜いた場所から浮かび上がる瞬間にこそ、人は美しい花を咲かせる」と思うようになりました。
語り手たちの物語を読んだ人も、勇気づけられて一歩踏み出し、人生を花開かせていく。そんな花が咲き乱れる世の中にしたい。
ライフサカスという社名には、2つの意味が込められています。ひとつはUMUに登場する女性たちのように「命(ライフ)を咲かせよう」という願い。そしてもうひとつは「ライフはCircus(サーカス)でもある」と言うメッセージです。
人生はサーカスのように、カラフルで波乱に満ちている。どうせなら明るく、力強く山や谷と向き合おう、と。
私は30代以降、たとえ不完全だったり凸凹だったりしても、「いのち」をしっかり生き切るためのレッスンを受け続けたような気がします。その中で、経験する喜怒哀楽の総量は幸せの総量でもある、と考えるようになりました。
つらいことやネガティブな感情にぶつかっても、それが後の人生の厚みを増し、語るべき「ネタ」増えるのだと捉えたい。私はこれからも、挿話の多い「濃い」人生を歩いていきたい、と思います。
(敬称略・完)
(文・有馬知子、写真・鈴木愛子)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。