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日本は2月13日、新型コロナウイルスによる肺炎の拡大を防止するため、中国・湖北省に続き、浙江省に滞在歴のある外国人などの入国も禁止した。浙江省の感染者数は2月16日発表時点で1167人。湖北省、広東省、河南省に次いで中国で4番目に多い。
多くの日本人にとって、中国の商業都市としては上海、製造業とITのハブである深セン、首都の北京までしか思い浮かばないかもしれない。
だが、浙江省は中国でも名高い“商業大省”であり、EC企業アリババを創業したジャック・マーを筆頭に数々の著名起業家を輩出している。アリババが本社を置く杭州市のユニコーン企業(評価額10億ドル以上の未公開企業)は、深セン市より多い(2017年時点)。
浙江省で新型肺炎が蔓延した理由について、中国メディアや有識者は「勤勉で開拓精神あふれる浙江商人の機動力が逆作用した」と分析している。湖北省と隣接していない浙江省での新型肺炎の広がり方は、今まさに拡散が始まろうとしている日本の近未来にも見える。
アリババの物流、輸送力は平時の20%に
新型肺炎の感染者が1100人を超え、日本政府も入国を制限した浙江省。感染拡大の要因は?(写真は浙江省台州市)
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日本が浙江省からの入国拒否に踏み切った2月13日、アリババは2019年10-12月期の決算を発表した。売上高は前年同期比38%増の1614億元(約2兆5000億円)、米国会計基準に基づく株主に帰属する当期純利益は523億元(約8100億円)だった。
いずれも市場予測を上回る好決算のはずだが、決算発表後、アリババの株価は下落した。理由はもちろん、新型肺炎だ。
ダニエル・チャン(張勇)会長は決算会見で、「新型肺炎は消費者のライフスタイルを変えるだろう。リモートワークが拡大し、オンラインで野菜などの生活必需品を買う動きも広がる。大きな挑戦が待ち受けている」と述べた。IT企業のアリババにとっては好機とも言えるが、中国社会全体に配慮したのか、ライフスタイルの変化への対応を「企業にとっての挑戦」と表現した。
アリババは新型肺炎の経営への影響を現時点では見通せないとしているが、物流網は既に打撃を受けている。
マギー・ウー(武衛)CFO(首席財務官)によると、アリババの物流プラットフォーム「菜鳥網絡」の輸送力は2月中旬時点で平時の20%にも戻っていない。外出制限などの影響を受け、多くの配送員が業務に戻れず、荷物の配送が止まっているという。
社会のインフラとして機能するアリババ
ジャック・マーは杭州市出身。アリババは杭州市の経済構造も変革させた功労者だ。
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1999年に創業したアリババにとって、感染症に直面するのは2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)以来となる。当時も外出が厳しく禁じられ、インターネットが一気に普及。アリババにとっては飛躍の機会となった。
そして2020年、アジアを代表する大企業に成長した同社は、新型肺炎対策の中心的な役割を担うようになった。
ECサイトではマスクの値上がりを取り締まり、決済アプリのアリペイ(支付宝)には無料で医療関係者に相談できる機能を追加した。自宅を出られない子どもたちのためにオンライン授業を提供し、武漢の医療関係者向けに衣食住を支援するなど、グループ企業総動員で社会のインフラとして存在感を高めている。
ジャック・マーが北京でなく浙江省から現れた理由
北京市の幹部がかつて、「なぜジャック・マー(のような起業家)は北京ではなく浙江省から現れたのか」と嘆息したという話がある。その言葉にこそ、浙江省の特性が凝縮されている。
浙江省は沿岸の大都市だが、改革開放後の1980年代に、上海、広東省のようには海外からの投資を得られなかった。だが、与えられなかったが故に、勤勉さと開拓者精神を併せ持つ起業家が多数生まれ、民営企業が勃興・成長したと言われる。
ジャック・マーは大学教師をしていた1994年に翻訳会社を設立したが、事業がうまくいかない時期は、ギフトや生花の卸売りをして経営を維持した。マー自身も週末になると、同じ浙江省にある中国最大の日用品取引市場「義烏」に足を運び、商品を仕入れていたという。
アリババを設立したときは、中小企業の経営者をターゲットに定め、「すべての商人に使ってもらうインターネットサービス」を目標に掲げた。ターゲットが大企業でも消費者でもなく中小企業だったのは、マーの中の浙江省DNAが影響したのだろう。
その浙江省の商人文化の象徴的な都市が温州市だ。
同市では2月16日時点で新型肺炎感染者が500人を超えており、その数は湖北省以外では最多となっている。日本の外務省は14日、温州市について感染症危険情報で渡航中止を勧告する「レベル3」に引き上げた。
温州市の感染蔓延は、同地のビジネス構造と大きく関係している。
温州商人の春節帰省で一気に拡大
中国最大の日用品取引基地の義烏。日本人も仕入れに訪れる場所だ。
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かつて農村だった温州。1980年代に農民が家庭で日用品や軽工業品を生産し始め、さらにはそれを売るために中国の他の都市や海外に出ていくようになった。
生産・流通の両方の機能を持つ彼らは行った先々で「温州商会」と呼ばれる強いネットワークを形成し、ビジネスを拡大して富を形成した。
温州商人が目を付けた開拓地の一つが、武漢だ。
沿岸都市より成長が遅れていたため土地や人件費が安く、一方人口は多い。例えば武漢温州商会の羅雲遠会長は1980年代、16歳のときに武漢から温州に移住した。露天の物売りや工場作業員などで生計を立て、独立。温州で生産した電器・電工材料や服飾製品を武漢で販売し、次第に事業規模を拡大していった。彼は今、武漢でスーパーチェーンを経営し、工業団地にも出資する著名経営者だ。
武漢経済と温州のつながりは深く、中国メディアによると18万人の温州商人が武漢で商売を営み、また、温州にも湖北省出身者が33万人いるという。
春節時期には武漢で働く温州の人々が一気に故郷に戻る。地元メディアによると、武漢が1月23日に封鎖される前はもちろん、封鎖後も湖北省から温州市への移動は途切れず、同市の副市長は「温州の新型発症者と武漢から温州への帰省者の数は正比例している」と述べた。
一つのイベントから芋づる式に感染
武漢で商品を配達するアリババグループのスーパーのスタッフ。今回の新型肺炎対策でアリババは大きな貢献をしている。
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浙江省では温州、杭州に次いで感染者が多い寧波市での感染の広がり方は、今の日本と共通点が多いので、こちらにも触れておきたい。
上海、杭州に隣接し、沿海部の港湾都市として商工業が発達してきた寧波市は、さまざまな地域の人が出入りする。陳仲朝常務副市長は2月中旬、環球時報の取材に対し、「武漢との経済交流も密接で、空路、陸路、海路合わせて毎日3000人以上の往来があった」と語った。
陳仲朝副市長によると、寧波市には湖北省出身者が4万人居住しており、さらに武漢で働いたり学校に通ったりしている寧波市出身者も数万人いるという。新型肺炎の深刻さが認識されていない時期に、これらの人々の行き来によって水面下で感染が広がり、2月16日までに感染が確認された155人のうち32%が、武漢市民か、あるいは武漢市民との直接接触によって感染したケースだった。
陳仲朝副市長は寧波市が感染拡大したもう一つの要因として、ある企業が1月中旬に主催し、3000人を動員したイベントを挙げた。当時は中国では武漢以外で感染者が確認されておらず、寧波市では警戒感はほとんどなかった。だが参加者66人の感染が後に判明した。
陳仲朝副市長によると寧波市の感染者のうち、「武漢との直接接触者」と「イベントに参加した人」が75.5%を占めるという。
日本では武漢からの帰国者が初期の感染者の中心で、2月に入ると1月中旬に武漢から来た人が乗った屋形船を起点として、チェーン式に感染者があぶり出され始めた。
ただ、寧波市のイベントと屋形船の宴会はほぼ同じ時期に開かれているのに、感染が表面化した時期は寧波市の方が2週間ほど早い。日本が新型肺炎を「対岸の火事」と見ていたことの現れだろう。
収束見えてきた浙江省、始まったばかりの日本
杭州市でドライバーの体温を検査するボランティア。厳しい生活制限で浙江省の感染者数は減少に転じている。
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浙江省で1000人以上が新型肺炎に感染しているのは、ジャック・マーに象徴される商人たちの開拓者精神、その結果としての武漢との濃厚な関係、さらにもう1点が指摘されている。
温州商人を代表とする浙江省の商人たちは、普段は外地を飛び回っている分、年に1度の春節は何としても帰省しようと考える傾向が強いという。その強い望郷の念が、ウイルスを浙江省にさらに流入させることにもなったと考えられている。
日本はこの数日で浙江省からの入国を制限し、温州市の危険度を引き上げたが、実は浙江省は患者が1100人以上いるにもかかわらず、死者は1人もいない。また、新規感染者も減少傾向にある。
寧波市で10日から15日の6日間に確認された感染者は4人にとどまった。
温州市は同じ6日間で28人と寧波市より多いが、1日あたりに換算すると5人を割っており、毎日数十人の感染者が出ていた2月初めに比べると落ち着いてきた。
両市とも、市民の生活を厳しく制限したことが奏功した形で、特に温州市は高速道路の料金所を封鎖したほか、生活必需品の買い出しのための外出は、2日に1度、各世帯1人に制限するなど、市民の生活の利便性より感染拡大防止を優先した。
流通が命の商人都市にとって、人や物の流れを止める痛みは甚大だが、新型肺炎を早期収束させこれ以上傷口を広げないために、強硬手段に出たのだろう。
中国に半月遅れで、感染が拡大しつつある日本。湖北省や浙江省からの入国を拒否しても、水際対策では抑えきれないことは明白だ。むしろ、今度は日本が入国を拒否される側になるかもしれない。これまですべてが後手後手に回っているが、挽回の策はあるのだろうか。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。現在、Business Insider Japanなどに寄稿。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。