アクセンチュアのITコンサルタントだった磨家浩之さん(43)。妻の優子さん(44)は、ゴールドマン・サックス証券に勤めていた。
撮影:小島寛明
2019年9月、記録的な暴風となった台風15号は、首都圏にも大きな被害をもたらした。
かつて木材の産地として知られた千葉県東部の山武市では、放置された杉の木が強風で次々と倒れ、今もその傷跡は残ったままだ。
アクセンチュアのITコンサルタントだった磨家浩之さん(43)は10年ほど前から、山武市で農業をしている。磨家さんや近所の人たちの畑も、大きな被害を受けた。
復旧作業に携わる中で、磨家さんが改めて実感したのは、高齢化による地域コミュニティの衰退だ。日常的に杉林の手入れができる世帯はほとんどなく、倒木を片付ける人の確保も難しい。
コミュニティの維持を仕事にできないか。磨家さんは大きな災害をきっかけに、こう考えるようになった。
片付けられず放置される杉林
2019年秋の台風15号の襲撃。磨家さんの住む千葉県内の地域では、あちこちの林で杉の木が倒れたままになっていた=2019年11月11日撮影。
初めて磨家さんを訪ねたのは、台風15号から2カ月が過ぎた2019年11月中旬のことだった。
待ち合わせ場所のJR総武本線の八街駅(千葉県八街市)は、東京駅から特急で1時間ほど。落花生の産地として知られる八街市周辺は、都内で働く人にとっては通勤圏に入る。
磨家さんは、八街駅から車で15分ほど離れた山武市の実門地区で、ニンジンやコメを生産している。
実門地区には40世帯ほどが暮らす。農業に従事している人の多くは、60歳を超えているという。
「高齢者が多くて、杉の木が倒れてきても、なかなか片付けることもできない」
軽トラックのハンドルを握りながら、磨家さんがため息をついた。地域を回ると、あちこちの林で杉の木が倒れたままになっていた。
この地域一帯はかつて、山武杉(さんぶすぎ)の産地だった。千葉県は、幹がまっすぐで太さが均一なブランド材として山武杉をPRしている。山武杉は戦後、品質の高さから高値で取引され、地域の人たちは競うように杉を植えた。
台風で倒れた杉のほとんどが、幹が腐る病気にかかっていた。
外国産の木材の流通が広がり、木材価格が下落。地域の高齢化や病害が拡大したことも重なり、杉林の多くは放置されるようになった。放置され、幹が弱った木がいっせいに倒れたのが、昨秋の台風15号だった。
毎日午前3時までの仕事
幹がまっすぐで太さが均一なブランド材として、千葉県がPRする山武杉だが、台風の襲撃で脆さが浮き彫りになった=2019年11月11日撮影。
磨家さんが山武市に移り住んだのは、およそ10年前のことだ。
大阪大で応用物理学を学んだ磨家さんは、新卒で入社したIT企業で3年余り働き、20代後半でアクセンチュアに転職した。
顧客企業のシステムを構築する仕事はやりがいがあったが、仕事量は苛烈を極めた。
客先の大手企業にチームで常駐し、顧客管理のシステムを導入。新しいシステムの運用を始める時期には、客先の社員たちが出勤する午前9時より前にデスクに待機し、問い合わせに備える。
20代後半でアクセンチュアに転職し、今は農業を営む磨家さん。昼間は畑に出て、夜は地域の様々な会合に顔をだす。
不具合があれば修正し、顧客の求めに応じて何度も変更を重ねていく。毎日、午前3時過ぎまで作業が続いた。
そんな時期に、山武市で農業体験に参加した。妻の優子さん(44)とも、この農業体験で出会った。優子さんは、大手クレジットカード会社を経てゴールドマン・サックス証券に転職。
イタリアの現代アーティストを日本に紹介するため、27歳で自らの会社を起こしていた。
会社を辞めるよう背中を押した妻
一緒に暮らし始めても、磨家さんの仕事ぶりは変わらない。日付が変わった後に帰宅する日々が続いた。
山武市での農業体験に通ううち、磨家さんは次第に、農業で起業することを真剣に考えるようになった。
過酷な仕事にすり減っていく磨家さんを見守っていた優子さんは、会社を辞めるよう繰り返し背中を押した。
磨家さんは4年ほど勤めた会社を辞め、農業を学ぶためにフランスに留学。帰国後の2010年秋、山武市の農家に弟子入りした。
師匠は、農業体験に参加した際にいっしょに飲み明かし、「お前は酒も飲めるし、飯もよく食べる。農業に向いているな」と声をかけてくれた人だ。
東京で会社の経営を続けていた優子さんは、農村での暮らしになかなか踏ん切りがつかなかった。だが2011年3月の東日本大震災後、「千葉での暮らしもいいかもな」と考え、山武市に移り住んだ。
どれだけ働いても給料が出ない
外資系大手のゴールドマン・サックス証券でも働いた優子さん。農家の仕事に加え、最近は近くの動物病院で総務の仕事も。
2012年、磨家さんは70アール(7000平方メートル)の農地を借り、自分の畑を始めた。新たに農業を始めた人には5年間、国から年150万円の給付金が出る。しばらくはこの収入が頼りだった。早朝から畑に出て、出荷の準備、機械の手入れなど夜中まで磨家さんの仕事は尽きない。
女性の負担も重い。家事が終わったら、畑の仕事に加わる。手伝いの人が来ているときは、午前9時50分に自宅に戻ってお茶の準備。昼食の準備と片付けが終わったら、午後からは再び農作業に。5年前には長男も生まれ、育児も加わった。
夫婦で同じ仕事をすると、衝突することも少なくない。優子さんは、近所の女性たちとこんな話をすることもある。
「どれだけ働いても給料は出ない。『農家の奥さん』という職業があればいいのに」
山武市周辺の土壌は、ニンジンの栽培に適している。年に2回種をまくと、1年を通して出荷できる。東京まで車で1時間と、首都圏全域に出荷できるのも強みだ。
磨家さんたちもニンジンを栽培しているが、この8年、黒字になった年は3回ほど。2019年も、台風の被害で収穫が大幅に減った。
それでも優子さんは「明るくなったら起きて、暗くなったら眠る。ここでは、より人間らしくいられる」と話す。
コミュニティをだれが支えるか
磨家さん夫妻は、収穫したニンジンをジュースにして販売している。
台風で大きな被害を被った後は、農作業の合間をぬって、用水路の泥かきや倒木の撤去、共有地の草刈りなどを手伝っている。日当が出る作業もあるが、多くはボランティアだ。
作業を通じて磨家さんは、地域のコミュニティの衰退を強く感じている。
これまで用水路の土手の草刈りなどは、地域の人たちが担ってきた。しかし、農業の担い手たちの高齢化が進み、跡継ぎの確保も極めて難しい。
地域の人たちが支えてきたコミュニティの維持を、行政が公共事業として発注しても、草刈りなどの業務を担う業者は限られる。
磨家さんは最近、コミュニティの維持管理を事業にしようと、知人の起業家らに相談を始めた。
投資家に構想を話したところ、「労働集約的で、大きく育ちそうな事業でもない」と厳しい見方だった。けれど、磨家さんは諦めていない。
「農業以外に手を出すとブレるよって忠告してくれる人もいます。でも、だれかが維持を担わないと、地域の衰退は止められない。そこに市場もある」
(文・写真、小島寛明)