1987年、奈良県生まれ。小学校5年生から3年半、不登校を経験。国立詫間電波高専で人工知能を学んだのち、早稲田大学創造理工学部へ。2011年、分身ロボットOriHime完成。翌年オリィ研究所設立。
撮影:竹井俊晴
家にひきこもった状態から脱した吉藤オリィこと吉藤健太朗(32)は、高校時代に「科学のオリンピック」とも言われる科学研究コンテスト(JSEC)で優勝を果たし、やがて人生をかけるに相応しい研究テーマを見つける。「人類の孤独の解消」のためのコミュニケーション支援だ。
だがすぐに壁にぶつかった。そもそも、人と人とのコミュニケーションの何たるかが分かっていなかったのだ。
2020年1月末、東京・渋谷で開催されたビジネスカンファレンス「BEYOND MILLENNIALS」にゲストスピーカーとして登壇した吉藤は、自身のトレードマークにもなっている「黒い白衣」に収納されている持ち物を次々と披露しはじめた。
「ここ(内ポケットのあるマント)が、なんかもっこりとしていますが、ここにペットボトルが入っています。ほらっ」
2020年1月、いつもの「黒い白衣」姿で、Business Insider Japan主催のBEYOND MILLENNIALS2020に登壇。
撮影:伊藤圭
吉藤はすかさず、お茶のペットボトルをさっと出してみせた。帽子から花をパッと咲かせるマジシャンみたいな軽技に、会場がどっと沸く。その間にも、ペラペラと早口でしゃべりながらあちこちのポケットにさり気なく手を突っ込み、パソコンや傘をすっと取り出す。
ここまで、ものの2分だが、もう完全に観客のハートをつかんでいた。壇上の吉藤が繰り出す上手いプレゼンや弾丸トークに触れると、本当にコミュ障だったのか?と疑うほどだ。
思い出してもらうための「黒い白衣」
講演は弾丸トークで喋り倒す。途中で「ちなみに私、結構早口なんですけれど、大丈夫ですか?」と会場の観客に気を遣う。
撮影:伊藤圭
吉藤はこの「黒い白衣」をもう15年以上、「毎日」身につけている。18歳の時、自らデザインしたのだという。「両親にも止められた」というほど、地元で着て歩くには奇抜な服。警察官に呼び止められた経験も1度や2度ではないという。
なぜ、黒い白衣を着るのか? 2019年末にインタビューした際、吉藤は「自己紹介する名刺がわり」だと話した。
「最初は単純に着たい服がなかったから、ないなら作ろうと。
僕は相手に自分のことを思い出させる労力をかけてしまうことが、申し訳ないと思っている人間だから、ちゃんとしなきゃと思うようになったんです。コミュ障だった僕は、自分から名刺交換しに行くとかは、とてもできない。
それなので、『全力で待ち受けよう』と思って。黒い白衣を考えたり、すごい創作折り紙をパッと作って渡したり、思い出してもらう作戦の一連のルーティンを回すのが、18歳の頃からの僕のスタイルなんです。話しかけてもらえたら、こっちからいろいろ自慢して、『こいつは何か面白そうだぞ』と思わせる」
高齢者の孤独に自らを重ねる
各地で講演して歩く際にも、「OriHime mini」を持ち歩く。分身ロボットを通じて全国の「パイロット」(遠隔でロボットを操作する人)のメンバーがトークに加わる。
撮影:竹井俊晴
吉藤が孤独の解消を目的にロボットづくりをしようと明確に意識したのは、2005年。開発した「電脳車椅子」を引っ提げ、世界最大の科学技術コンテストISEF(国際学生科学技術フェア)に出場し、「Grand Award 3rd」を受賞してからだ。
当時、テレビや新聞の報道を見た高齢者から、吉藤が通う工業高校に、こんな依頼が舞い込んできた。
高校時代に生み出した初期の発明品である「電脳車いす」。ここから研究開発者としての人生が始まった(2004年)。
オリィ研究所提供
「そんなすごい車いすが発明できるなら、つくってほしいものがある」
その高齢者は70代くらいで足腰が弱くなり、家の中で自由に移動できず、50歳を超えた娘が頑張って解除をしているため負担を軽減してあげたい、という話だった。
吉藤は国内外の賞を受賞して、クールで意義深いものを開発しているという自負があった。けれども、この申し出をきっかけにたくさんの高齢者宅へ赴き、インタビューを重ねるうち、多くの人が求めているのが不便さの解消だけにとどまらないことを知った。
「足腰が立たなくて人様に迷惑をかけたくないからと、家に引きこもる。彼らが真に求めていたのは、孤独の解消なのだと知った時、居場所がなく、自分を肯定できずにいた『かつての自分』と重なって見えました」
だからこそ焦りに似た感情を覚えた。自分はカッコよくてクールな車いすをつくっている場合じゃない、と。
「人の孤独を解消することこそが自分が賭けたい本当の目標。残りの人生をすべて使おう」
吉藤は、そう心に決めた。
人工知能研究で感じた違和感
人工知能の研究に没頭していた高専時代(2006年)。
オリィ研究所提供
そこで、国立詫間電波工業高等専門学校(現・香川高専)へ4年次から編入し、「人を癒せるロボット」を研究開発することに決めた。これからは「人工知能ロボット」の時代が来るだろうと先読みし、人工知能開発のための勉強に専念。吉藤曰く、「ちょっと時代が早すぎた」。
高専当時は「迷走時代」だったと述懐する。
地元の奈良を離れ、香川で寮生活をスタートさせた。ターゲットを「これ」と決めたら、ただ一点に向かってまっしぐらになる吉藤だけに、早朝から23時ごろまで研究室にこもった。研究室では誰とも話さず、人工知能に向き合う日々。しまいには、寮の管理人から、「22時の門限までには戻れ」と叱られた。仕方なく、真っ暗な部屋で布団にくるまりながらPCを叩いた。
目標があり、やることがあり、行く場所があるのに、「人の中にいるのに一人ぼっち」という状況がより孤独を深化させ、気力を減退させた。国際的な場も踏み、取り戻した自信もあっという間に砕けた。その意味では、高専時代の吉藤にも危うさはあった。
高専に入って半年経った頃、人工知能の初心者向けの教育を行う先生の発言を聞いて違和感を覚えた。
その先生は「人工知能は人のパートナーとして有望で、人を愛し、人を癒す。そして人は幸せになる」と語っていた。その言葉は、自分が目指していたそのものに違いなかったが、自分の取り組む研究を客観視するきっかけにもなった。
パソコンの画面上で友達をつくる方法を編み出すために、人間の友達を一人もつくらず黙々と開発するのは、方向性が違うんじゃないか。心の内側で、「人を本当に癒せるのは、人だけだ」と確信するようになった。
コミュ障克服修行で10以上のサークルに
撮影:竹井俊晴
人工知能は研究としてはとても面白いけれど、自分の「本当の目標」は、孤独の解消だ。もっと人と人をつなぐ新しい方法を模索したい——。
そう考え始めていた頃に、ソーシャル・デザイナーの渡邉賢一(一般社団法人元気ジャパン代表理事)から電話をもらった。
吉藤が国内の科学技術コンテスト(JSEC)で文部科学大臣賞を受賞した折、渡邉はコンテストのプロデューサーを担当していた。吉藤に目をかけてくれるありがたい存在で、今では「ひと回り年上の友人」にまでなった。吉藤は親しみを込めて「なべけんさん」と呼ぶ。
「JSECの歴代優勝者が早稲田大学に入れるという新しい入試制度ができたんだけど、吉藤くん、その制度の第一号になってみないか?」
調べると、早稲田大学はロボット工学の研究で有名な拠点であり、まさに渡りに船の話だった。「なべけんさん」の導きで吉藤は19歳の誕生日にAO入試を受けた。高専を1年足らずで中退し、東京へ行くことに決めた。
大学に入学してまず始めたのは、人づきあいの研究だ。
そもそも自分は、コミュニケーションの研究をしているのに、リアルな世界で人と雑談すらできない。工業高校の師匠である久保田憲司からは、ことあるごとに「雑談力を身につけろ!」と言われていたことを思い出し、休み時間にクラスメートに話しかける練習から始めた。大学時代の多くの時間を、「コミュ障克服の武者修行」に充てた。
片っ端からサークルにも所属。参加した団体は、映画、演劇、手芸……と、ゆうに10を超えていた。「社交ダンス部」は、チラシに「社交」と書いてあり「社交性を身につけられると勘違いした」。実際は大会に出て踊りのうまさを競い合う、競技ダンスの部活だった。吉藤はそこでも一人浮く存在で、半年続けるのがやっと。
対人関係に苦労しては辞めての繰り返しだった。
やりとりの本質はリアクション
大学入学当初は、自己紹介するだけで冷や汗が出て体調が悪くなったという。
撮影:竹井俊晴
約2年間、人の波間でもがく中で、2つの気づきがあった。
一つは人に興味を持ってもらう糸口づくりの大切さ。
例えば、黒い白衣の胸ポケットに得意の折り紙を忍ばせておき、さっと取り出して即興で作った作品を相手に手渡してみる。冒頭に書いた、人見知りならではの「全力で待ち受ける作戦」だ。「ポケットから折り紙が出てくるの? すごい!」と興味を引けば入り口はOK。ドン引きされたら「そこまでだった」と割り切る。
もう一つは、自分から人にも「すごい!」とリアクションすることの大事さだ。
「大学に入って、人のコミュニケーションとは何かを考えた。僕はその本質はリアクションなんだなと。コミュニケーションは鏡だよと、よく言われるけれど、自分がいい反応をすれば相手からもいい反応が返ってくる。
その逆もまたしかり。雑談の正体はリアクションなんだから、自分の側から相手にちゃんと『すごい!』と言わなきゃなと思いましたね」
それは多くの人にとり、当たり前にできていることかもしれない。それでも、「自分がコミュニケーションにおいて非ネイティブ」だからこその気づきがあると、吉藤は自負している。
「改めて思うのは、人間って、周りのコミュニケーションの影響を受けて育っていくんです。
例えばなべけんさんとか、大人のコミュニティに入ると、コミュ障でオタクな感じで折り紙しか折れないと思っていた自分の特徴が、『すごい!』というリアクションになって返ってくる。そうすると、ものすごい自信になるんですよ。
自分育てという目で見た時に、そういう環境にちゃんと身を置けたことは、大正解だったと思っています」
(敬称略・明日に続く)
(文・古川雅子、写真・竹井俊晴)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。