北京のオフィス街も閑散としている(2月24日)。
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「建国以来最も困難な公衆衛生上の事件。状況は依然厳しく正念場にある」
中国の習近平・国家主席は北京の重要会議(2月23日)で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に強い危機感を表明した。
中国政府は、予算と基本政策を決める全国人民代表大会(全人代)を延期する異例の事態に追い込まれた。2021年に「全面的小康社会」(ややゆとりのある社会)を実現する「中国の夢」にも黄信号が灯る。
定例化以降、初の延期
新型コロナウイルス感染拡大を受けて、全人代も延期に(写真は2019年の全人代)。
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中国で最も深刻な「危機」と言えば、1960年代初めの3年に起きた凶作による飢饉を指す。人民公社化運動の行き過ぎも手伝い、栄養失調や伝染病で約2000万人という信じがたい数の人命が失われた。
今回の感染被害は、2月25日時点で死者が2600人を超えるなど、2003年に猛威を振るった重症急性呼吸器症候群(SARS)の死者数(774人)の3倍を超えた。全人代の延期は3月開催が定期化した1985年以来初めてであり、事態の深刻さを物語る。
SARS克服に貢献した“伝説の医師”鍾南山氏は感染ピークを「2月下旬」と予測したが、習氏は「状況は依然厳しく正念場にある」としており、収束の兆しはまだ見えない。感染拡大に歯止めがかからなければ、4月上旬に予定していた習氏の国賓訪日や、他の重要な政治日程に影響する。
成長率5.6%に下落
中国では多くの企業が操業停止期間の延長を余儀なくされ、経済活動への影響が深刻になりつつある(写真は2月24日、上海)。
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習指導部にとって最重要課題は、もちろん感染拡大の封じ込めだ。
同時に深刻なのが、生産停止による経済落ち込みと、それによってもたらされる賃金の遅配や解雇である。それは社会の不安定化につながり、地方政府に向けられている批判の矛先が、中央政府に向きかねない。
国際通貨基金(IMF)は2月22日、中国の2020年の実質成長率見通しを5.6%と、1月時点から0.4ポイント下方修正した。世界経済全体の成長率も0.1ポイント程度下がると予測する。しかし「1~3月期の経済成長率が5%を切る」と予測する中国の経済専門家もいる。
中国政府のシンクタンク、中国社会科学院の社会学研究所の調査によると、操業停止で持ちこたえられる期間は「1〜2週間が限界」と回答した企業が68%にものぼった。
売上高の激減の一方、当局からは従業員への給与支払いを続けるよう指示され、資金繰りは急速に悪化している。共産党の一党支配が崩壊するわけではないが、習政権は社会不安につながる危険水位の上昇は何としてでも抑え込まねばならない。
「人災」という指摘に防戦必死
新型ウイルス感染拡大をいち早く指摘した李医師。その告発を隠蔽しようとした武漢市への怒りは大きい。
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新型ウイルス発生をいち早く警告した武漢の医師、李文亮氏が2月7日肺炎で死去したのを機に、北京大学の張千帆教授ら識者が「言論の自由の圧殺が招いた『人災』だ」と指弾する公開書簡を発表、SNSでは中央批判する書き込みが拡散した。
習指導部も李医師を「英雄」扱いし、初期対応の過ちを認め、感染源の武漢と湖北省トップを解任、矛先が党中央に向かないよう防戦に必死だ。
感染症という一種の“災害”の処理が、政治問題化し一党支配を揺さぶる。そんな構造は何に起因するのだろう。
所得の分配・格差問題が専門のブランコ・ミラノビッチ・ロンドン大教授は「資本主義の衝突」(「フォーリン・アフェアーズ」2020年1、2月号)で、中国経済システムを、社会主義ではなく「政治的資本主義」というモデルから分析する。
「政治的資本主義」とは、日本が明治以降の近代化や戦後復興期に採用した「国家資本主義」に近い。一方、日米欧の資本主義を、ミラノビッチ氏は「リベラル資本主義」と名付け、「グローバル経済の将来は、資本主義内の二つのモデルの競争によって左右される」とみる。
成長圧力にさらされる統治
急速な経済発展によって中央政府への求心力を保ってきた中国だが、新型コロナウイルスの感染拡大はそれを揺るがしかねない。
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中国型「政治的資本主義」は、統治の正当性を維持するため常に経済成長を実現しなくてはならない。しかし、現実には高成長の維持は困難だ。
ミラノビッチ氏は「新型肺炎」に言及しているわけではない。ただ、緊急性をもつ「一時的問題」に対して、リベラル資本主義は「余裕のある態度で臨める」。これに対し「政治的資本主義」は「不断の警戒」が必要で、民衆に多くを与えねばならない「圧力に常にさらされる」と書く。
習指導部が、その処理をめぐり強いプレッシャーを受けている構造の一端を説明していると思う。
だが「リベラル資本主義」も万能ではない。興味深いのは、ミラノビッチ氏が「固定化された超富裕層の出現と格差の拡大が、長期的存在を揺るがす脅威になる」とし、是正に失敗すれば、「リベラル資本主義」は、中国型「政治資本主義」に近づくとみる点である。
民主制システムへの揺さぶり
4月に予定されている習近平氏の訪日。日中双方が延期を否定しているが…。
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新自由主義経済が世界を覆い、経済格差を拡大させた反動としてナショナリズム、ポピュリズムの台頭を招き、「民主制システム」を揺さぶっている現実は、彼の見立て通りだ。日本の「安倍一強」現象も、そこから説明できるかもしれない。
今回の新型肺炎は、高熱や咳など症状が出ない「無症状感染者」が多い。潜伏期間中に本人も気付かぬうちに感染が拡大し、封じ込めが困難な事情もあった。横浜港に停泊中のクルーズ船から多くの感染者を出し、日本政府のずさんな防疫体制が世界の批判を浴びている。
日本、韓国などアジアだけでなく、イタリア、イランなどにも感染が拡大している。中国の初期対応の誤りに責任を押し付けて済ませている時期はとっくに過ぎた。
岡田充:共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。