撮影 :伊藤圭
働き方改革やリモートワークの浸透に伴い、日本の企業でも急速に存在感を増しているビジネス向けのチャットツール。なかでも、2013年にアメリカで産声を上げた「Slack」は、いまや全世界で1200万人超、日本だけでも毎日100万人以上のアクティブユーザーを誇る。
ツールが変わればコミュニケーションのあり方も変わる。メールとチャットツールでは、コミュニケーションはどう違うのか。非対面コミュニケーションならではの課題をどう乗り越えればよいのか ——。
Business Insider Japanが主催するビジネスカンファレンス「BEYOND MILLENNIALS 2020」において、スラック・テクノロジーズの共同創業者 兼 CTOであるカル・ヘンダーソン氏と、社内が「ひとつのチームになるために」4年前からSlackを導入したというさくらインターネットの田中邦裕社長が、チームを成功に導く「コミュニケーション」のあり方について語り合った(聞き手はBusiness Insider Japan編集部)。
メールを送るほどサイロ化が進む
いまや日本だけでも100万人の日間アクティブユーザーを誇るビジネス向けチャットツール「Slack」。ゲーム開発過程のちょっとしたきっかけが元になって誕生した。
撮影:編集部
カル・ヘンダーソン(以下、ヘンダーソン):スラック・テクノロジーズ(以下、スラック社)は11年前にオンラインゲームの会社としてスタートしました。ゲーム開発の過程で社内向けのチャットツールを開発し、それを使って「次に何をしようか」と話し合っていた時に、このコミュニケーションの仕方を我々が非常に楽しんでいることに気づき、これを事業化したのがSlackです。
当初は少人数のチームで使っていただくことを目的としていましたが、現在では、より大きな組織においてもSlackの利便性を感じていただけるようになりました。現在、全世界で1200万人以上の日間アクティブユーザーがおり、日本でも毎日100万人を超えるユーザーが利用してくださっています。
カル・ヘンダーソン氏は、スラック社のCTO兼共同創業者として、Slackのエンジニアリング部門全体を統括。Yahooに買収されたFlickrでエンジニアリングチームを創設・統括したことでも知られる。現在、スラック社は世界17拠点に従業員数1900人を擁し、日本では東京と大阪に拠点がある。
撮影:伊藤圭
こうしたSlackの成長の背景には、働き方そのものの変化があると考えています。
近年、テクノロジーの進化に伴ってさまざまなものが自動化されるなかで、人間にしかできないことの重要性が増してきていると感じます。具体的には、クリエイティブな仕事、共同作業に関わる仕事です。
組織でコラボレーションを実現するには、コミュニケーションが非常に重要です。今後、最も成長する組織とは、コミュニケーションが柔軟かつスピーディーな「アジャイル型組織」だと考えています。
田中邦裕さん(以下、田中):当社がSlackを導入したのはちょうど4年前なのですが、それに先立つ1年ほど前に、メールを置き換えるプロジェクトがスタートしました。
——メールを止めるということですか?
田中:はい。当時、社内にはメーリングリストが数百個あり、まさにコントロール不能の状態でした。
1996年にさくらインターネットを学生起業した田中邦裕氏。同社は2005年に東証マザーズ上場、2015年に東証一部上場。社員の働き方の多様性を尊重するため、社内でさまざまな取り組みを行っている。
撮影:伊藤圭
メールというのは“情報共有ツール”ではなく、“情報伝達ツール”です。「伝達」と「共有」をコミュニケーションというキーワードでひとくくりにしますが、メールは送れば送るほど、「Aさんは知っているが、Bさんは知らない」という具合に情報が分断します。
その結果、メールを送れば送るほど、サイロ化が進んでしまいます。コラボレーティブなツールという観点では、メールや多くのチャットツールは適していないと直感で判断しました。そこで全社的にSlackを導入しようと提案したのですが、営業や管理系のメンバーに猛反対されまして……。
Slack導入に猛反発
——どうしてですか?
田中:そもそも、改行キーを押すと送信されてしまうUXがダメだと。ところが最近、改行キーを押しても送信されないオプションが付いてしまって、Slackが日本のカルチャーに負けたのではないかと思っているのですが(笑)。
ヘンダーソン:Slackの日本版を出したときに、最も多かった要望が「改行キーを押すと送信される点を改善してほしい」ということでした(笑)。
田中:話を戻しますと、Slackを導入すると、日本的なコミュニケーションスタイルが壊れるおそれがあります。ただ私としては、ひとつのチームになりたかった。1人で仕事できる時代ですが、1人ひとりが仕事をするのではなく、チームで仕事をすればもっと楽しい。そんな当たり前のことを社内で体現するために、Slackを導入したのです。
デジタル化という言葉は、デジタリゼーション、デジタライゼーション、デジタルトランスフォーメーションの3フェーズに分かれます。メールは、デジタリゼーションで単に文書を電子化しただけです。デジタライゼーションは、コミュニケーションのやり方自体が変わってきます。
そういった意味で、社内のメールがSlackに代わると、デジタリゼーションがデジタライゼーションに代わるのと近いものがあるのではないかと思います。
「組織の透明性」がコミュニケーションの肝
組織のコミュニケーションを円滑に回すための鍵を握るのは「風通しの良さ」だ。
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田中:先日、アメリカの会社の組織図を表したツイートがバズりました。例えばFacebookはフラットで、アマゾンはヒエラルキー構造となっていましたが、現在アメリカではどういう組織構造が優勢なのでしょうか。
ヘンダーソン:どれが一番良いということはなくて、働き方や扱っている製品によると思います。そもそも人間同士のコミュニケーションそのものが非常に困難なものなので、その課題をどう乗り越えていくかが重要です。社員が2人だろうと100万人だろうと、コミュニケーションを促すためには組織の「透明性」が必要だと思います。
メールとSlackの違いは、個人の視点からのコミュニケーションなのか、チームの視点からのコミュニケーションなのかという点。使うツールそのものが組織の文化にも影響を与えると感じています。
——ビジネスチャットを利用する企業では今後、デジタル世界において「心理的安全性」をどう確保するかがテーマになると考えています。オンラインコミュニケーションに熟練したお2人は、「ここまではオンラインでやるけれど、ここから先はオフラインでやる」など、どのように使い分けているのでしょうか?
田中:当社ではバリューを3つ決めているのですが、そのうちのひとつが「肯定ファースト」。「Yes, but〜」と、まず肯定から入りましょうというものです。
私は最近まで、(西條剛央氏が代表を務める)エッセンシャル・マネジメント・スクールに通っていたのですが、そのスクールのクレドが「肯定ファースト」なんです。オンラインの会話においては、まず「それいいね!」と肯定してから、「僕はこう思います」と言うのが基本だと学びました。そうしないと、相手は否定されたと捉えてしまいがちだと。
とはいえ、「肯定ファースト」がまだできていない人も少なくありません。Slackでのやりとりを、好き勝手に発言するメーリングリストの延長線上で捉えている人もいて、その人がチャンネルに入ってくると誰も発言しなくなるんです。
Slack上での心理的安全性が崩壊していくプロセスを見て改善の必要性を感じ、2019年からは社員の評価基準にも「肯定ファースト」のバリューを加えることにしました。
——カルさんは誰よりも早くSlackを使っていたわけですが、企業がより良い方向に向かうためにどうやって使用マナーを浸透させていったのでしょうか。
ヘンダーソン:はい、間違いなく我々が世界で初めてSlackを使い始めた会社です(笑)。会社で同僚と仕事をする際や、プロダクトを作るうえでも大切だと思っているコアバリューのひとつが「エンパシー(共感)」です。
エンパシーとは、相手側がどう感じているかをくみ取る能力。それによって、同僚の仕事を理解したり、顧客が何を求めているかを学ぶことができるわけです。チームで共同作業をする際には間違いなく、相手の気持ちを理解し、共感することが何より大切だと思います。
人間関係は対面でしか築けない
テクノロジーの恩恵を活かせば、いまや業務はどこでもできる。それでもあえて「対面」で話すことの意味とは?
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——ところで、スラック社にはどの国の支社にも固定席があると伺いました。フリーアドレスの職場が増えるなかでなぜスラック社が固定席を、と驚いたのですが、これは本当ですか?
ヘンダーソン:はい、当社の各国オフィスには社員の固定席があります。一方で、どこに座っても仕事ができる環境も用意しています。Slack上でのコミュニケーションでほとんどの仕事は進められますが、人間関係は「対面」でしか築けないと実感しています。そこで、社員同士がチームごとに着席し、対面で接することができる環境づくりに取り組んでいるところです。
——すべてをデジタル空間で完結させるのではなく、対面でのコミュニケーションとの使い分けが大切ということですね。
ヘンダーソン:いつの日か映画の世界のように、直接人に会わなくても思いが伝わる日が来るかもしれませんが(笑)、現状は対面でのコミュニケーションも必要だと感じています。
田中:私も同感です。先日、当社の幹部と「なぜオフィスが必要なのか」という話をしました。混雑する電車に乗っていると「なぜそこまでして出社しなければならないのか」と思うものですが、会社に行くと、社員同士の会話が自然と始まります。
会社という場ではそういった、業務ではない部分を行うべきですよね。業務はどこでもできますが、人とのつながりを含めた「仕事」という観点では、オフィスの重要性は相対的に高まっていると思います。
ヘンダーソン:そのご意見には大いに賛成です。デジタル世界に慣れているミレニアル世代が働き手の主力になっていくにつれて、会社に対する気持ちの持ち方に大きく影響してくると思います。
社員たちは、自分の働きが会社にどう貢献し、社会にどんな好影響を及ぼすかを以前にも増して意識するようになってきています。お金を稼ぐためだけでなく、自己実現のために仕事をする人もいますから、そういう人たちのコミュニケーションの場としてもオフィスの重要性を感じています。
「伝える」のではなく「伝わるまで話そう」
かつて債務超過に陥った時の教訓から、さくらインターネットではコミュニケーションに関して大切にしているバリューがあるという。
撮影:伊藤圭
——コミュニケーションを加速させて事業を拡大させる過程では、壁に突き当たった時もあったと思います。お2人はそれをどう乗り越えてきたのでしょうか?
田中:創業から24年間、さまざまな紆余曲折がありました。2002年にネットバブルが崩壊し、お客様が一気にいなくなったこともあります。
私は2005年、27歳の時に上場し、今でも東証に上場した4番目に若い起業家です。これだけでは単なる自慢話ですが、実はその2年1カ月後の2007年に、史上4番目のスピードで債務超過になり上場廃止になりかけました。
結果論ではありますが、私は「諦めなければ何とかなる」と思っています。上場に3回トライして失敗し、4回目のトライで上場することができました。普通なら2、3回で諦めるところですが、私は成功するまで諦めなかったというだけ。結果的に成功すれば、「途中の失敗は上書きできる」というのが私の信条です。
——Slackはもともと、当時手掛けていたゲームビジネスの開発過程で生まれたサービスですが、カルさんは失敗から学んだことはありますか?
ヘンダーソン:Slackより以前、実は別のゲームを作ろうとしていた過程で生まれたのがFlickr(フリッカー)です。つまり我々は、ゲーム開発に関してはものすごく下手だったということですね。
写真共有のためのコミュニティサイト「Flickr」もまた、ゲーム開発のプロセスで生まれた副産物だ。
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ここで学ぶべきことは、再挑戦をするうえで過去の失敗から学ぶことの大切さです。振り返りをする時に、「何を失敗してしまったのか」ではなく、「何を学ぶことができたのか」という姿勢で取り組むことが大切です。ですから場合によっては、「そこそこ成功している」状況を維持するよりも、「早く失敗して、早く学ぶ」ことの方を優先すべき時もあるでしょう。
他社の成功体験を聞いて、その会社がすべて正しいことをして成功したように思うかもしれません。しかしどのような組織であっても、成功の裏には数々の失敗からの学びの蓄積があるものです。失敗は終わりではなく、そこからが始まりなのです。私はこれからも、たくさんの失敗をしていきたいと思っています。
田中:失敗には再現性があるけれど、成功には再現性がない。失敗から学ぶことはできても、他社の成功体験から学ぶことはできないと痛感しています。
当社が債務超過になった一番の原因は、一言でいうとコミュニケーション不足です。本心では「ビジネスがうまくいかない」と思いながらも、巻き込まれて仕方なく動いていた。
先ほど「肯定ファースト」の話をしましたが、もうひとつのバリューは「『伝える』のではなく、『伝わるまで話そう』」というものです。コミュニケーションがうまくいかないと会社は失敗する、というのがその時の学びでした。
ヘンダーソン:失敗すると孤独に感じてしまいがちですが、失敗経験を共有したり、みんなで受け止めたりする文化があると、次の挑戦につながるのではないでしょうか。
——コミュニケーションは、失敗も起こすし、成功を導くものでもある。コミュニケーションの“魔法”をどう使うかはあなた次第、ということですね。興味深いお話をありがとうございました。
(聞き手・伊藤有、構成・松元順子、撮影・伊藤圭、編集・常盤亜由子)