35歳デビューの日本人デザイナー、米人気リアリティーショーから世界で戦うまで

kentaroさん

1978年岐阜県生まれ。幼少期はピアノのレッスンに明け暮れる日々だった。

撮影:竹井 俊晴

アメリカで人気のリアリティ・ショー「プロジェクト・ランウェイ」。才能あふれるファッションデザイナーを発掘する人気プロジェクトで日本人初の優勝を遂げ、ロサンゼルスを拠点に活躍するファッションデザイナーがいる。

20年前に単身渡米したきっかけは音楽留学。名門大を卒業し、ピアニストを目指すも挫折し、35歳でファッションの世界へと転向した。現地の専門学校で講師を務めながら自身のブランドを展開するkentaroさん(40)に、「世界を舞台にチャレンジする心得」を聞いた。

kentaroさん、話し姿

インタビューは、一時帰国中の東京で。「人生は一度きり。好きな道をチョイスしたほうがいい」。

撮影:竹井 俊晴

「夢のハードルを自分自身で上げないこと。たとえ未経験だったとしても、一歩踏み出してみれば開かれる道があるはず。“勇気”というほどの強い決意がなくたっていい。勢いでもいいから、とにかく飛び込んでみようよと、若い人たちには伝えたいですね」

一時帰国中だった1月、インタビューに応じたkentaroさん(40)の口調は終始、軽やかだった。

全米で毎年放映されるケーブルテレビ局制作の「プロジェクト・ランウェイ」は、数千人の応募者の中から才能あるファッションデザイナーを発掘し、公開選考するリアリティ・ショー。2017年秋に開催されたシーズン16で日本人初の優勝者となり、10万ドルの賞金を獲得した。以後、街を歩けば声をかけられる人気者に。自身のブランドを立ち上げ、ニューヨークやロサンゼルスのファッション・ウィークに作品を発表する常連となった。

モノトーンを基調とした洗練されたデザインに評価が集まるkentaroさんだが、実はファッションの世界に足を踏み入れたのは5年前。渡米したのはさらに15年遡って20歳の時だったが、当初の動機は「ピアニストを目指して」だった。

熾烈な競争に消耗、そろそろ日本に帰ろうか

kentaroさん、立ち姿

ピアニスト時代は熾烈な競争の世界で消耗。30歳を迎える頃には『そろそろ日本に帰ろうかな』という気持ちが強くなっていた。

撮影:竹井 俊晴

「芸術を愛し、ピアノ教師をしていた母の影響で、物心ついた時からピアノの前に座っていました。賞状をたくさんいただくうちに、『自分にはこれしかないのかな』と思うように。あまり深く考えず、音楽の道に進んでいたんです」

高校までは岐阜県で育ち、東邦音楽大学へ進学。首席で卒業した。提携校だったアメリカ・オクラホマの音楽大学に留学した後は、英語に苦労しながらもわずか2年で全単位を取得。サウスキャロライナ大学からスカウトを受け、大学院へ進んだ。

「ベートーヴェンのシンフォニー7番について50枚の論文を課せられたり、とにかく厳しかった。一人暮らしの部屋の中で、深夜に泣きながらカップラーメンをすすって課題に格闘したこともあった」

アーティスト・ディプロマを修了した後、さらに南カリフォルニア大学の大学院へ。ジュリアード音楽院出身者らが凌ぎを削る名門だ。

アメリカで受けた音楽教育のすべてに関して、kentaroさんは奨学金を受けたというから、いかに成績優秀者として認められていたかが分かる。卒業後は、ピアニストとしての道が開けているはずだった。しかし、現実は厳しかった。

「熾烈な競争で消耗しながら、ピアニストとして食べていくことの難しさを感じました。2年経ち、3年経ち、30歳を迎える頃には『そろそろ日本に帰ろうかな』という気持ちが強くなっていました」

長年酷使した手指の腱鞘炎にも悩まされていた。しかし、この手指がピアノ以外のものを触りたがっていることにkentaroさんは気づいていた。

「実は幼い頃からずっと、ファッションデザイナーに憧れていたんです。図書館でファッションの本を見つけて、母の目を盗んで読んでいました」

初日の出に見たピンクのハチドリ

kotaro

メキシコ、トルコ、日本、中国、フィンランドなど、世界各地から集まる生徒を指導する。

提供:kentaroさん

いつか自分で服をつくってみたい——。そんな夢を温めながら、さらに何年かが過ぎた。35歳になる年の元旦、ハリウッドの展望台で眺めた初日の出を拝んだその瞬間、kentaroさんの鼻先をスーッと、色鮮やかな小鳥が横切った。

「きれいなショッキングピンクのハチドリでした。その瞬間、 “いける”という気持ちになれたんです 」

何かに背中を押してほしかっただけなのかもしれない。そこからは何も迷わなかった。ネットで探したファッション専門学校・FCIに入学し、服作りを基礎から学んだ。30代半ばで未経験の分野へ飛び込むことに尻込みはしなかったのだろうか。

「好きなことだから積極的になれたのだと思います。それに、精密機械に比べたら、服は複雑な構造ではないでしょう? 真面目に勉強すれば必ず習得できるはずだと、ただ目の前のことに没頭していました」

いわく、“ハードルのイメージを下げること”がコツだという。

人として信頼を得ることがチャンスに

shot

NY、LAのほか全米各地のショーに参加。2019年はパリにも招待された。

出典:kentaroさんのインスタグラム。

通学期間中の生活費はアルバイトで稼いだ。寿司店や生花店の販売、美容院のシャンプーボーイやベビーシッターなど、生活に困らないくらいの仕事は、知人友人をつてに途切れなかった。

「時間を守る、物を盗まない、挨拶をする。日本人からすると当たり前の行動が、海外では評価される。人として信頼を得ることがチャンスにも結びつくのだと、今になって気づきます」

学校では雑用を進んで引き受け、誰に言われるでもなく、放課後の掃除を一人でやっていた。「kentaroがいる日は教室がきれいになる」と気づいた講師からアシスタントを頼まれ、次の学期から講師を務めることに。そしてその年、「プロジェクト・ランウェイ優勝」という快挙を遂げ、一躍有名人になる。現在は、週3コマ、年間50人ほどの生徒を受け持つ。

音楽が育んだ今、夢はグラミー賞

kentaroさん、キメカット

音楽の道からファッションの道へ。表現方法は違っても、“美しいものを生み出し、伝える”というプロセスは同じ。

撮影:竹井 俊晴

当然ながら、“誠実さ”だけで活躍できるはずもない。一朝一夕には身に付かないセンスには、「音楽に打ち込んだ経験も生きている」と語る。ピアノの鍵盤で磨いた曲の構成力が、そのままファッションショーの構成に生かされることもあるという。

「表現方法は違っても、“美しいものを生み出し、伝える”というプロセスは同じ。境界を超えることそのものを楽しむ心。それが異文化をリスペクトする姿勢にもつながり、やがて世界平和にも発展すると信じています」

音楽とファッションの融合。まさにそれが可能になるキャリアとして、これから踏み出そうとしているのがミュージカルの分野だ。2019年には、LAの観光名所、ゲッティ・センターで公演された演目で、衣装と音楽の両方を担当した。

「夢はグラミー賞!」と、まるで今日アメリカに渡ったばかりの若者のような表情を見せる。貪欲に、軽やかに、夢を追いかけたkentaroさんならではの“二刀流”の挑戦はすでに始まっている。

(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)


宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。

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