撮影:李華傑
「無印良品」の商標を巡る中国での訴訟で、“本家”の良品計画が、“パクリ”店舗を展開する中国企業に敗訴したニュースが大きな波紋を呼んだ。
良品計画は今後「無印良品」を中国で使えないのか、どうして負けたのか、今後どうするのか……。
良品計画に取材したところ、同社と中国企業は20年近くにわたって係争を続け、他にも複数の訴訟が継続中であることが明らかになった。
【外観】左が良品計画の無印良品店舗。右が北京無印の店舗。
良品計画提供
2019年11月、中国で「無印良品」の商標権を保有する「北京棉田紡績品有限公司」(以下、棉田)が良品計画を訴えていた訴訟で、二審は棉田の主張を認め、良品計画に賠償金など約1000万円の支払いを命じた。
良品計画法務・知財部長で弁護士の一色由香氏は、賠償金を支払ったことを認めた上で、「争点となっているのは枕カバーなどファブリック類に該当する『24類』の商標であり、それ以外の商品は、良品計画が商標を登録しています」と説明した。また、この訴訟以外にも、棉田との間に多岐にわたる係争を抱えており、良品計画が勝訴したものもあるという。
2000年、中国企業が24類での商標申請したことで始まった係争は、以下のような流れをたどりながら、現在に至っている。
【無印良品誕生】ノーブランドがコンセプト、ブランド化への抵抗感
無印良品は1980年、スーパー西友のプライベートブランドとして生まれた。
当時は商品が「品質がよくて高い」か「品質が悪くて安い」に二分され、空白だった「品質がそれなりによくて、価格も手ごろ」というゾーンを狙ったという。
当初、食品などから展開を始めた無印良品は、徐々に商品カテゴリーを増やし、1990年代には中国での生産も始めた。
商標登録を始めたのは1982年ごろだ。商標登録が数年遅れたのは、無印が消費主義へのアンチテーゼな考え方から生まれたため、無印良品のブランド化につながる施策への抵抗感があったからだという。それでも西友社内で、知財対応はきちんとすべきだとの声が徐々に上がり、商標登録を進めることになった。
無印良品の人気が高まるにつれて独立店舗も出店し、1989年には無印良品を運営する「良品計画」が設立された。
また、1991年のイギリス進出を皮切りに、海外出店も加速していった。
【係争の始まり】抜け落ちた「24類」、中国企業が出願
【店頭】左が良品計画の無印良品店舗のロゴ。右が北京無印の店舗のロゴ。
良品計画提供
良品計画は1999年、中国で「MUJI」「無印良品MUJI」の商標をいくつかの区分で出願した。この時「24類」の商標出願は漏れていた。理由については不明だという。
翌2000年4月、中国・海南省にある「海南南華実業貿易公司」(以下、海南社)が24類で「無印良品」の商標を出願した。
良品計画は中国企業の出願に気付き、2001年4月に中国の商標局に異議を申し立てるとともに、2002年4月、24類で「無印良品MUJI」を出願した。
だが、商標局は海南社による出願を引用し、良品計画の出願を拒絶した。この件については現在も異議覆審手続きが係属中だという。
良品計画は2003年4月、中国企業が出願していなかった「MUJI」で24類の商標を出願し、こちらは2005年5月に登録された。また、2007年11月には、24類で「無印良品」を出願。商標局は、海南社が先に商標を登録しているとして、カーテンなど一部の商品 を除いて良品計画の出願を拒絶した。
【係争その1】中国企業が商標登録、良品計画は異議申立て
2004年1月、商標局が海南社の「無印良品」の商標登録を許可したため、良品計画は異議覆審を申し立てた。
一色部長によると、 良品計画は「海南社が商標を出願する2000年以前から、良品計画は日本で『無印良品』事業を展開し、高い知名度を有していた。さらに中国では商品を販売していなかったが、1990年代に生産ラインや物流体制を築いており、一定の影響力を持っていた。海南社の商標出願は拒絶されるべき」と主張した。
だが、北京市第一中級人民法院、北京市高級人民法院、最高人民法院まで争った結果、無印良品の店が当時中国になかったことや、中国国内で生産・輸出していたというだけでは一定の影響力があったとは認められないことを理由に、中国企業が先に出願していたことが重視され、2012年に良品計画の敗訴が確定した。
海南社は2004年に商標を棉田に譲渡したため、以降、係争の相手も棉田に移った。
【係争その2】「3年不使用」を根拠に商標取消請求
北京無印が北京で展開している店舗。内装も本家・無印を意識していることは明白だ。
撮影:浦上早苗
良品計画は「海南(棉田)の商標登録への異議申立て」で敗れた。だが、3年間使用されない商標については、取り消しを求めることができるため、良品計画は2011年2月から2014年2月にかけて棉田が商標を使用していないことを確認し、2014年2月、商標局に棉田の商標について「3年不使用取消請求」を申し立てた。
商標局が取り消しを認めなかったため、良品計画は商標評審委員会に再審査を請求。双方が証拠を提出し争った結果、良品計画の訴えが一部認められた。だが、良品計画、棉田ともに、商標評審委員会の判断を不服とし、行政訴訟を提起した。
一審判決は、棉田が商標を使用していたかどうかについては判断せず、3年不使用取消請求提起の時期などを理由に、商標評審委員会の判断を覆し、全体について取り消しを認めない判断を下した。良品計画は一審判決を不服とし、現在控訴審で係争中だ。
【係争その3】中国企業が無印そっくり店舗を展開
良品計画は2014年6月ごろ、棉田の子会社「北京無印良品」がアリババのECサイト「Tmall」(天猫)に旗艦店を開設しているのを確認。2014年10月には、北京郊外で店舗を開設したことも把握した。棉田は言明していないものの、商標の取消請求に対抗する措置と推定される。
この行為に対して良品計画は2014年11月、商標権侵害と、不正競争行為を理由に北京無印を提訴した。
「北京無印は24類しか権利を保有していないにもかかわらず、枕や衣類など他の商品でもロゴを使用している点が商標権侵害に当たり、無印良品を含む社名を用いていることが不正競争行為に当たると主張しました」(一色部長)
この訴えについては2017年12月、二審で良品計画の勝訴が確定し、棉田が良品計画に約200万元を支払った。
【係争その4】棉田が24類の商標権侵害で良品計画を提訴
それまでは良品計画が異議申立てや訴訟を起こしてきたが、棉田と北京無印は2015年4月、「24類で商標権を侵害された」として良品計画とMUJI上海を提訴した。これが日本でも2019年末に報道された訴訟だ。
良品計画は24類の商標に関して中国で「MUJI」のみ使用できた。当時、商品タグには「無印良品」のワードがあったため、良品計画は中国流通分の商品だけ「MUJI」のシールを上から貼って販売していた(2015年以降、中国向けタグが完成し、中国に出荷する商品は中国専用タグを利用するようになった)。
だが、何らかの理由で、元のタグがシールで隠されていない商品が中国の店頭に並び、棉田が訴えを起こしたという。
この訴訟は良品計画が2017年12月に一審で、2019年11月に二審で敗訴。良品計画が約100万元の賠償金を支払った。
【係争その5】中国企業が無印そっくり店をフランチャイズ展開
【店内】左が良品計画の無印良品店舗。右が北京無印の店舗。
良品計画提供
良品計画は2017年、棉田がフランチャイズを募集しているのを把握したのに続き、約30軒の店舗展開を確認した。
一色部長は「進出していないはずの地域で、顧客から問い合わせや、返品・交換の依頼があり、調べた結果、北京無印の店舗だったケースなどがあります」と話す。
「棉田の店舗が消費者の誤認を引き起こす」と危惧した良品計画は2017年、商標評審委員会に対し、棉田の24類商標「無印良品」の無効宣告を申請した。
一色部長は、「繰り返しになりますが、主張の中心は棉田(海南社)の商標出願時、すでに当社の『無印良品』が中国大陸内でも高い知名度を有しており、棉田(海南社)は、弊社の『無印良品』を知ったうえで、不正に冒認出願(出願する権利のない者が出願し、権利を取得してしまうこと)を行ったという点です」と強調した。
この係争は現在も続いている。
中国の変化に期待し法的解決目指す
無印良品ブランドは、中国でも大人気だ。深センではMUJIブランドのホテルも開業した。
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良品計画と中国企業の商標訴訟は、本を正せば中国での「24類」の商標出願漏れが起点になっている。大栗麻理子広報部長は、「20年以上前の話なので、正確な経緯は把握できていない」と前置きした上で、「無印はノーブランドという思いが強かったことも関わっていると推察しています。現在も、ブランドを守るというより、消費者に不利益を与えないという視点で訴訟を続けています」と話した。
相手企業に金銭を支払い、商標権の譲渡を受ける方法もあるが、良品計画は、時間や労力がかかっても法的手段での解決を目指していくという。
一色部長は、「中国も冒認出願に関し真の発明者を救済する流れにはなっており、そこに期待しつつ、妥協せず法的手段での解決を目指していく」と話した。
(文・浦上早苗)