1976年生まれ。慶應義塾大学SFC卒業後、リクルート入社。「雪マジ!19」キャンペーンなどで頭角を現す。2016年にWAmazingを起業。
撮影:伊藤圭
新橋駅から徒歩10分、ビルのワンフロアがWAmazingの本社だ。アルバイトと正社員50人を合わせて120人のスタッフは、世界の8地域から集まっている。上海にも現地法人をつくった。
この日、加藤史子(44)は朝から採用の最終面接を行っていた。CEOの加藤が候補者と面談するのは、部門責任者や役員が面接を行い、「この人にはうちに来てほしい」と決めたときに限られている。
「私、どの人も、いいなあと思ってしまうんですよ」
加藤が先生に叱られた子どものような顔をした。
どの候補者にも可能性を感じてしまう加藤は、1人に絞るのが苦手。だが、複数の社で内定を取り、行き先を迷っているような人材を「ぜひうちに」と口説き落とすとき、加藤は誰よりも力を発揮する。
不確実な未来を信じられるか
2019年12月、台北でのメディアギャザリングで。左はWAmazingと連携する台湾の旅行スタートアップのCEO。
加藤史子さん提供
性善説はベンチャーの経営者には多い傾向らしい。
「新しく事業を立ち上げるときって、成功するかどうかなんてわからないわけですが、あらゆることに可能性を感じて、不確かでも希望を持ってアタックするのが新規事業の開発者であり、スタートアップの経営者なんです」
合コンに例えれば、と加藤は続けた。
「女の子たちに向かっては『すっごいイケメンくるから』と言ってかわいい子たちを集めてもらって、男の子たちには『かわいい子たち、連れてくるから』と宣言してイケメンを集めてもらう。これって、どちらに対しても本当はまだ確実じゃないことを、さも確実であるかのように言うので、ホラを吹いていると言えばそうです。
スタートアップもそれに近くて、創業時点では語るものは、実現できるかどうか不確かな『夢』でしかありません。でも、それが叶うと信じて本気でホラを吹き続け、仲間を巻き込み、投資を集め、ホラを形にするために後戻りのできない匍匐前進をやり続けるんです」
不確実な未来を信じられるか。これはスタートアップ経営者に欠かせない適性なのだと加藤は言う。
スタートアップの寿命は長くて1年半
オフィス内はフリーアドレス。平均年齢は29歳。
撮影:伊藤圭
加藤が船出をした2016年7月、加藤とともにリクルートで事業開発に携わっていた仲間が4人、合流した。
中長期のビジョンは、外国人に向けた日本のファンづくり。短期の構想はインバウンド観光客が「日本を楽しみ尽くす」ための旅行総合プラットフォームの実現だ。
宿泊、買い物、交通、アクティビティ、食事の5つを1つのプラットフォームにまとめあげて、外国人個人旅行者がスマホでアプリを開けば、ワンストップで予約、購入することができるサービスをつくろうとしている。ユーザーメリットを考えれば、5つの柱はそれぞれに質、量とも一定以上が求められる。
参加する企業は、このサービスを通してインバウンド旅行客のマーケティングが可能になる。
どれだけ順調に資金調達ができたとしても、長くて1年半、短いと半年先までしか持たない。
これはWAmazingに限ったことではない。起業後しばらくは売り上げが大きく伸びないため、銀行口座に残った額を月々の赤字額で割れば「余命」が算出できてしまう。そして一度に調達できる資金は短い期間の分しか設定されないのがスタートアップ企業の常だ。
投資家から段階を追って資金を調達しながら事業を開発していかなくてはならない。他人を説得するのに最も有効な「実績」は、資金調達と同時並行でつくらなくてはならない。
国際空港にSIMカードを受け取れる端末機
SIMカードを受け取る端末機。
撮影:伊藤圭
WAmazingがとったのは2つの戦術だ。
プラットフォームを搭載したアプリを開発し、出国前にアプリをダウンロードしたユーザーには日本の空港で一定容量の備わったSIMカードを無料で渡す。2年近くかけて、北は北海道・千歳空港から南は沖縄・下地島空港まで、全国22の空港にSIMカードを受け取ることのできる端末機を設置した。
海外からの個人旅行客にとって、スマホでインターネットにつながることのできる環境は旅の自由度を左右する。
2016年当時、訪日観光客の4分の1を台湾、香港が占めていた。この2地域を重点的に市場開発し、現在、台湾、香港からの訪日客を中心にアプリのダウンロード数は30万を超えた。ここを入り口にサービスの認知を高めることを狙っている。
最初は5つの事業のうち、アクティビティ、なかでもスキー場と連携してリフト券の予約購入システムを充実させる策に特化して展開した。個人旅行者のスノースポーツへの人気の高まりを捉えたものだ。
同時並行して、じゃらんnetのAPI連携により全国1万軒の宿泊施設の予約が可能になった。交通ではJR東日本、JR西日本との協業により、フリーパスチケットをWAmazingで予約購入し、専用端末で受け取ることのできるサービスが2019年12月に始まった。
2017年9月、シリーズAで総額約10億円の資金調達に成功した。続いて2019年のシリーズBでは東急をリード投資家に9.3億円の資金調達を完了した。
2020年にはシリーズBダッシュを予定している。SNSや提携企業とのネットワーク効果が利用者増に結びつくまでに、あと一山越えなくてはならないと加藤は考えている。
楽天家とリアリストを行き来する
2019年1月、トーマツベンチャーサポートの「Morning Pitch Special Edition 2019」でプレゼンテーション最優秀賞に。
加藤史子さん提供
スタートアップのピッチコンテストでは連戦連勝の加藤だが、ストーリー構成やパワポの練り上げはもちろん、発声練習や何回ものリハーサルなど人知れず地味な努力を積んでいる。
外に向かって見せる自分と素顔が最も乖離しやすいのが起業家だという。
「WeWorkのこと、他人事とは思えなくて」
起業家の胆力について質問すると、ぽろりと本音がこぼれた。
曰く、不動産のサブリース事業にすぎないビジネスモデルをあれほど持ち上げたのはマスコミをはじめとする世間なのに、一旦経営のほころびが見えると容赦なく叩き、すべてが逆回転し始める。いつ、自分が逆転の渦に呑まれるかもしれないと想像すると、恐怖を覚える——。
「目指す世界をつくるには、その世界がさも実現可能なように言うしかないし、その夢を信じてもらって資金を調達して、人を採用し、この会社に入ってもらう。
でも、目指す世界は今目の前にはないもの。これからつくるものなんです。それを『できてないじゃん』って言われたらそう。そのギャップに踏み堪えられないといけない。だから、あまり悲観的になりすぎたら眠れなくなる世界ですよ」
起業家仲間との会食を途中で立って夜更けに会社に戻り、社員の不満を聞く夜もある。キラキラと目を輝かせて投資家や社員に向かって「夢」を語り、一方で、資金調達や事業展開の現実を堅く読み策を練る。
スタートアップの経営者は2つの人格の間を行き来しながら、孤独に耐えられなくてはならない。
「楽観主義でなくちゃやっていけません。でも、楽観主義になりすぎて失敗している人もたくさんいます。リアリストな面も必要なんです」
撮影:伊藤圭
だが、忘れっぽさや楽天家でいられる強さは加藤が生まれ持ったものではない。むしろ、後天的に身につけたものだという。
きっかけはリクルート時代の出来事に遡る。
(敬称略・明日に続く)
(文・三宅玲子、写真・伊藤圭)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ『BillionBeats』運営。近著『真夜中の陽だまり——ルポ・夜間保育園』で社会に求められる「子育ての防波堤」を取材。