1976年生まれ。慶應義塾大学SFC卒業後、リクルート入社。「雪マジ!19」キャンペーンなどで頭角を現す。2016年にWAmazingを起業。
撮影:伊藤圭
起業から3年半の間には、加藤史子(44)にとって見込み通りだったことと、予想外のことがあった。
見込んだ通りだったのは、資金調達とチーム構築だ。リクルート内での起業を選んでいたら、短い期間に19億円の資金と120人のチームをつくることはできなかった。
しかし、事業の成長スピードに関しては予想外だった。
WAmazingのサービス開始初日の予約件数は、2000年に関わったじゃらんnetの初日に入った予約件数92件にはるか及ばなかった。
幸せな社会をつくるために、観光は日本という地域にとって大義ある産業と考えている。
撮影:伊藤圭
WAmazingとじゃらんnetでは、始まった時代背景も対象も異なるが、当時リクルートは創業40年。その間に張り巡らされた人脈、ブランド、認知、期待感など無形資産が非常に大きかったのだと痛感した。
WAmazingはじゃらんnetと同じくらいのコストをかけてスタートしたが、事業がスケールしていくスピードは遅かった。2016年時点はサービス利用者目標数を2020年時点で500万人としていたが、到達にはまだ時間がかかる。
同様の事業を始めるにしても、土台があるところでやっている大企業とスタートアップでは比べるべくもない。その認識が甘かったと、加藤は振り返った。
もうひとつ予想していなかった出来事が家庭に起きた。
影響受け、起業の背中も押してくれた
踏み込んだ問いにも、加藤は無防備なくらい、直球で応じようとした。
撮影:伊藤圭
同じ大学の出身で同じリクルートに就職した1歳年上の夫と加藤は、スタートアップ業界のオシドリ夫婦として知られていた。
夫はリクルートを3年足らずで退社すると、モバイルコンテンツ業界でエバンジェリストとして存在感を高め、ゲームコンテンツ会社の副社長として経営に携わった。
現在はスタートアップ業界に強い影響力を持つ、日本を代表する個人投資家のひとりだ。主宰する起業家コミュニティは、起業家同士が切磋琢磨しながら成長する場として知られる。ドローンに特化したベンチャーキャピタルの経営者でもある。
加藤にとって18歳で出会い、25歳で結婚した彼の存在の大きさは測り知れない。受けた人格的な影響は両親と同等、もしかしたらそれ以上に大きいかもしれないという。
夫にとっても、若くしてスタートアップ企業の経営に参画し、さまざまな重圧に向かっていくときに、加藤との場所は安全な基地だっただろう。
何も持たなかった頃から、2人で子育てをし、それぞれに仕事に燃え、互いをいたわり大切にする2人だった。
子育てに関しては加藤の方が物理的に時間を割いてきたが、そこに不満はなかったという。何より、夫は家族に一番のプライオリティを置く家庭人で、その部分に加藤は安らいでいた。
起業の背中を押したのは夫だったし、実際、夫はWAmazingの立ち上げ時に出資もしている。加藤もまた、スタートアップ企業経営者として、夫が運営する起業家コミュニティに参加していた。
ところが、加藤がWAmazingに全体重をかけていくのと反比例するように、夫婦は行き違っていく。
私たちは今「生きている」のだから
取材の間には何回か沈黙もあった。整理のつかない思いと痛みがにじむようだった。
撮影:伊藤圭
WAmazingにとっての2回目の大型資金調達、シリーズB進行のただなか、2018年12月、夫婦関係は解消となった。
この月末、毎月寄稿している日経産業新聞のコラムで、加藤はSF作家、星新一の『処刑』というショートショートを取り上げた。
地球で罪人とされた主人公が、流刑星で生きていくにあたり、気温が高く乾燥して雨の降らないその星で、必要な水を得るために「銀の玉」を渡される。銀の玉のボタンを押すと、周囲の空気を急激に圧縮させ水を作り出す。
しかし、一定の回数を超えると持ち主を巻き込み爆発してしまう。爆発がいつ起こるかはわからない。生きるために水を得る行為が生死の選択という恐怖に怯えた主人公が、人生でもいつか死ぬのは同じなのだと気づいたとき、恐怖がなくなったという話だ。
そのストーリーとスタートアップ企業を経営する立場を重ねて考察した加藤の締めくくりには、こうある。
〈スタートアップだろうと、大企業だろうと、人生だろうと本質は変わらない。私たちは毎日、銀の玉のボタンを押している。だとしたら恐怖に支配されるのではなく、来年も自分の意思で歌いながらリズムをつけてボタンを押そう。私たちは今「生きている」のだから。〉
コラムを書いた12月、離婚と新生活のストレスから加藤は不眠が続いていた。心療内科で処方された強力な睡眠薬で眠ることで1日1日をしのいでいた時期に記した「今、生きている」は、加藤の心からの言葉だ。
撮影:伊藤圭
精神的に振り切れるほど苦しかった時期を生き延びた。
1年の時間をかけてだいぶ自身を立て直すことができたのだろう。インタビューでは加藤は出来事を淡々と語った。
「こうしておけばよかったと思うことはたくさんあります。でも、それを後悔することはありません。これはこれで人生かなって思うし、何かを手放せば、何かをつかむ力がわいてくるようなところはあるので」
特に感情を乗せた言葉はなかった代わりに、何度か目が潤んだ。
納得しての結論ではなかったというが、批判めいた言葉は聞かれなかった。自分には驕りがあった、今は1日1日を感謝して生きている、という加藤はたくさんの言葉にならない思いを呑み込んでいるようにも思えたが、そこには加藤らしい潔さがあった。
娘としての加藤は、両親に離婚を打ち明けられずに半年を過ごした。思い切って連絡したのは、出張先のモナコから。電話に出た母は思いの外、冷静で、ただ娘と孫たちを案じた。子どもの頃厳しかった母に怒られなかったことは、40を過ぎても娘にとってほっとすることだった。
父は、娘の出張のときには孫娘たちのお世話に泊り込んでくれることもあるという。
(敬称略・明日に続く)
(文・三宅玲子、写真・伊藤圭)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ『BillionBeats』運営。近著『真夜中の陽だまり——ルポ・夜間保育園』で社会に求められる「子育ての防波堤」を取材。