「お金だけが豊かさの象徴ではない」。そう思いつつも、「豊かな暮らし=お金」と結びつけてしまうシマオ。しかし佐藤優さんは、「お金に換算できる豊かさでは幸せになれない」と言う。お金を欲する気持ちには天井がないから、永遠に満足することはできない。「なぜ人間はそこまでお金を追いかけてしまうのだろう」。シマオはお金を求める人の心理について、初めて疑問を抱いた。
お金そのものを拝んではいけない
佐藤優さん:シマオ君、そもそもですが、あなたは、お金が欲しいですか?
シマオ:え? そりゃほしいですけど……。
佐藤さん:なんで、お金が欲しいんですか?
シマオ:え……? それは、欲しいものを買えたり、いいところに住めたりするから……?
佐藤さん:欲しいもの? 何が欲しいんですか?
シマオ:いや、今すぐには特にないんですけど……。
佐藤さん:シマオ君、あなたはお金が欲しい。なぜなら、お金が欲しいから。そういうことなんです。
シマオ:え?
佐藤さん:つまり、何かが欲しいのではなく、お金そのものが欲しい。私はそういう人のことを「拝金教」と呼んでいます。自分の人生の価値を「お金」だけで考えてしまい、目的なくお金を貯めようとしてしまう人たちのことです。
シマオ:ぐっっっ(痛い……)。
佐藤さん:なんでお金を拝んではいけないと思いますか?
シマオ:お金稼ぎばかりを目的に動くようになってしまうから?
佐藤さん:いや、お金を稼ぐこと自体が悪いわけではありませんよ。稼いだお金を自分だけのものとしてしまうことが悪だとされるのです。
シマオ:自分だけのもの。たしかに金持ちってケチって言いますものね。
佐藤さん:お金持ちにもいろいろな人がいますよね。私が信じているキリスト教では「地上に富を積んではならない。天に富を積みなさい」という言葉があります。
地上の富とは、つまり蓄財。自分のところだけにお金を集めることです。しかしそれはキリスト教では悪とされています。私たちに与えられた能力というのは、神様からもらったものだから、それを返さなければならない。けれど、神様に直接返すことはできないから、隣人に返しましょう、ということです。
シマオ:隣人に返す、か。だから欧米では、チャリティの考え方が浸透しているんですかね。
佐藤さん:財団などを作り莫大な金額を寄付している資産家も、日本よりずっと多いですよね。
シマオ:たしかに。アメリカのドラマなんかを見ると、いつもチャリティパーティーとかしてるイメージありますね。
佐藤さん:また、キリスト教では「人は神とマモン(富)の両方に仕えることはできない」とも言っているんです。
シマオ:マモン?
佐藤さん:マモンとは、アラム語(イエスの使っていた言葉)で「富」のことです。なぜ訳さないかというと、それは富というものが、あたかも「形を持ったもの」であるかのように人は感じてしまうからだと考えられています。
シマオ:人間は富を形あるものであるように感じてしまうという?
佐藤さん:はい。本来ならば実体のない富を形象化してしまいやすいんです。 つまり富というものは、人間の思想を簡単に支配する力を持っている。それに抗うことは大変難しい。だからイエスは、マモンに気をつけろと、わざわざ言葉にして、弟子に伝えたのです。
シマオ:昔から人間の本質は変わらないんですね。
佐藤さん:ええ、変わりません。仏教にもイスラムにも似たような考え方があります。すべての世界宗教が考える豊かさの概念は同じ。豊かさは、富を遠ざけることでしか得られないです。
シマオ:富を遠ざけることで豊かさが手に入る……。
佐藤さん:富と豊かさはイコールではないのに、気を抜くとすぐに、富は豊かさや神さえも優越しようとする危険性を含んでいるんです。ですので、どの宗教も何千年も前から「お金」を警戒しています。お金を拝むということは、すべてをお金に換算して測るということ。それは人間にとってよくないことだというのが、宗教が歴史的に積み重ねてきた知恵なんです。
何千年も前から「富への欲求」は人間の思考を狂わせてきた。
撮影:今村拓馬
なぜお金への欲求は「際限がない」のか?
シマオ:お金は大切だけれども、お金自体を拝んでしまってはいけない、というのは分かりました。たしかに、特に困っていないのに、「お金欲しいなあ~」とか思うことがありました。
佐藤さん:前回も言ったように、資本主義においては、ほとんどすべてのモノやサービスはお金に換算できます。でも、お金そのものが目的になってしまうと、そこには際限というものがなくなってしまうのです。
シマオ:上限がありませんからね。
佐藤さん:例えば、銀座で2万円するようなお鮨を食べられるといったら、食べたいですよね?
シマオ:もちろん!
佐藤さん:ではそのお寿司を365日食べられる、と言われたら?
シマオ:え……? それは嫌だな。
佐藤さん:では、あなたが誰かに1万円をもらったとしましょう。その後また10万円くれるとしたら? 欲しくならない?
シマオ:もちろん欲しいです。
佐藤さん:さらに100万円くれる人がいたら? さらに1000万円くれる人が現れたら?
シマオ:全部もらいたいです。……そうか! それがお金の際限のなさということなんですね。
佐藤さん:そうです。際限がないというのが、お金の怖さなんですよ。これは資本主義の仕組みと関わってくることなんですが……。
シマオ:資本主義の仕組み?
佐藤さん:ちょっと説明してみましょう。ドイツの思想家マルクスは、『資本論』の中で貨幣には「物神性」があると言っています。
シマオ:物神性?
佐藤さん:フェティシズムのことです。「◯◯フェチ」なんて言い方で日本語にもなっていますよね? これはもともと物神崇拝、つまり何らかの「モノ」に超自然的な力が宿るとする考え方のことです。
シマオ:お金という「物」を神様のように拝んでしまうということでしょうか?
佐藤さん:そうです。そして、それこそが、マルクスが資本主義の基本的な仕組みについて解明した画期的な理論だったのです。
「お金があって何が嬉しいかというと、私の場合、本を買えることです」と言う佐藤さん。
シマオ:僕たちはお金フェチってことですか?
佐藤さん:そうです。シマオ君は、『資本論』を読んだことはありますか?
シマオ:もちろん、ないです(笑)!
佐藤さん:マルクスは資本主義のシステムに疑問を持ち、ひっくり返そうとして共産主義を目指した。私はマルクスの考え方は全面的に受け入れられるものではないと思っていますが、一方で、資本主義を理論的に説明した内容としては、現在でも十分に通用するものだと思っています。
シマオ:僕にも分かるように説明してもらえますか? 資本主義に生きているのに、その仕組みをほとんど理解していないことに気づきました……。
佐藤さん:分かりました。資本主義の社会では「分業」が発達します。例えば食器の職人はお皿やコップをひたすら作り続けます。その大量の食器は、当たり前ですが自分が使うものじゃないですよね?
シマオ:売って、お金に変えるためです。
佐藤さん:そう。原始的な社会では物々交換だったけれども、Aさんの欲しいものとBさんの欲しいものがいつでも一致するとは限りません。そこで登場したのが、お金だったというわけです。そのことをマルクスは「価値」と呼び、作った食器を使うことで得られる有用性を「使用価値」と呼びました。
シマオ:「価値」と「使用価値」……。
佐藤さん:そもそもは「使用価値」の方が高かったのですが、社会が進歩するにしたがい「価値」の方が高くなってしまった。そこに非対称性が生じているんです。簡単に言えば、お金の方が使用目的より強くなってしまった。だから、貨幣というモノそのものに、何らかの力が宿っているように見えてしまうんです。
シマオ:それが「物=貨幣」が「神」になるということですね。
佐藤さん:はい。だから人間は貨幣そのものを拝むようになってしまうのです。そこにお金の本質、お金を中心に回っている社会の本質があるのです。
※本連載の第8回は、3月25日(水)を予定しています。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。昨年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)