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「経営理論」と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか? 「難しそう」という人もいれば、「実務には役に立たない」「後付けでしかない」などと批判的な意見の人もいるかもしれません。
けれど、経営学のフロントランナーである入山章栄先生は言います。「経営理論とは不変性、汎用性、納得性があるもの」だと。つまり、ビジネス上の課題に限らず、時には若者が頭を悩ます悩むキャリアの方向性さえも、経営理論で説明可能なのです。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも挑戦してみてください。
前回お出しした「今週のお題」にはたくさんの方から回答をお寄せいただき、ありがとうございました。みなさんの課題に対する僕からの返答は、この連載の第5回以降で順次ご紹介させていただく予定です。
さて前回、僕は「経営学は役に立たない」という批判に対して、「役に立つか」だけで学問を評価すべきではないのではないか、と述べました。
今回はそれに関連して、「危険な思考停止ワード」という話をしてみたいと思います。
前回述べたように、これからの時代はとにかく誰もが考え続けないといけません。しかし、考え続けるのは大変なことでもある。そして、この世には意味を深く考えないまま安直にそれにすがってしまい、人の思考を停止させてしまう麻薬のような言葉・キーワードがある、と僕は理解しています。それが思考停止ワードです。
思考停止ワードは世にいろいろとあるでしょうが、ビジネスパーソンにも重要で、僕が特に今回取り上げたいのは「役に立つ」と「事業に直結」「常識」の3つです。順に解説しましょう。
思考停止ワード1:「役に立つ」
1つめの思考停止ワードは、先ほどの「役に立つ」です。とは言っても、僕は「経営学を役に立たせよう」と思っている方のことはまったく否定しません。そういう学者の方は多くいるし、その思いにはとても共感します。
他方で「役に立つ」が思考停止ワードになりがちなのは、そもそも「役に立つとは何か」が深く考えられないまま、安直に使われるからです。
ビジネスパーソンの中には「経営学は役に立たない」と言う人がいます。そういう方に、「ではそもそも、あなたにとって『役に立つ』ってどういう意味ですか」と尋ねると、実は多くの人が答えに詰まります。このように「役に立つ」とは、そもそも定義すらはっきり腹落ちされていない場合が多い。
そして、「『役に立つ』ってどういう意味ですか?」とさまざまな人に聞き続けるうちに、だんだん分かってきたことがあります。それは、「役に立つ/立たない」で評価をする人は、経営学に「答え」を求めている人である、ということなのです。
ビジネスに「唯一絶対の正解」は存在しない。
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しかし前回も述べたように、人生に答えがないように、現実のビジネスにはおそらく答えはありません。答えがないのに答えを探して、経営学を知れば安直に答えが得られると思い、でもそれが見つからないから「経営学は役に立たない」という結論になるのではないでしょうか。
現実のビジネスは、いろいろなものが絡み合って非常に複雑ですし、状況は刻一刻と変化し続けています。しかも、人間が何をどう感じ、どう意思決定するのかは、時に非常に曖昧なものなのです。つまり「正解」がないのです。
とはいえビジネスを進める以上は、この正解がない環境で「意思決定」だけはしなければいけない。ビジネスではとにかく意思決定が重要で、「決めるか、決めないか」がすべてです。正解なんて誰にも分からない。けれども、自分で考えて、少しでも自分が進むべきと思える道を選ばなければならない。それがビジネスです。
ですから、「安直に正解を出してもらえる」ことを「役に立つ」と考えているなら、それは思考停止そのものです。大事なことは、前回も述べたように、「答えがない中で意思決定をしなければならない。そのためには、これからのビジネスパーソンはずっと考え続けなければならない」ということです。その考え続けるための「コンパス」として、経営理論を使いましょう、というのがこの連載の主旨です。
思考停止ワード2:「事業に直結」
ビジネスは効率が大切。「事業に直結」するものにリソースを投じるのは理に適っているように思えるが……。
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2つめに、僕が最近大手企業などで思考停止ワードになりかねない、と考えているのが「事業に直結」という言葉です。
会社という、収益を上げることを使命とする組織からすると、事業に直結するものなら予算は取りつけやすいものです。
一方、事業に直結しないことは「無駄」に見える。したがって、もし誰かが事業にどう結びつくかも分からない提案をしようものなら、たいてい社内で「それって事業に直結するの?」と問い詰められ、予算が取れずに握りつぶされる。
一見ごもっともな判断です。だから「事業に直結」が思考停止ワードだと言われても、これのどこがいけないのか、腑に落ちない人も多いでしょう。
ここで登場するのが、1990年代初頭にスタンフォード大学のジェームズ・マーチ等が提示して以来、経営学では極めて活用される理論となっている「知の探索・知の深化の理論」です。
「知の探索」(exploration)とは新しい知を得ようと努力する行為。一方、すでに持っている知を深く掘り下げる行為が「知の深化」(exploitation)です。拙著『世界標準の経営理論』でも大きく取り上げています。
「知の探索・知の深化の理論」は近年のイノベーション研究における重要理論。『世界標準の経営理論』でも2章分を割いて詳述している。
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経営学において、イノベーションは「組織学習」というジャンルに区分されます。「組織学習」とは、企業などの組織の構成員が、何かを経験することで学習し、新しい知を得て、それを仕事の成果として反映させること。つまり、新しい知を得なければ組織は学習しないし、結果としてイノベーションも生まれないのです。
今は非常に不確実性が高い時代です。収益を上げている事業が陳腐化するスピードはかつてなく速い。したがって、とりわけ「知の探索」を通じて、遠くの新しい知を得ることは、ますます重要性を増してきます。
一方、短期的に見て事業に直結するものは、目の前の売り上げには貢献するかもしれない、すなわち「知の深化」にはなります。しかし、そこに「新しい知」はありません。
人は認知に限界があるので、新しい知は遠くにしかないのです。遠くを見るということはすなわち、いま手掛けている事業から離れることを意味します。だからこそ、いろいろなことにチャレンジしてみる必要があるのです。
アップルの製品はタイポグラフィの美しさに定評があるが、これはジョブズが大学中退後にもぐり込んだカリグラフィ(西洋書道)の授業と深く関係している(写真は、1984年に発売され、美しいタイポグラフィを内蔵した初のコンピュータと言われる初代マッキントッシュ)。
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「知の探索」とはいわば、スティーブ・ジョブズの言う「connecting the dots」と同義です。最初から事業に直結するとは限らない。でも、何年も苦労して知の探索をやって、その後で振り返ってみて、「思えばあの時の体験とこの体験が結びついて、いまの自分を形作っている」と分かるのであって、事前には後あと何がどう役に立つかなんて分からないものです。
ジョブズは数多くの失敗を繰り返しました。その中には、MacintoshやiPhoneのようにたまたま当たったものもあった。それを後で振り返ってみたら「なるほど、こういうルートで事業につながったのか」と軌跡が描けたというだけの話なのです。
まさにジョブズが「事業に直結」するものだけではなく、無駄に見えることも含めて幅広く知の探索を行ったから、結果的にアップルでイノベーションが起きたと言えます。
にもかかわらず、一般に大手企業や既存の企業の多くでは、何かをする前に「事業に直結するかどうか」で判断してしまいがちです。それは一見賢そうな判断基準なのですが、経営学から見ればむしろ思考停止ワードなのです。
思考停止ワード3:「常識」
「常識」に従っている限り脳に負荷をかけずに済む。だがそれは「考えなくなる」ということでもある。
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「思考停止ワード」の3つめは「常識」です。
今の経営学で非常によく使われている理論に、「(社会学ベースの)制度理論」というものがあります。詳しくは『世界標準の経営理論』を読んでいただきたいのですが、簡単に言うと、「同じ組織の中にいる人々は、だんだんお互いに似てくる。そして『常識』という共通の幻想を抱くようになる」という理論です。
われわれの住む世界には、さまざまな社会上の「常識」があります。しかし実は、常識というのは幻想にすぎない。社会的な正当性(レジティマシー)を獲得しなければならないというプレッシャーの中で、さまざまな組織・ビジネスパーソンの行動様式が同質化(アイソモーフィズム)している結果として、みんながなんとなく従っている行動規範が「常識」なのです。
人々が常識に従ってしまう原因のひとつが、いわゆる「同質化プレッシャー」です。同質化プレッシャーは至るところで見られます。
「万が一、親の服装のせいで不合格になったら……」。その不安が無難な紺の“お受験スーツ”を選ばせる。
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例えば、子どものお受験はその代表でしょう。お受験を控えた親は不安なもの。なぜなら、合格するかどうかは不確実性が高いからです。
不確実性が高い時、人はどう思考するか? 「一緒に受験するあの人はどうするんだろう」と考えます。そしてこんなふうに、他の親に相談します。
「今度の子どもの面接、何を着ていく? 私、スーツで行こうかどうか迷ってるんだけど……」
「私はスーツ。だって、スーツにしておけば間違いないし」
「じゃあ私もスーツにしようかな。何色のスーツにする?」
「やっぱり紺じゃないかな」
「そうね、紺色が常識だよね。じゃあ私も」
かくして、気づけば受験会場にいる保護者全員が紺のスーツに——これは、「紺のスーツが常識」としてしまう典型的な同質化です。でも、多くの場合、紺のスーツというのは学校側や何かが指定したものではありません。それでも皆が紺のスーツを着るわけです。
日本人はそもそも人種の多様性に乏しい同質的な民族なので、特に同質化圧力が非常に強い。何かあると、みんな隣の人の様子をうかがって、それと似たようなことをやり出します。
では、なぜ私たちは同質になろうとするのか。それは直感的に言えば、「脳みそを楽にするため」です。
第1回でも述べたように、人間の脳はキャパシティに限界があるので、いろいろなことを考えるためには、どこかで脳みそを楽にしなければいけません。その点、「これは常識だから」で片づけてしまえば、何も考えずに済みます。
出勤する時も、「会社に行く時にスーツを着るのは常識だから」ということにすれば、コーディネートに悩まなくていい。「9:00出社が常識だから」と言えば、何時に出社するかいちいち考えなくていい。その分脳みそが楽をできて、他のことに思考を割くことができます。
別にそれが悪いわけではありません。ですが、所詮「常識」は脳みそを楽にするための幻想。仮にかつてはそうする必要があったかもしれないが、今も絶対にその常識に従わなければならないわけではないことも、実は多い。
「相手の名刺を両手で受け取ったら、“座布団代わり”にした名刺入れの上に置く」。名刺交換のマナーも「常識」のもとに成り立っている。
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実際、この世は見渡せば、よく分からない「常識」だらけです。なぜ日本だけ、あれほど恭しく名刺交換をするのか。なぜ少し前までは男だけが働き、女性は家にいるのが常識だったのか……などなどです。
「常識だから」は大変便利なフレーズですが、そう言った瞬間、思考停止に陥ってしまうのです。
逆に言えば、常識はただの幻想であり思考停止ワードですから、それを打ち破れる人ほど、変化やイノベーションが起こせるということにもなります。拙著でも紹介していますが、そういう人をInstitutional Entrepreneur(制度的な起業家)と呼びます。
「常識」の思考停止から抜け出すには
では、どうすれば常識の思考停止を取り除くことができるのか。少し前までネスレ日本社長を務めた素晴らしい経営者である高岡浩三さんから伺った、こんな話が参考になるかもしれません。
高岡さんといえば「ネスカフェ ドルチェ グスト」や「ネスカフェアンバサダー」など、数々のヒットにつながるアイデアを思いついて実行した日本屈指のマーケターであり、イノベーター。こうしたアイデアを発想・実践するには、常識にとらわれないことが非常に重要です。
高岡さんはどうしてそんな思い切ったことができるのかと、僕はかねてより不思議に思っていたので、あるイベントでご一緒した際に尋ねてみました。
高岡さんは、「いや、そんなことはないよ。僕も最初はそんなに大したことはなかった」と謙遜しつつ、かつてネスレの海外オフィスにいた時の経験がターニングポイントになったと教えてくれました。
高岡さんはある時、グローバルネスレのスタッフからこう尋ねられたそうです。「コウゾウ、なぜ日本の会社は、どこも判で押したように4月採用なんだ?」と。
4月の新卒一括採用には批判の声も上がっているが、常識化したこの慣習はいまだ日本社会に根強く残っている。
撮影:今村拓馬
日本人なら4月の一斉採用は「常識」。なぜそうなのかと考えてみることもしなかった高岡さんは虚を突かれ、答えに窮してしまったそうです。まさか「それが日本の常識だから」と言っても相手が納得するはずはありません。
高岡さんが素晴らしいのは、仮にその場で答えられなくても、ちゃんとその問いを持ち帰って理由を突き詰めて考え、自らの「常識」を打ち破れる点です。
現在、ネスレが通年採用のコースを用意しているのも、60歳以上のシニア人材を積極的に呼び込んでいるのも、そうした高岡さんの姿勢を反映したものなのでしょう。
ネスレは世界中のあらゆる国に進出しているグローバル企業ですから、その職場はものすごく多様な世界です。そんな環境に身を置いていると、日本の常識などことごとく壊されていきます。
しかし残念ながら、今の日本でネスレのように多様性が実現している環境は多くありません。日本でも「ダイバーシティの推進」を掲げる企業は増えていますし、大手企業のダイバーシティ推進室の方から僕のところへ講演依頼もいただきます。
しかし、彼らに「御社はなぜダイバーシティを推進するのですか?」と聞いても、「世の趨勢だから」「他社も取り組んでいるから」と、ダイバーシティまでもが「常識」化している始末です。
この思考停止が日本企業にとってどれほど問題なのか——次回はこの点について詳しく述べていきます。
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(構成・長山清子、撮影・今村拓馬、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。